卵守(ヤイサル)ードランナジュムの物語

薮坂 華依

第1話 盗賊の砦

 


『齢(よわい)永き竜王、雷(いかずち)に撃たれ玉(ぎょく)とともに地を去る。

天は怒り、星が落ち、地は乱れ、民はあえぐ。

民の声に呼ばれ、戦乱の狼が来(きた)る。

黒き女神、白き神馬(しんま)に跨り宇宙(そら)より舞い降りる

若者たちよ、疾く駆け、真実(まこと)を探し出せ。

見誤るな。魂は、その器を選ばない。

正しき道を見出だせば、

 竜王舞い戻り、ドランナジュムに平和と繁栄が再び約束されよう』

              『ドランナジュム約束の書 始祖の言葉』の項より

 


第一章 盗賊の砦


 砂漠の都一の豪商、ガル・ラッカードの商隊は、いつもより小さい編成で旅していた。家族はアシャとヴェンだけ同行した。小さい編成は早く旅を進められる。ガルは急ぎの品を運んでいた。

 オアシスを過ぎ、半日ほどたっていた。後二泊程度で湖との国境にたどり着けるはずだ。隣で砂漠馬にまたがる見事な手綱さばきの少女に微笑みかけた。ガルの娘として育てている、アシャ。アシャは十四。男勝りのはねっ返りだ。黙っていれば美少女と言えないこともない。

 ガルは長身で四十代後半。優しげな顔立ちだが、旅のマントの下には鍛え上げられた体が隠されている。陽だまりのような笑顔を浮かべ、そよ風のような穏やかな言葉を話すガル。柔らかな表面は本質ではない。必要なら何時でも、砂漠の太陽のように容赦なく、北の国の氷河よりも冷酷になれる。

 冷静沈着で計算高いガル・ラッカード。そんな彼にも、我を忘れるほどの悲劇があった。行き場をなくしたガルの愛情を受け止めたのは、一頭の迷い卵(ヤイ)守(サル)だった。その卵守から産まれたから、ガルはアシャをとても大切にしている。何不自由ない生活、学問、武術、舞踊、深い愛情と暖かい家族を与えた。あの卵守を預かったのがガルでなければ、アシャには別の運命が待っていたはずだ。奴隷にされても、不思議ではない。

 一行は、湖の王宮に向かっていた。できるだけ早く、特別な品を王室に届けなくてはならない。隊は小さく、運ぶものは貴重な品。盗賊に奪われてしまっては、ただではすまない。だから、鳥を使えるヴェンが同行したのだ。

 鳥使いヴェンの名を砂漠で知らない者は居ない。ヴェンは猛禽類ウルンの背に乗って空を飛ぶ。そんな鳥使いはこれまでいなかった。ヴェンは鳥だけじゃなく、末娘アシャの面倒も見ている。だから、この旅にもアシャを連れてきた。それに、砂漠の道案内人の長、老デッカンのお気に入りのアシャは、デッカンの見習い以上に星が読める。デッカンの居ない旅にアシャが同行すれば、道案内の助けになる。

 他の兄弟たちは、まだ砂漠の屋敷にいる。湖の国の換羽(かんう)の儀に出席する砂漠の王ダルチ・ミドゥバルに同行するため、王宮から声がかかるのを待っている。兄たちは、王の旅支度を手伝う事になるだろう。

 唯一人、長男は旅に参加しない。長男コリン・ラッカードは、砂漠の都の大きな商店の娘と結婚し、商隊から抜けて都の中に住んでいる。夫婦で小さな店を構えた。人当たりの良いコリン。彼が砂漠の都に居るから、安心して旅ができる。政治や経済の情報を、逐一知らせてくれる。緊急時はヴェンの伝書鳥を使い、どの商隊より早く情報が届けられる。それに、万一、都の門の外で恐ろしい事態が起こった時、安全な門の中に逃れるあてがあるのは、とても重要だ。ガルはそれを身をもって知っている。

 砂漠の都を出て四日目、商隊はオアシスで一泊した。水を十分に補給し、五日目は早朝に出発した。昼前までは順調だった。

 隊列から少し外れた場所に、バルナの花が咲いていた。珍しい砂漠の青い花は、めったに出会えない。美しいだけでなく、茎や葉は薬にもなる。見過ごすには残念な花だ。ガルの視線の先を追ったアシャは、花を取りに行く許可を願った。

