Want to be
@mihamaneko
プロローグ
神殺し
世界最高峰を誇るデル・クイーナ。太古の言葉で神の居場所を意味する、この急峻な山は有史以前から、あらゆる種族の信仰の中心地であった。
山の頂き、崖と言ってもよい山肌を登りきった所に、僅かな起伏すら許さぬといったように切り開かれた場所がある。
そこがまさにデル・クイーナ、神の居場所である。
多くの種族が信仰を示すために協力しあい、ここに長い年月をかけ、荘厳なる神殿を建立した。多種多様な種族が持てる技術の粋を出しあってできた神殿は、威厳と神聖さを兼ね備えた神が住むにふさわしい建造物となった。
そして建立から時は流れ、現代ではこの神殿はおろか山そのものが聖地として扱われ立ち入ることが許されないことになっている。
今その禁忌は破られ、神の住処は蹂躙されていた。平素は静謐さが支配しているはずであるこの場所は、破壊と崩壊の音に埋め尽くされていた。計算尽くされた位置に配置された柱は折られ、神秘的な輝きを放っていたステンドグラスは砕かれ破片を撒き散らいていた。天地創造が描いてあった天井壁画が落ちて空が覗いている。
そこから何かが飛び立った。
それは美しく伸びたブロンドの髪に、純白の布をまとった女性である。黄金比を体現したような肉体に、見るものすべてを引き付ける顔貌、そしてもっとも異質なのが背から生えた白銀の翼である。彼女こそがこの世界の女神、メリーである。
彼女は翼をはためかせ、より上へと逃れようとしていた。だがその翼の骨は折られ、半ばちぎれかかっている。そのような冒涜的姿を晒し、よろめきながら彼女は空高くへと舞い上がる。
油断はあった。とはいえ、女神たる己が支配するべき存在に遅れをとるはずがないと考えるのは当然のことであろう。そんな当然の慢心が彼女を敗走に追いやった。天災とも言える魔術は跳ね返され、効くはずのない攻撃が防御を突き破り、奇跡は打ち消された。多勢に囲まれ一方的な暴力にさらされた彼女は逃走しか選択肢が残されていなかった。
彼女は天に視線を向ける。すると空に針を刺したような黒の穴が空き、さらに徐々に広がっていく。
女神のみがもつ異次元への門をつくる力だ。
そこに飛び込みさえすれば彼らでも追って来ることはできないだろう。
今回は裏切り者の天使に呼ばれ下界へ降りたが、これからは異次元に籠りそこから一方的な神罰を下してやろう。そんな考えをめぐらす。
しかし、次を与えるほど彼らは甘くなかった。門まであと幾ばくの所で女神の飛翔が止められる。
彼女の翼に禍々しい紫の魔力で編まれた鎖が巻きつく。翼の自由を失いさらに鎖から力を奪われていく。彼女はもはや墜落を逃れるすべを持たない。逃げたはずの場所へと、重力に従い落ちて行く。
床に叩きつけられた彼女に、また逃してなるものかと、剣が、槍が、斧が、矢が、牙が突き刺さる。痛みに朦朧とする意識の女神に、反逆の首謀者と思しき男が歩み寄る。
彼は常にこの戦いに中心にいた。女神は彼を第一の排除対象と捉え、常人ならば塵の一つも残さないであろう攻撃を与え続けた。
彼はそれを気力と意志力で耐え、反撃を食らわす。女神の圧倒的な力を前に幾度となく窮地に陥ったが、戦いの中で何度も己の限界を超え、覚醒、進化を繰り返した。
結果、彼は女神に迫るまでの力を手にしていた。
それでも、女神を倒すまでにはいたらない。現在、彼が女神を見下ろしている構図ができているのは、彼に力を貸す仲間いたからにほかならない。
仲間の一人ひとりの力量は並の人間の比ではないが、女神と比較するならば影を踏める程度のものである。そんな彼らが力を合わせることによって、男と女神の差を埋めるに至ったのである。
両者傷だらけだが溢れ出ている覇気は全く衰えていない。両者とも常人が前にしたら、即座にひれ伏してしまうような存在感である。
だが性質は真逆のものである。一方は神々しい威光、もう一方は吐き気がするまでの恐怖の塊である。そんな二人の視線が交差する。
「高みから見下ろすのは楽しかったかね」
男が口を開く。女神は答えない。自分とこの男ではもはや対話が成立しないだろうと見抜いていたからだ。言葉の代わりに侮蔑の視線をくれる。それは女神に刃を向けている行為に対してではなく、男のあり方そのものに対しての眼差しであった。
この男はズレている。
妄念にとりつかれ、神に背く人間はこれまでに何度も見てきてきた。だけど目の前にいる男はそれらとはある意味真逆だ。逃避のために神を恨むのではなく、しなければならないから神を討つ。そんな強い理性と強靭な使命感が男の瞳から伝わってくる。
なぜこのような存在があるのだろうか。自身が作り出したこの世界に知らぬ間に生じた歪に対し、女神は恐怖を自覚する。
「どれほどこの瞬間を待ちわびたことか。聖戦はここに幕を下ろし、新たな時代が訪れる」
誰に言うわけでもなく呟く。彼は下げていた腕を持ち上げ、剣を女神に向ける。
全てを吸い込むかのような漆黒の刀身を持つ、美しさと忌まわしさが混在した剣だ。この戦いの中で幾たびと女神を切りつけ、聖血にまみれていたはずなのにその痕跡は見当たらない。
この剣は呼吸をしている。剣が脈動するたびに、空気に飢えた生物のごとく血液を吸い込んでいるのだ。
男は多様な武器で固定された女神に向かい、躊躇なく剣を突き立てる。
女神は心臓を貫かれた痛みと共に、剣から何かが奪われる嫌悪感に見舞われた。
なんだ、これは。女神はこのままでは己が己でなくなってしまうようなおぞましさに身をよじる。逃れようとしても、体を貫いている凶器が深く食い込み痛みがますだけだ。
ダメだ、このような男に奪われてなるものかと、虚空に手を伸ばす。その手の先には、先ほど開けた異次元への門があった。
せめて、これだけでも逃がさねば。彼女は女神であるための物を右手に収束させる。聖なる光が彼女の腕に集まり、眩い輝きを見せる。
「何をする気だ」
女神の羽を突き刺し磔にしていた女が剣を引き抜き、腕を切り落とそうとする。
女神はもう遅いと言わんばかりに嘲笑を浮かべ光を放出した。
彼女が放った黄金の光は一条の線となって門の向こう側へ消えていった。
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