一難去ってまた一難

 日が暮れると、移動の痕跡をたどれなくなるので、ユリアンカと二人で馬を駈足かけあしで進めた。この走り方をだと馬がすぐにバテるので、三頭の馬を交換しながら西へ向かう。人を乗せていなくとも馬は疲労で倒れてしまうから、一定の距離を進むと馬を休ませ、そして駈足かけあしに戻す。馬の扱いにかけて、鬼角族以上の専門家はいないだろうから、速度の配分はすべてユリアンカに任せ、私は周囲を警戒することだけに集中していた。

 「オッサン、ここで一休みだ。馬に水をやって、少し休ませよう」

 ユリアンカは鞍から飛び降り、今まで乗っていた馬の鞍をはずして、別の一頭に付け替えていた。私もすぐに、乗馬から降りて、同じように鞍を付け替えることにする。

 鞍をはずした馬の背を愛おしそうに撫でるユリアンカを横目に、私は鞍を外すのに手間取っていた。馬具を固定する革ひもが汗を吸ってほどけなくなり、革ひもをなんとかしようと悪戦苦闘する私を見ながら、ユリアンカは水筒から水を飲み、その一部を馬たちにも分け与えていた。

 よし、やっとはずれた。鞍を付け替えると、馬の背中は汗でじっとりと湿っている。

 ふとユリアンカの方をみると、左手で馬の足を抱え込み、なにかを馬の足の裏に突き刺していた。

 「ユリアンカ、それはなにをしているんだ。さっきは別の馬にもやっていたが、どういう意味があるのか教えて欲しい」

 鬼角族としばらく暮らしていたが、ユリアンカがやっているような行為は見たことがなかったのだ。

 「ああ、これは馬針ばしんを使ってるんだよ。遠乗りなんかをすると馬の足に汚い血がたまるから、血を抜いて楽にしてやるんだ」

 「そんな馬の世話の仕方なんてきいたことがないぞ。君たちと暮らした時も、そんな姿を見たことがないんだが」

 そんなことも知らないのかと、あきれた表情でユリアンカは私を見つめた。

 「これは緊急の時に使う方法なんだ。普段から血を抜いていると、馬が弱っちまうからな。ジジイはそんなことも知らねーのかよ」

 馬の達人がそういうなら、そうなのかも知れないが、私たちの騎兵部隊にはそんな処置方法は知られていなかった。

 「初めて知ったよ。傷口からばい菌が入ったりしないのか」

 「つばでもつけてれば大丈夫だよ」

 そういって針をさしたところから、ピュッと血が飛ぶのが見えた。だが、その出血もすぐに収まる。うっ血したものを放出しているだけなのだろうか。

 「こんど、その方法を教えて欲しいな」

 「ああ、大したことじゃないから教えてやるよ。今すぐでもかまわない」

 そういいながら、ユリアンカが私の方へ近づいてきたとき、私の視線の端に動く物が目に入った。

 「あちらに誰かいる。敵かもしれない」

 目をこらすと、確かに遙か西の方角に騎乗した兵士が見える。一騎、いや二騎か。

 「二人いるよ。馬に乗ってる。私たちの仲間じゃない」

 そういうと族長の妹は、血を抜いていた馬とは違う馬の鞍に手をかけ、一息で馬上の人となった。私も予備の馬に乗り換えて、半弓に矢をつがえる。

 「うれしいね。暴れ足りなかったんだ。あいつらは敵だ。あたしたちが戻るのを邪魔してるんだから、斬ってもかまわないよね」

 そういうと、ユリアンカは馬の腹を蹴り、真っ直ぐに二騎の騎兵の方へ突き進んでいく。

 「待て、ユリアンカ! 止まれ!」

 私の命令など完全に無視だ。実戦になると役に立たない、でくの坊が相棒であることなど考えず、戦えば勝てるという傲慢さの塊が、敵のところへ矢のように飛んでいく。戦えなくとも援護くらいはできるだろう。

 敵との距離は五百歩といったところだろうか。弓はまったく届かない。

 私には、ユリアンカの後を追うように馬の速度を上げることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る