ヴェンが居たらすんなり許可しただろう。あいにく、ヴェンはタフトと偵察に行っていた。タフトは、ヴェンが飼いならした猛禽類の中で一番大きく、一番信頼できる。親が死んで巣に取り残され、餓死寸前だったのをヴェンが見つけて育てた。ヴェンが戻ってから花を取りに行かせるべきだとわかっていたが、それまで待つと花と隊の距離が広がる。だからと言って隊列を止め、花を取ってくるまで待つとなると、隊そのものが危険にさらされる。ガルは、渋々、承諾した。


 アシャは、勇んで花の咲く場所へ向かった。青いバルナを手折ろうとした時、北の方角で指笛が響き、砂丘の陰から不審な人影が現れた。急がなくては。短剣でバルナの茎を切ると右手に持ち、左手で手綱を取って飛び乗った。

 砂丘の人影は、砂鳥に乗っている。全員走り出した。アシャに向かってくるのか。

でも大丈夫。アシャの砂鳥ウィキは、ラッカード一の脚を持つ。追いつけるはずがない。

 人影はどんどん近づく。彼らが乗る砂鳥は思いのほか早い。長身でがっしりした男達だと分かるほど近づいた。先頭のひときわ体格の良い男は、きらびやかな青い服を着ている。

 こんな時に限って、ウィキは自慢の脚力を発揮してくれない。アシャは囁きかけた。

「ウィキ、お願い、いつも通り、もっと速く」

「クルル」

 どうしたことだ。苦し気な鳴き声、目は充血している。呼吸も荒い。

「ウィキ?」

 砂鳥の脚は突然止まり、よたよたしたと思ったら座り込んでしまった。

 アシャはウィキの背から降り立った。黄色い砂が舞い上がる。大地を踏みしめ、男たちに向き直った。

 十人いる。

 バルナの花を右手に持ったまま、短剣を左手で構えた。熱い砂の上に花を投げれば、瞬く間にしおれてしまうだろう。

 男達を乗せた砂鳥が、アシャの前で足を止めた。

「いい服に、いい砂鳥。高貴な若いご婦人か、高級奴隷かと期待したが。髪も生え変わらない子供だとは。しかも、相当のじゃじゃ馬だ」

 先頭の体格の良い男が、鳥の背から降りながら言った。青い服は擦り切れ、所々破れているが、一目で高級な織物だとわかる。

「確かに、換羽前では、・・・・・・でも、商品としては価値があります。一年以内に換羽するでしょう。そうすれば、目玉が飛び出るほどの高値がつきます」

 右隣にやって来た年長の男が言った。左耳が欠けている。彼も砂鳥から降りた。

「そうか?シキオ・チェルニ。お前は目利きだと言われているが・・・・・・。いや、さすがに、この娘にそれはないだろう」

「保証します」

「悲鳴も上げず剣を抜く子供など、従順な奴隷娘に育つまい。欲しいのは、先の長い儲け話ではない」

 アシャはキッと大男を睨みつけ、短剣の刃先を向けた。ところが、男の顔が二つに見える。慌てて瞬きをしたら、笑いが起こった。瞬きを繰り返しても視界は良くならず、顔の輪郭すら不確かになってきた。頭を振ってみたが、駄目だった。

 視界だけではない。体中の羽穴から、汗が噴き出すのが分かる。右の腕がチリチリする。手のひらが焼けるようだ。アシャは、右手に握ったバルナの花を見た。ぼやけて霞む花は、手折る前によく確かめた。毒虫はいなかった。

 バルナにたかる神経毒を持つ毒虫なんて聞いたことがない。アシャは砂漠の危険は全て知っている。

 虫ではないのか。何か仕掛けられたか。

 アシャはバルナの茎を放した。砂に落ちる音がする。柔らかな花びらが萎れていくのを思うと、砂漠の竜に謝罪の祈りを捧げたくなる。

 右手を畝織のズボンにこすりつけた。体がふらつく。アシャはカラリの構えをした。肩幅よりやや広く足を開いて立ち、腕を臍の前で交差させた。腰の骨だけ意識し、力を抜いて均衡を保った。なんとか立っていられる。

