曲射
ほとんど眠らずに、
夜が明けはじめ、鬼角族の戦士たちがゴソゴソと身支度をはじめる音とともに目をさます。人は年を取るにしたがって、どんどん眠りが浅くなっていくのだ。
乾いた布で顔をぬぐい、族長のところへ向かう。
「おはよう、ハーラントさん。今日は威力偵察と、可能なら敵の軽騎兵を消耗させる作戦をおこなおうと思う。朝食が終わったら、みんなを集めてくれるかな」
まだ眠そうな顔をした鬼角族の族長は、あくびをしながらいった。
「いりょく――威力偵察とはなんだ。我らはなにをすればいい」
軍隊で使用される用語をハーラントが知らないのは当然だろう。
「威力偵察というのは、そこそこの数の兵隊で堂々と敵の姿を見にいくことだな。戦うこともあるが、あくまでも相手の勢力を確認するのが目的になる。今日は全員で敵の本隊を見にいく。相手がこちらに攻撃を仕掛けてくれば逃げるが、追いかけてくる相手が少なければ反撃する。敵はまだ千人以上はいるから、間違っても突撃したりしないでくれよ」
ニヤリと笑うハーラントのもとを離れ、ジンベジやホエテテのところへ戻ると、すでにバター茶が湯気を立てていた。燃料は乾燥させた羊の糞で、あまり煙が出ないという利点がある。
「ジンベジ君、ホエテテ君、シルヴィオ君。今日は全体で移動して威力偵察をおこなう。知りたいのは敵の弓兵の数だ。鬼――キンネク族の戦士は勇敢だが、弓の威力を知らない。そこで、君たち二人に先駆けを頼みたいんだ。弓が届くかどうかギリギリの距離まで接近して、敵に弓を使わせたい。そして、こちらを追撃してくる軽騎兵の数を減らしたい」
大男のホエテテの顔が
「教官殿、そんな重要な任務をこの俺がやるんですか」
責任は重大だが、恐怖を知るものでないとこの役目は頼めない。
「ああ、ジンベジ君でないと、この任務は任せられない。ホエテテもジンベジに従ってくれ。必要なのは勇気ではなく慎重さなんだ」
「なんか、俺に勇気がないみたいじゃないですか」
苦笑いするジンベジをなだめる。
「ここでは、勇気は有り余ってるんだよ。それに、この経験は忘れられないものになるぞ。百名の騎兵が君に従うんだ。槍兵だとこんな体験は絶対にできない。騎兵は戦場の花形だが、その先駆けこそ戦士の
ジンベジの表情がまんざらでもないものとなったのを確認し、少しぬるくなったバター茶を飲み干す。
日に日に気温が低くなり、特に朝方はかなり肌寒いのだが、戦いを目前に控えた興奮が寒さを感じさせなかった。
「それでは、ここで全員に知っておいて欲しいことがある」
私のことばを、ハーラントが鬼角族のことばで伝える。
「キンネク族は素晴らしい戦士だが、この弓は諸君を殺す力が十分にある」
嘲るような笑い声が広がる。たしかに、チュナム集落の守備隊には弓があまりなかったし、あっても力の弱い半弓くらいだったので、弓を侮るのもしかたないだろう。
「優れた騎兵である諸君は、弓の使い方を知らないから侮っているのだろうが、弓が百張りもあれば、恐るべき武器になる。例えば、弓の射程だが」
そういって、弓を構えて正面に矢を射る。矢は真っすぐに飛んで、すぐに地面に落ちた。
矢が落ちたのは、五十歩ほどの距離だった。
「だが、こうして射れば」
今度は弓を斜め上に向けて射る。今度はさきほどの倍くらいの距離を飛び、矢は地面に突き立った。
「このように倍くらいの距離は飛ぶ。しかも威力はそれほど落ちない。もう少し強力な弓なら、もっと射程は長い」
笑い声がきこえた。鬼角族の戦士たちにとって、私の説明は特に感銘をあたえるものではなかったようだ。実際に戦場で矢の雨が降らないと、その恐ろしさは伝わらないのかもしれない。少し失望しながら、今度は鏑矢を取り出し、弓とともにシルヴィオへ渡した。
「今回の作戦に関して合図を決めておく。この音がきこえれば、一番近くの敵と戦う。戦っているときにこの音がきこえれば、南西へ逃げ出す。これは絶対だ。君たちの命は、キンネク族の女性や子どもを守るためのものだ。戦士として勇ましく死ぬことは許されない。その右角のことを思い出すんだ」
今度は誰も笑わなかった。
「よし、シルヴィオ君。その鏑矢を射てくれ」
しばらく詠唱したあと、シルヴィオの弓から鏑矢が恐るべき勢いで打ち上げられる。
ひどくマヌケな音ではあるが、耳をつんざくような音が鳴り響いた。
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