エージェント・サイファー
黒陽 光
Prologue:ゼロ、或いは存在しない者 -AGENT;CYPHER-
/00-1
ニューメキシコ州の郊外、荒れ果てた大地ばかりが広がる乾いた大地。人の気配なんてまるで無い、がらんとした夜の荒野のド真ん中に、ただひとつだけポツンと建つ大きな邸宅があった。
大きく、ゆとりのある造りをした典型的なアメリカ式の二階建て木造建築の邸宅。少し離れたところを走る国道から細い私道を引き込んで、その先にポツンと寂しく建っている。
そんな家の、隣接するガレージや家の傍には何台ものピックアップ・トラックやRV車が停まっていた。外から見る分にも賑やかで、きっとパーティでも開いているのかと思うぐらいに。
しかし、その家の電灯は一つたりとて灯ってなどいなかった。これだけの来訪者の気配があるというのに、閉じられたカーテンの隙間からは灯りひとつ漏れ出ることがない。
――――真っ暗闇。
その家は、文字通りブレーカーが落とされたかのように、ただただ暗闇だけが支配していた。ただひとつの例外を、乾いたコルダイト無煙火薬の炸裂音とともに、一瞬だけの閃光が迸る以外には…………。
パッと瞬く閃光が一つ、また一つと真っ暗闇の家の中に迸る。激しく前後するスライドから金色の空薬莢が蹴り出されて床に落ち、銃口から激しい火花とともに撃ち出された.45口径のホロー・ポイント弾頭が、その先に捉えていた誰かの
シグ・ザウエルP220-SAO。
窓のカーテン、その隙間から微かに差し込んでくる月明かりに照らし出された彼の持つそれは、光をまるで反射しないそれは。何処か、死神の鎌にも似ていた。無遠慮に、無造作に、そして呆気なくヒトの
「…………」
床を軋ませ、無言のままで一歩一歩をゆったりとした足取りで踏み出していく。自動拳銃を右手にぶら下げて、ゆっくりと。
「ひっ……!」
尻餅を突き、壁に寄り掛かって怯えた声を上げる、そんな最後に生き残った白人の男の双眸からは、そんな風に余裕すら見せる足取りで歩いて来る彼の顔付きまでは分からなかった。
ただ、僅かな月明かりに照らされて。左側だけを垂らす格好をした、長い襟足を紐で縛った黒い前髪と、その下に湛える深淵のような黒い双眸。そして、左眼へ縦に走る刀傷のようなうっすらとした傷跡だけは、白人の男の眼からも確かに見て取れた。
「や、やめてくれ……!」
拳銃の一つですら持たず、ボディーガードだった十数人の男たちを静かに殺され。そして抵抗する手段を失った白人の男が、ゆっくりと歩み寄ってくる彼に向かって命乞いをする。
「誰に、誰に雇われた!?」
必死の形相で男は問いかけるが、しかし彼はただ男の方に向かって歩いて来るだけで、その問いかけに答えようとはしない。
「金ならある! 欲しいだけくれてやる! だ、だから命は……!」
「……金は、必要無い」
と、男が叫んだ次の命乞いに、意外にも彼はポツリと僅かに口を開いた。明らかに日系の血が濃そうな顔に似合わず、随分と流暢なブリティッシュ式の英語だった。
「な、何者なんだ……!?」
「答える義理はない。……ただ、ひとつだけ言えることはある」
静かな声音で呟きながら、彼は命乞いをする男の前に立った。彼を見上げる男の怯えた双眸と、彼の構えたP220の冷酷な銃口とが、静かに視線を交錯させる。
「――――貴様は、ただ此処で朽ちるだけだ」
そして、銃声が木霊した。
一瞬の閃光、眉間を撃ち抜かれ息絶える男と、それを見下ろす彼の足元へと転がる金色の空薬莢。懺悔の時間も、ほんの些細な抵抗も。何もかもを赦さぬまま、彼はただ無造作に男の
「……対象の死亡を確認。仕事は終わりだ」
そして、最後に彼は口の中で小さくひとりごちると。くるりと踵を返し、歩き出せばまた、深い闇の中へと姿を消していく。
――――エージェント・サイファー。
彼の抱いた唯一無二のコードネーム。ゼロを意味する言葉の通りに、彼は闇の中へと消えていった。まるで、最初から彼などそこに居なかったかのように…………。
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