「ほう」

 これまでと別の男の声がした。軽やかな足音が近づく。片目を覆う黒い眼帯が、おぼろげながらアシャにも見えた。かすかな別の音にアシャは気が付いた。

「オコ・ヌートル、これをどう思う?」

 首領が眼帯の男に聞いた。

「カラリの構えです。幼いころから身に着けているなら、それなりの身分の者。高位の貴族か、大きな財のある商人の子供。少女なら、商人の可能性が高いでしょう」

オコと呼ばれた男の声が答え、シキオの声が続けた。

「・・・・・・もしくは、その相手用の奴隷」

 アシャに近づく気配がする。上空の音は更にはっきりしてきた。

 足音がアシャの前で止まった。『緊急時は左へ』の約束通り、アシャはできるだけ素早く、左に二歩動いた。二歩目を踏み込んだ時、シキオがアシャの右に倒れた。

 驚く盗賊たちの声を聞き、アシャは状況が想像できた。突然、空から降って来た男に、度肝を抜かれただろう。

 素早く拘束具を嵌める音がする。シキオのうめき声と、もがいて砂が動く音も。

「ヴェン」

 アシャはそう叫んだつもりだったが、口から出たのはシキオと同じうめき声でしかない。

「タフトの綱に掴まれ!」

 アシャの頭上に、さっきよりずっと大きな羽音がする。アシャは、上に向かって手を伸ばす。だが、つかめない。

「少し左」

 ヴェンは叫ぶと、近づく敵に向き合った。

 突進してきた片目のオコ・ヌートル体の下に入り、両腕を掴み真下に引きながら、脚の間をくぐる。オコが走って来た勢いを利用し、その腕を放した。オコの身体は回転しながら宙を舞い、背中から地面に落ちた。

 ヴェンは落ちたオコに走り寄ると、転がして拘束具を絡めた。

 アシャはタフトにつながる綱を掴もうとした。だが、もう、手を上げる力もなかった。目は焦点が合わず、色のついた丸や線が幾重にも重なる。それも、外側から徐々に暗くなり、見える範囲が狭まる。

 完全に真っ暗になった。耳元で、虫が鳴いているような音がする。

アシャが覚えているのはそれが最後だった。

 同じ頃、首領の男は、ヴェンの背後から近づいた。ヴェンは飛び上がり、宙返りしながら首領の肩に右手をついた。左手で頭のてっぺんの髪をつかみ、そこを支点に回転し、首領の肩の上にどかっと座った。両脚で首を絞めあげる。

 あっけに取られて見ていた他の男たちは、我に返り走り寄った。

 賢いタフトはアシャの近くに降りようとした。しかし、立ったまま意識を失っていたアシャは、羽が巻き起こす風に煽られ、バランスを崩し傾いた。

「つっ!」

 ヴェンは男の首から脚を外し、取り囲む男達の肩や頭を踏み越え、アシャに駆け寄った。崩れ落ちる体を抱き留め、タフトの綱をつかみ、大地を蹴る。

「綱を放せ、鳥を射るぞ、」

 矢の狙いをタフトに向けた盗賊の一人が、低く脅した。

 既に体一つ分の高さまで上がっている。これ以上の高さから地上に落ちれば助からない。

 ヴェンはおとなしく綱を手放し、アシャを抱いて着地した。短く二回口笛を吹くと、タフトは命令通り飛び去った。ラッカードの隊を探し、合流するはずだ。

 二人を囲む賊の輪は、じりじりと小さくなっていく。

 

 気が付いたアシャの目に飛び込んできたのは、いつも隣にいる、頼りになるヴェンの顔。

 ヴェンの顔は、あちこち腫れている。色の変わった場所もある。唇の端が深く切れている。アシャはヴェンの褐色の髪をかき上げ、自分の上着の袖で顔の汚れを拭いた。血の気が失せ、いつも以上に肌が黄色い。彫りの深い顔は松明の光を受け、昼よりも陰影が強調される。鼻を殴られなくてよかった。そんなことになって、鼻がつぶれてしまったら大変だ。ヴェンの横顔は彫刻のようだと言う隊の女たちは、アシャを決して許さないだろう。

 風よけの口布が外されていた。盗賊たちが外したのだろう。口の中を調べたら、数か所切れていた。風を防ぐ目の細かい布は、胃の腑にたまった血を吐けば、防波堤のようにその流れを止めるだろう。つけたままなら息を詰めてしまうかもしれない。乾いた風にさらされて、唇は乾燥し、ひび割れていた。服もあちこちが裂けている。そこから覗く肌には、浅い刀傷がいくつもある。骨は、どこも折れていないようだ。背中の真ん中に大きな痣があった。そこを強打され、ヴェンは意識を失ったのだろう。

 ヴェンは、体は小さいが凄腕のカラリ使いだ。意識を失わせる以外、ヴェンの抵抗を止める方法がなかったのだ。抵抗すればするほど、ヴェンの傷は酷くなったはず。骨の二、三本が折れてしまったに違いない。アシャたちを捕らえた者は、必要以上にヴェンに傷をつける事を避けた。

