防御陣地
皆が食事をとっているあいだに、鬼角族がいつも攻撃を仕掛けてくるという丘陵の西側を見ておくことにする。このあたりには、木といえるような背丈の植物はなく、ほとんど遮蔽物が存在しない。一帯の平坦な土地は、小部隊が地の利を生かして防御できるような要素がほとんどなかった。
最悪だ。
中腹で少しだけ平坦になっている場所があるので、そこに馬除けの壕を掘って防御拠点とすることにしよう。地形から、正方陣をつくることはできない。横五十歩、縦三十歩に変更だ。必要なものはみたと考え、天幕に戻ることにした。
本部の天幕の前には、すでに木の鍬や、先端だけ金属で覆われた鋤など、おのおの土を掘るための道具を持った兵士たちが並んでいた。
「お待たせした。これから陣をつくる場所へ移動する。壕はできるだけ深く掘ること。馬が乗りこえられないことが重要なので、背丈の半分くらいは掘ってもらいたい。袋があれば土嚢をつくるが、今はないので、なだらかな土の壁を壕の内側につくることになる。ヤビツは井戸から水桶で水を運んでくれ。それでは、全体出発!」
兵士たちはペチャクチャとおしゃべりしながら、隊列も組まずについてくる。軍隊なら隊列を崩すことは許されないが、これからおこなうのは役夫の仕事だ。丘陵の中腹までくると、あらためて隊列を組みなおさせる。
「全体、二列縦隊に整列!」二十七名は一人を余らせ、十三名の列となる。「あまった者はこちらへこい」
頭をかきながら、一人の若い兵士が前に出てきた。
「君の名前を教えてもらえるかな」
「マヌエレです、隊長」
左手に包帯を巻いた兵士であった。
作業の相棒になるとマヌエレの怪我のぶん、自分に負担がかかると思われたのだろうか。
「では、マヌエレ君を私のかわりに指揮官代理に任命する」他の兵士から不平の声がおきる。「残り物には福がある、ということばを知らないかな。それでは、むかって右の列は私の後についてきてくれ」
さきほど大雑把につけておいた印の場所に、兵士を配置していく。それが終わると、残りの列を反対側の場所へ誘導する。二十六名がほぼ横一列、等間隔に並んだのを確認し、全体に向かって語りかける。
「よし、それでは作業をはじめてくれ。ひとついっておくが、この壕は鬼角族の馬が侵入できないようにするためのものだ。誰かが手を抜くと、そこから鬼角族が侵入して隊は全滅するかもしれない。他の誰でもない、自分のために掘ってくれ。それでは、はじめ!」
全員、予想以上のまじめさで地面を掘りはじめたが、用意した道具によって掘る速度はまちまちだ。
見回りながら、固い地面に苦戦している兵のところへいっては、持ってきていた折り畳み式のつるはしで掘るきっかけの穴をつくってやる。ワビ大隊長が金属のシャベルを送ってくれれば、もっと掘る速度があがるはずだが、期待していいのだろうか。一刻ほど穴掘りを続けると、みな汗だくになり、上着を茶色く染めた。
「休憩、休憩だ。水を飲んで休め」
掘られた壕を確認しながら、疲れてへたり込む兵士たちをねぎらう。作業は思ったよりは早く進んでいるようだが、みな慣れない作業で予想以上に疲労しているようだったので、午後は一刻のみ穴掘りに使い、残りは隊列を組んで移動する行軍訓練に切り替えることにした。最低でもあと十五日は陣地構築の時間があるはずだったが、この調子なら今日も含めて十日もあれば完成させられるだろう。むしろ雨が降ることによって、土の壁が崩れることのほうが恐ろしい。黒鼻族の家には土壁のものもあったので、どのように処理しているのかを確認してもいいだろう。いろいろな考えをめぐらせていると、休憩中の兵士から質問の声があがった。
「隊長、こんな壕で鬼角族を防ぐことなんてできるんでしょうか」
女好きする顔の兵士だった。たしか名前は――。
「ディスタン君、鬼角族なら一跨ぎかもしれないが、馬にとって深い穴に落ちることは、生死にかかわる問題になる。足が折れれば死ぬしかないから、馬は深い壕を恐れて近づかないはずだ。鬼角族は強いが、馬に乗っていなければ対処する方法はある。だから、われわれは生き残るために掘るのだ。これでわかってもらえたかな」
答えをきいたディスタンは、自分の質問に興味を失ったようで、なにかを隣の男と話しはじめた。
現場を一回りすると、作業再開の号令をかける。
「本日の作業はあと一刻だ。そのあと行軍訓練をしながら帰投する。連中が来る前に、しっかり出迎えの用意をしてやろう」
作業に戻る兵士たちの動きは緩慢だったが、悪ふざけをする余裕があるうちは大丈夫だろう。
その日は十三人二列の密集体形で、行進訓練をしながらチュナム集落まで戻った。
翌日、みなで再び穴を掘っていると、ストルコムが戻ってきた。こちらかの手紙の返事をワビ隊長から預かってきたらしい。
「
「はい、鍛冶屋で二百ほど買うことができました。それ以上の在庫はないそうで、時間さえあればもっとたくさん準備はできるそうですよ。それとこれはおつりです」
そういってストルコムは正銀貨二枚をよこした。
「おつりは好きに使っていいといったはずだったが、どうしたんだ」
「教官はそういって、私を試したんでしょう。もちろん、若干の小遣いはいただきましたが、教官がターボルに戻れば
そういうとストルコムは手をひらひらと振った。
別に試したわけでなく、しばらくは副官として頑張ってもらうつもりなので、その準備費用として多めに渡したつもりだった。
埋め合わせはまた今度すればいいだろう、生きていれば。
さっそくワビ大隊長からの手紙を開封する。
チュナム集落着任ご苦労。
取り急ぎ用件のみ。
補充兵はターボルに到着次第、そちらにも派遣する。
おそらく二十日前後はかかるだろう。
槍など武器の補充だが、ターボルにもそれほど備蓄があるわけではないので、定数以上は困難。
現地民を徴用し、武装することに問題はないが、盾や手鉤のような装備は準備できない。
防御拠点用の柵を建設する計画には承認を与える。
材料となる木材は、軍団本部に依頼して送付してもらうが、これも二十日は必要。
鉄製シャベルは一つのみしか用意できなかったので、使いに持たせる。
なお、兵員が充足するまではできるかぎり無用な損失はおさえるように。
追伸:ローセノフが君によろしく伝えてくれとのことだ。
ほぼ予想通りの回答だった。
二十日後というのが、ちょうど鬼角族の襲撃時期と重なるのが悩ましい。
新兵を抱えて敵の襲撃を受けるのは、いろいろな意味でまずい。
しかし、最後のローセノフ中隊長の名前はどういう意味だろう。
ローセノフ中隊長は、間違いなく私の味方だった。
その名前を出すということは、ワビ大隊長も私の味方なのだろうか。
味方なら、なぜ着任直後に最前線へ派遣したのか。
無用な損失はおさえろといいながら、戦わないと職務怠慢だという理由で処刑することなどを考えている可能性もある。
私は妻のアストに裏切られて以来、誰も信じられなくなっていた。
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