第10話
自殺を命じられて、はいそうですか死にますと答えるわけもない。
だが、呪書に背く「ペナルティ」が何になるのかをどうしても考えてしまい、私は段々と平静を保つのが難しくなっていった。
「レナーテ、大丈夫? 最近元気ないよ」
アナに声をかけられた私は、弾かれたように顔を上げて「何でもない」とぎこちなく笑う。
ふうん、とアナはそれ以上追及してこなかったが、そんなわけがないと思っているのは明白だった。私だって隠せていると思ってはいないが、それ以外答えようがなかった。
呪書の命令を無視した翌日。
私達三人は、中立都市トナジルの中央通り沿いで向こう暫くの予定を相談しているところだった。広場の方がにわかに騒がしくなったので、マリウスが数十メートル離れた騒ぎの様子を見にいく。
新聞が配られている様子が目に入ったので、私とアナもマリウスの元に駆け寄っていった。
追いついてきた私達を一瞥し、既に新聞を受け取っていたマリウスが全員に見えるようにそれを広げると、見出しを見て三人揃って絶句した。
アナの、怒りで震えた声が漏れる。
「なにさ、これ」
――魔王の、霊人国に対する突然の宣戦布告。
対話も交渉も何もない、横暴な開戦だった。
しかもその理由というのが、
「勇者レナーテ・ベルガーがリスニルの地下通路を破壊し、ティルマン公を殺害しただあ!? なんだその言いがかりは!」
私以外知るはずのない、地下通路の破壊に関することだった。
驚愕しながら記事の一文を読み上げたマリウスは、私に真偽を確認することもなく憤っている。
一方の私といえば、青ざめながら震えていた。
「・・・・・・なんで」
その様子に、新聞に気を取られている二人は気付かない。
尾行されていたとは思えない。周囲は念入りに確認したし、崩落させた後も細心の注意を払って離脱した。それにも関わらず、魔王の声明は「地下通路の崩落は勇者の所業」と断定している。
崩落の近くで殺されていたティルマン公の方は完全に濡れ衣だが、どちらにしろ知り得るはずのない情報だ。魔王が本当に私とリスニルの事件を結びつけているのなら、
「まさか」
魔王が、呪書の送り主だというのか。
呪術に関しては魔人国の方が研究が進んでいると聞いたことはある。私の想像では及びもつかないこの呪書の力も、呪術の最先端である魔王城に居を構える魔王であれば、或いは。
でも――だとしても一体、何故?
「ち。とにかく一度離れるぞ」
マリウスの声で我に返る。
顔見知りもそれなりに居るこの街で私がウロウロしていたら、確かに面倒が起きる。私達は、一度そこから近いアナの取っていた宿に避難した。
その後の話し合いの内容は、ろくに覚えていない。
恐らくはこの「冤罪」の解明と、どこに殴り込めばいいのか等、今後の行動指針を話し合っていたのだとは思うが、私はそれどころではなかった。
呪書と魔王の関係性。自殺を拒んだペナルティ。開戦が何を意味するのか。
そんな答えの出ない議題が、私の頭の中で暴れまわっていた。
そうしてその翌日。
私に呪術を教えてくれた恩師が、ひっそりと息を引き取った。
もうそれなりの高齢ではあったが、まだまだ元気な好々爺だった。若い頃はこれで相当な荒くれ者だったらしい。私に限らず、中立都市で傭兵業に縁のある人なら誰もが一度は世話になると言われるほどの人物だった。
アナとマリウスも例外ではなく、私達は揃って彼の喪に服した。
老衰ではないかと最初は言われていたが、それにしては不自然だ、と検死した医者が呟いていたらしい。開戦のことも含め、街の不穏な空気は一層色を濃くしていった。
その死が「ペナルティ」だったのだと確信しながら、私は涙を流さなかった。
・・・・・・いや、正確には。
私は彼の死をどんな顔で悲しめばいいのか、分からなかった。
顔も人となりもよく知らない魔人国の王。
どうして私が魔王に狙われ、理不尽な目にあっているのか。今更、形だけの勇者に何の恨みがあるというのだろう。やり方が回りくどすぎるのもよくわからない。
私の脳内は疑問符だらけで、まだ恨みより困惑が勝っていた。