 左腕の長い刀傷には、傷合わせの布が隙間なく貼られている。跡も残らずに付くだろう。全ての傷口から砂が取り払われ清められ、必要な場所には薬が塗られていた。

 奴らは本当に悪党になのだろうか。なぶり殺しにしても、おかしくない状況なのに。

 アシャは、自分の右の手に巻かれた布を見た。解毒薬をしみこませた布だろう。解毒は口からも与えられたはずだ。半日で回復しているのは、それ以外考えられない。

 彼らには、毒薬まで使って捕まえたい者がいる。なのに、捕まえた相手を手厚く治療する。矛盾する行動の意味は何だ。彼らは何者で、誰を捕まえる気だったのだろう。

 ウィキも目覚めたようだ。隣の檻の中、座ったまま首をかしげている。アシャに向かって小さく鳴いた。ウィキは柵の間からくちばしを出し、柵の隙間から出ようと、何度が体をぶつけた。

「ウィキ、だめ。けがしちゃう。今はおとなしくして、必ず出してあげる。だから、餌を食べて。しっかり力をつけてね」

 檻の隅に置かれた餌箱と水を指さして優しく言うと、ウィキは諦め、僅かな水に口をつけた。ヴェンは穏やかな寝息を立てている。

「水を頂戴」

 アシャは叫んだ。砂丘の頂は月光に照らされ、砂粒が夜風でさらさらと煌めく。檻の中にいなければ、大好きな景色なのに。

 幼いころ、旅に出るたび、夜はテントを抜けて月を眺めた。砂漠馬の背中にもたれて夜空を見ていると、なぜばれてしまうのか、必ずヴェンが合流した。ヴェンは毛布を抱えていて、それを広げアシャの隣に滑り込む。ぬくぬくの毛布に二人で包まって、ククピの実をかじり月光に浮かび上がる砂丘を眺めた。月の光が弱い夜は星を探した。ヴェンがポケットから取り出し一つずつくれるククピの実は、甘くてほろ苦い。ククピ実が無くなる時がテントに戻る時間。約束しているわけでもない。言葉を交わすわけでもない。けれど、いつもそうだった。

 十二歳を過ぎた頃から、アシャはテントを抜け出すのをやめた。砂丘の頂の美しさが見えているのはアシャだけで、ヴェンには見えていないのだと知ったから。砂漠の民はアシャほど夜目が利かない。夜目が利くのは道案内人の一族だけだ。アシャを一人にできないからヴェンは付き添っているだけだと、同じテントになった女たちから聞かされた。それからは、テントの隙間からそっと一人で眺める事にした。


 握った鉄製の柵は思った以上に冷たかった。凍みと共に不安が這い上がる。それを振り払うようにアシャは手を放した。

 檻と岩場の中間地点に砂鳥が座っている。翼の下に頭を入れじっとしている。彼らの向こうの砂漠馬も穏やかに腹を上下させている。砂鳥は十八羽、砂漠馬は二十八頭。アシャは何度も数えた。荷車の数も、檻の数も、檻の柵の本数も。この檻の柵は四十六本。もう、覚えた。

 砂鳥や砂漠馬の眠りは浅い。砂漠馬の耳は音がするたび微かに動いている。その音が危険なものなら、間髪入れず立ち上がり一目散に逃げるだろう。

 たった一人の見張り番は酒に酔い、大の字で眠っている。見張り番の膨らんだ腹が大きく上下する。腹に巻かれたベルトの左脇に鍵の束が挟まれている。呼吸でベルトと腹の隙間が広がるたびに、鍵は重力に従い背中に向かって移動していく。アシャは時々、鍵の位置を確認した。寝返りでもすれば、砂の上に鍵束が落ちるかもしれない。砂の上に落ちれば、手に入れる手段が無いわけではない。

「水を頂戴」

 力いっぱい叫んでも、見張り番はいびきをかいたままだ。

 三日月の蒼く怜悧な光と赤味がかった暖かな松明の燃える炎が、盗賊たちの砦の入り口を照らす。

 アシャはため息をついた。

 ここはどこだろう。湖の国に近いはずだ。いつも通るルートからは北に外れているが、星の位置が違って見えるほどではない。アシャ達が居る場所は砂漠に点在する岩場だ。岩の周りには草があるが樹木は無い。砂漠から草原に移行する手前だ。一日か二日で湖の国との国境だろう。

 八ある檻は荷車に乗せられている。アシャたちの檻以外は全て空だ。見張りを除いた盗賊たちは、砦の中で全員寝ている。砂漠狼を引き寄せないためには、人影を見せない方がいい。それに、たった二人の奴隷なら見張りは一人で十分だ。

星の位置を確かめるために、アシャは右の人差し指と中指を立てて右目の前に構えた。手枷を繋ぐ鉄の鎖が重たげな音を立てる。手枷の内側は汚れてはいるが柔らかな皮が張られていた。

 この盗賊たちはよく言えば人道的、悪く言えば甘い。彼らの期待に沿えなくて申し訳ないが、アシャは生きるために必要な狡猾さも冷酷さもとっくに身につけている。砂漠を本拠地とし過酷な旅をする、この国一の商隊の長の子供なら当然だ。でも、盗賊たちはアシャが誰かは知らない。

「水を頂戴!」

 見張りの男が起きる気配はない。目覚めればいいのに。目をこすりながら水を持って来るはずだ。後は簡単。柵の間から見張りの腕を掴み、力いっぱい引けばいい。丁度よい角度で柵に頭を打ち付ければ、見張りは意識を失うだろう。鼻をぶつけてやってもいい。痛みに気を取られている隙に、鍵束を頂戴する。朝飯前だ。

見張りをおびき寄せるために、アシャは更に声を張り上げた。

「水を持ってきて!」

大きな声に砂漠馬は何事かと瞼を上げ、首をひねった。砂鳥も翼から顔を出し、頭をもたげる。声が檻の中からだとわかると、再び眠りに入った。奴隷の叫びなど、彼らにとって風の音に等しい。

「水!水!」

 アシャは続けて叫んだ。今度は馬が耳の先を動かす程度だ。いびきも止みそうにない。

 月が傾く西の空、あの果ての砂漠に竜が居る。砂漠で愚かな行いをすれば、竜が怒って砂漠狼を差し向ける。言い伝えが本当なら、今夜、きっとそうなるはずだ。

 ならば、砂漠狼よ、やって来い。

 こんな奴らにつかまってしまった浅はかな自分も、見張りのくせに酒に溺れるだらしない男も、ラッカードの商隊に手を出した身の程知らずの盗賊たちも、皆、愚かだ。全員、砂漠狼に噛み殺されればいいのだ。

 ああ、でも、だめ。ヴェンだけは噛み殺させる訳にはいかない。ちゃんと家族に返さなければ。意識が戻らないヴェンを連れて、ラッカードの隊に戻るにはどうすればいいのだろう。できるだろうか。

 涙がこみ上げて来た。

 バルナの花など取りにいかなければよかった。ヴェンは、もう健康なのだ。無理をして手に入れる必要はなかった。ガルに功を立てるはずが、こんなことになるなんて。

「水を頂戴、お願いだから」

 頬をぬぐい、もう一度大きな声で叫んだ。いびきは、全く変わらない。

 しばらくすると、洞窟から人が出て来た。歩幅の広い足音がする。聞き覚えがある。

「騒ぐな。砂漠狼が聞きつける」

 男は低くたしなめた。首領だ。

 お盆の上に干し肉とヘンの実を乗せていた。砂漠馬の乳の入った碗も二つあった。男は盆を荷車の端に置いて、ヘンの実を柵に数か所ぶつけると素手で二つに割った。盗賊や奴隷商人なら剣の柄で叩き割る。

「お前は高い身分の生まれだな」

 アシャは、その慣れた手つきを見て思わずつぶやいた。

「見ての通り、盗賊で奴隷商人の首領だ。タオ。お前は?」

 タオはアシャに尋ねた。尋ね方があいまいなせいで、アシャは口をつぐんでいられた。

 タオは干し肉と碗を柵の間から差し入れた。左手首の内側に三角の印が四つあった。ヘルダの印だ。母親が卵に着けたヘルダの染料の印は、生まれた子供の体のどこかに必ず付いている。アシャはその印を何度も見た気がする。

「中古の高級家具に、その印を見たことがある」

 またもや、思った事をそのまま言ってしまった。バルナの花に使われた毒は口を滑らせてしまうようだ。それとも、解毒剤の方か。

「目ざといな」

 タオはアシャを軽くにらみ、ずれた防具を手首に戻した。

「タオ、苗字はなんだ。その印が付く者には苗字があるはずだ。檻は空だ、奴隷は居ない。奴隷商人のふりをしているだけだろう。誰を捕らえるつもりだ」

 聞かずにとっておくつもりだった質問をしてしまった。

 タオはさっきよりも強くにらんだ。

「関係ない」

「わたしを奴隷にするのか」

 タオはアシャをしばらく眺めた。檻の柵の間から右腕を入れ、アシャの顎を掴んだ。値踏みをするような視線が舐めるように下がる。顎を放し髪に触れようとした隙に、アシャはその手から逃げた。

「お前の換羽を待てるほど、金にも時間にも余裕がない。身代金をいただく。親は誰だ?」

 アシャは十四歳。髪はまだ幼生の羽毛だ。ふわふわした黄色味がかった茶色で、腰まで伸びたそれを編み込んでから後ろで三つ編みにして垂らしている。換羽が済むまでは定まらない姿とは言え、アシャの姿は砂漠の民とはかけ離れている。透き通った水色の瞳。白い肌は砂漠の日差しに照らされても黒くも黄色くもならない。砂漠の民らしくないのも、換羽が遅いのも、アシャには不服でならない。

 砂漠の民の多くは黄色から褐色の肌に、褐色の髪、褐色から琥珀色の瞳を持っている。瞳は個人差が大きく、紫や濃い青色、漆黒に見える瞳の者もいる。だが、アシャのような透明な水色の者など居ない。ごくまれに、貴族で、金髪に濃い褐色の肌、青い目の砂漠の民が生まれることもあるらしい。そういう子供が孵った時は、『竜の女神の贈り物』と大切にされる。アシャは、それでもない。

ラッカードの兄弟たちは混血ではあるが、生粋の砂漠の民に近い。典型的な砂漠の民の姿、筋肉質で背が高く、褐色の瞳に褐色の髪だ。肌は黄色い。

「薬が効いてないのか、それとも根性で答えないのか」

 タオは意外そうにアシャを見た。答えないのではない。答えられないのだ。本当の親が誰か知らない。養い親の名を聞かれていないから、ガルの名を口にせずにすんだ。

 タオは答えないアシャをにらみ、名前を引き出そうとする。しばし沈黙が流れた。ヘンの実の甘い匂いがする。張りつめた静寂の中で、アシャの腹が大きな音を立てて鳴った。

 ヴェンが小さなため息を漏らし、僅かに体を動かした。

「そろそろ麻酔が切れたか」

「ヴェン、大丈夫か」

 眉根にしわを寄せながら、ヴェンは睫毛を震わせた。

 タオはにやりと笑った。

「お前、ヴェンと呼んだか」

 アシャは口を引き結んだ。

「あの大きな鳥。なるほど、噂の鳥使い、ヴェン・ラッカードか。話に聞くよりずっと若いな。年かさの大男かと思っていた。女のような顔の少年だったとは」

 タオは一人で頷いて、ちらりとアシャの表情を窺った。

「と、なると、ガル・ラッカードの商隊だな。たんまり身代金をもらえそうだ。お前は砂漠の民ではないのに、なぜラッカードの隊に居るのだ?しかも、ヴェンが助けに来た上に、身を挺して守ろうとするなんて。ヴェン・ラッカードの側室なのか。側室に換羽前の子供をあてがうとは驚きだ。大商隊は、砂漠の掟も無視なのだな」

 アシャは俯いたまま震える手でヴェンの背中をさすった。また眠ったようだ。

 震えている理由は恐怖でも寒さでもなく、怒りだ。側室など、最大の侮辱だ。ラッカード家は側室など必要としない。人生を共に歩む相手は、唯一人に決まっている。わき道にそれてしまえば、砂漠の道に迷うではないか。運命の相手と卵を儲けられるかどうかは、竜の思し召し。卵を儲けるためだけに側室が必要だなどと考えるのは、貴族だけだ。

 ヴエンは身分ある美しい砂漠の女性と生涯を共にするだろう。そんなに先ではない。アシャが換羽してしまえば、相手探しの旅に出る。・・・・・・アシャを置いて。

 アシャは口を滑らせないように気を付けながら、言葉を発した。

「水を頂戴」

「水は動物や鳥たち用だ。砂漠馬の乳で我慢しろ」

 タオは踵を返し、洞窟へと去っていった。


 足音が消えてしばらくしてから、ヴェンは目を開けた。

「ヴェン、分かるか、わたしだ」

 アシャが覗き込む。

 寝たふりしていただけだ。さっきから、全部聞いている。

「・・・・・・何もされなかったか」

 アシャはこくこくと頷いた。

 ヴェンはゆっくりと起き上がった。

「ざまあないな」

「申し訳ない。わたしのせいで」

 ヴェンは首を振った。

「顔を上げろ。情けないのは、俺の方だ」

 ヴェンは右手でアシャの頭を撫でてから、頬を手のひらで包んだ。さっき来た男、盗賊の首領タオはアシャの顎を掴んだ。薄く開けた睫毛越しに、ヴェンはそれを見ていた。顎の先に人差し指と中指を引っかけて、伏せたアシャの顔が見えるように持ち上げた。アシャの目元は、薄っすら涙が浮かんでいた。

「諦めるな、逃げるチャンスはある。まずは、腹ごしらえ」

 ヴェンは顎から手を放し、床の上の碗を取り上げ啜った。わざとずるずると音を立てる。干し肉を裂いて一つをアシャに投げた。アシャは食べようとしない。

普通の女の子だったら、きっと優しく諭して食べさせる。だが、相手はアシャだ。

「さっき、あんなにでっかい音で腹が鳴っていたくせに。食え。食わないと逃げられないぞ。それとも、逃げる気のない弱虫か?」

 意地悪く低く張った声で言う。アシャははじかれたように顔を上げた。アシャの顔にみるみる血の気が戻り、怒りで瞳が光る。

 ヴェンはアシャに目を合わせ、しっかりにらんでから、僅かに右の口角を上げた。

「弱虫なんかじゃない」

 アシャもヴェンを睨みつけ、目尻を服の袖で拭くと、干し肉に手を伸ばした。

 俯いたまま、食べ物を口に運ぶアシャ。伏せたまつ毛の先には、まだ少しだけ小さな水の粒があった。もぐもぐと動く赤い唇。まるでホホタの木の実をかじるげっ歯類のようだ。ヴェンはひとり微笑んだ。普段は隊の者が一緒で、こんなにじっとアシャを見詰められない。

 音が聞こえるほどの勢いでアシャは口の中の物を飲み込んだ。喉に詰めかけて、四苦八苦している。ヴェンは碗を差し出した。アシャはそれを受け取ると、急いで口に運んだ。必死な様子に、ヴェンは笑い声を漏らしそうになった。何とか飲み込んだ後、自分のそそっかしさに、アシャは笑い出した。ヴェンもつられて笑い声が出てしまった。笑いが収まると、アシャは干し肉を前歯でバリっとかみ切きり、にやりと笑った。

 その時、一瞬、月光が揺らいだ。アシャは空を見上げた。

「月の光が揺らいだ。なに?・・・・・・竜が飛んでいる!」

「珍しいな。どこの営巣地の竜だろう。何色の鱗か見えるか?」

「緑の鱗。かなり大きい」

 二人は檻の柵に顔を付けた。ヴェンには月の前を影が動いているとしか見えない。

「緑の鱗なら、森の竜だ。森の竜が砂漠に来るなんておかしい。しかも、一匹。群れじゃない」

「おかしいわ。人に臍(へそ)があるのと同じぐらい変よ」

 その時、雷鳴が響き、稲妻が走った。光が空を切り裂き、竜に直撃した。

二人は腰を浮かした。 

 竜は空を滑り落ちる。空の中ほどで、再び羽ばたきを始めた。

「竜の体から、何か落ちた。あの竜が長だったらどうしよう! 玉を落としたなら、次の長がいなくなるわ!」

 アシャが叫んだ。

 竜は落とした何かを追うように、急下降した。しかし、雷がかすかに光ると方向を変え、上空へ舞い戻り、雷が光った方向へ火を吐いた。

 もう一度、大きな雷が光った。雷は砂漠に落ちず、再度、竜にぶつかった。竜はひるんだが、火を吐きながら必死に羽ばたいた。しかし、三度目の雷を受けると、失速し、くるくると旋回しながら砂丘に落ちた。

「なんてこと‼」

 アシャは一声叫ぶと口を覆った。

 さすがに見張りも目を覚ましたようだ。叫び声を上げながら洞窟に駆け込んだ。

 洞窟の中から大きな声が聞こえる。見張りの男の言葉を仲間は信じないようだ。見た者でなければ信じられないだろう。

 見張りの男は叱責されていた。

「夢でも見たのだろう、酔っぱらい。雷くらいで」

「取り乱し過ぎだ。今日は失態ばかりじゃないか、大事な卵守を見失いやがって」

「寝ぼけていないで見張りに戻れよ」

 洞窟の中の盗賊たちは誰も出てこない。この機に乗じて逃げられるかもしれない。

 竜のことを思うと食欲はわかない。だが、逃げるには腹ごしらえが必要だ。次は、いつ食べられるかわかったものじゃない。ヴェンはアシャをせかし、食事を再開した。

 食事がすんでお椀を重ねた頃、北の空の高いところに明るく光るものが現れた。

流れ星だろうか。星のように輝いている。

 それはすぐに大きくなった。空の途中で消えることなく、火の玉となって大空を斜めによぎる。

「約束の書の予言みたい」

アシャがヴェンの手を取った。

「竜が雷に撃たれ、星が落ちる」

ヴェンはしっかり握った。

 洞窟に居た者達も駆け出して来た。皆、落ちてくる大きな火の玉を見ていた。

檻の少し向こうの砂の上、見張り番が寝ていた場所に光を反射する物がある。アシャがヴェンの袖を引いた。ヴェンが頷くとアシャは懐から鞭を取り出し、それめがけて投げた。鞭は正確に光る物に巻き付き、手元に戻った。鍵束だった。

 火の玉は、竜よりさらに西の砂漠に落ちた。大地が揺れ、大きな音がし、強い風がやって来た。盗賊たちは、口々に何かを言い合い、西を指さしている。鳥も馬も立ち上がり凍り付いたように動けないでいた。

 ヴェンとアシャは頷きあった。互いの拘束具の鍵を開け、アシャが檻の鍵を開け、音も無く外に出てウィキの檻も開けた。ヴェンも痛みに耐えて檻から出ると、数頭の砂漠馬の綱を解いて行った。一頭の馬の尻を叩くと、驚いた馬はいなないて棹立ちになり、光と轟音の反対の方向、東に向かって走り出した。

 走り出した一頭を追うように、次々と馬たちが走り出した。馬の群れが疾走する。綱が付いたままの馬は、走り出そうと嘶き暴れる。恐怖のため立ち止まったままの砂鳥に、後方から走って来た馬がぶつかり、二頭が倒れる。最初に走り出した群れに合流できなかった馬は、慌ててばらばらの方向に走り、荷車にぶつかる。荷車が傾き、音を立てながら荷が崩れて砂に散らばる。盗賊たちは騒ぎに気付き、砂漠馬を口笛で呼んだ。だが、物音で口笛は響かず、馬の群れを止める事は出来ない。

 砂鳥は動けないまま、身を寄せ合っていた。

東の砂丘の頂から、砂漠狼の群れが現れた。狼の雄叫びに、人も馬もUターンし、パニックがさらに広がる。

 二人は一番近くの砂鳥の綱を取り、不安を取り除く胸の上のツボを押した。ヴェンは近くに置かれた非常持ち出し用の布袋を三個掴んだ。アシャはウィキの綱を取った。二人は砂鳥に跨り、西へ一気に駆け出した。盗賊たちは二人が逃げた事に気づかない。全てが酷く混乱していた。二人を乗せた砂鳥とウィキが砦の西の砂丘の陰に入っても、砂漠馬の嘶きと彼らをまとめようとする人々の声は続いていた。

二人は願っていた通り、騒ぎに乗じて脱出した。


 しばらく駆けた後、歩を緩め歩き出した。月の沈みかけた夜空に、さっきよりくっきりと星が浮き上がる。アシャにとって星は地図と同じだ。アシャの星に関する知識は時刻と方位を知るためのもの。女の子が好む占星術はさっぱりだ。

商隊の若い女たちは、占いをしょっちゅうしている。占いの合間に、誰が色男だとか誰と誰がいい仲だとかのおしゃべりをして過ごす。ムダでばかばかしいと思ったし、あまり興味を待てなかった。そんなアシャは、いつもからかわれ諭されていた。

「女の子らしい事を何もしないのね、アシャ。だから、いつまでも髪が生え変わらないのよ」

「お転婆もほどほどほどにしなさいよ」

「そうよ、厄介ごとばかりに巻き込まれるのだから。ヴェンに迷惑かけないでね」

「大人しく占いを身につければいいのよ。占いを学ぶのは大切よ。客が何を信じているかで、売れる商品が違うのよ。商人になるなら、知っておかなくちゃ」

「そうそう、占いの結果を信じて、服の色や化粧を変える女は多いわ。客の服の色合わせで、境遇や目的を知る。それによって、勧める商品が違ってくるのよ」

口うるさかった彼女たち。それなのに、何も学ばず、改めなかった。こんな羽目に陥る前に、彼女たちの言葉を聞き入れるべきだった。

 やってしまった失敗も、受けた痛手も、後悔するだけではだめだ。ここから挽回しなくては。皆が大切にするヴェンを商隊に合流させるのが、今のアシャの使命だ。

 アシャは月と星を読むことに集中した。

 今、西に向かっている。砂漠の都に一直線だ。三日月は半分以上地平線の下、沈めば真夜中。上等な女には必要ない月読みと星読みの知識は、夜中に逃亡する羽目に陥った時だけは有用だ。

 もうすぐ月が沈む。視力を失ったヴェンと砂鳥を、慌てさせないようになだめすかしながら、アシャは西を目指した。

 心配ない、やるべきことは知っている。月が完全に沈む前に、隠れられる岩を見つけよう。最初にたどり着いた岩陰でいい。空から月が消えてしまえば、盗賊たちには、アシャ達が見えるはずも、追いつけるはずもないのだから。



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