それでも、魔王に会いにいかなければならないのは間違いない。
私は二人に、魔王城を目指すことを宣言した。
******
勇者がそんなことをしたという証拠はない。そもそも、それだけでようやく結んだ和睦を放棄するなんて考えられない。こちらも調査をするから、考え直して欲しい。
霊王の至極真っ当な返答を、魔王は完全に無視して進軍を開始した。
魔王軍はリスニルから出発、トナジルを始めとした中立都市を素通りし、霊人国北端のセドアハに数万人の規模で攻め込む。途中、行軍に抗議した中立都市の人々は力づくで蹴散らされ、無理に止めようとした市民の中には死人も出た。
それは宣戦布告から2日と経っていない内の出来事で、戦争の準備が十分に整わないセドアハの街はいとも簡単に制圧された。
そんな状況を尻目に、私はアナ、マリウスと共に姿をくらます。
最初は私一人で魔王城を目指すつもりだったのだが、アナとマリウスの強烈な反対と叱咤を受け、三人で魔王城を目指すことになった。
私が公の場に姿を晒して潔白を訴えたところで解決するレベルの事態ではない、というのは呪書のことを知らない二人にしても同意見だったらしい。
二人の同行は嬉しい一方で、呪書のことを伏せたまま動くのに無理が出るのは目に見えていたので、憂鬱さはあまり軽減されなかった。
魔王が戦線の近くに滞在するのであればわざわざ魔人国の中でも北方の魔王城に行かなくても済むのだが、マリウスが調べてくれた限りではどうも魔王は全く城から出てくる気配がないらしい。
魔王城へは、平時に一直線で向かえばトナジルから二ヶ月かかるかどうかといったところである。しかしそれはあくまで平時の話で、もう素直に検問も通れない事態となった今では街をルートとして計算することはできない。
街の外だけで食料と水を確保するのはできなくはない・・・・・・といったところだが、サバイバルと野宿を半年単位で続けるのは経験のない私達ではいずれ無理がくる、とマリウスは結論づけた。
そうして、街の近くに身を潜めては検問を無視して侵入、どうにかして物資を確保して脱出という盗賊的行為を繰り返す方針になった。侵入にしろ脱出にしろ日にちと時間を見計らう必要があるため、魔王城へたどり着くのにどれだけかかるか分かったものではなかった。
それでも、たどり着けないよりかはマシだと思うほかない。
それに私には、時々は街に寄らなければならない理由がもう一つあった。
呪書の指令である。
4つ目の指令は、姿をくらましてから3週間程経った頃にきた。
内容は、自身の手による魔人国の諸侯殺害。
「っ・・・・・・」
私は傭兵業で人を叩きのめしたことは幾らもあったが、殺めたことは一度もなかった。ティルマン公の件は多少気には病んでいたが、今度の指令は正真正銘、戦闘の意思がない相手に対する一方的な殺人だ。
私は震える手で呪本のページをめくる。そして、後どれだけの指令が来るのかを数えてしまった。
呪本の見た目に比べ、中の紙1枚1枚が分厚いのか思ったほど多くないことはわかったが、それでもまだ20ページ以上残っていることを確認する。
気が遠くなりながら、私は嗚咽を漏らした。
指令に従わない選択肢を、呪書のページ数を元に考えようとしていたのだ。
一瞬ではあるが、「自分が人を殺してしまうこと」と「自分の知人が殺されること」を私は天秤にかけてしまった。
・・・・・・正しい正しくないではない。
そんな命の勘定が、認められるものか。
呪書のペナルティで、自分にとってどうでもいい人間が殺される可能性は最早考えていなかった。この本は、どう考えたって私のことを壊しにきている。
「なん、だっての」
こめかみあたりで、自分の髪をグシャリと掴む。
「なんだってのよ・・・・・・!」
握る拳から血がにじむ。
恐怖と悲痛ばかりだった私の苦悩は、今更になって苛立ちと怒りを帯びはじめた。
魔王城は未だ遥か遠く。
――私はこれから、どれだけのものを奪われるというのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます