Blue Moon

コウユリン

第1話

 時期の割には暖かいね、なんて話していたのは、つい先週のこと。十二月に入ると、空気が急に冷たくなった。買ってもらったばかりの紺のpコートはお気に入りだけれど、えりもとが広くあいていて、そこから風が入り込む。

明日はマフラーもつけてこよう。あと、手袋も。きゅっと肩をすくめながら真野美冬は手をさする。

 「あーあ、明日の昼休みもドッジかなぁ…。図書室行って借りたい本があるんだけど」

 「どうかなぁ。でも、西野先生いっつも『さぁ、みんな!外で一緒に遊ぶよ!』って言ってるし、そうなんじゃない?」

 やっぱりかぁ、と美冬はため息をつく。特別運動神経が悪いわけじゃない。ドッジボールも特別下手じゃない。基本、逃げる専門だけど。ただ、そんなことより美冬は図書室に行きたかった。借りた本を読んでいる間だけは、全く違う世界にいける。ファンタジーの世界でも、そうじゃなくても。歴史の本だってそう。現実にあったことをただ書いているだけだけど、平成の時代に生きる美冬には、平安時代のお姫様なんて十分ファンタジーだ。

 家でごろごろしながらテレビを見たり本を読んだり、ということはあきらめて、がんばって学校に来ているのだ。休み時間くらい好きに過ごさせてほしい。そんなささいな願いも、熱血担任の四年生になってからは叶いづらくなった。

 おまけに、この寒さだ。外遊び大好きなクラスメイトたちは、そんなこと気にもならないようだが、あいにく美冬は違う。

 暖かい教室で、ただぬくぬくしていたいのに。

 「めんどくさいなぁ…」

 心の声が口から出てしまった美冬に、結衣は苦笑した。

 「美冬、いっつもめんどくさいって言ってる」

 「そう?」

 とぼけていってみるものの、そんなことは美冬自身わかっている。

 でも、めんどうくさいのだ。しかたがない。

 また明日、と手を振る結衣に、美冬はあいまいな笑顔で手を振り返した。



 好きで四年生になってない。

 勝手に時間がたっただけだ。

 好きでお姉ちゃんになってない。

 美冬に断りもなく、お母さんが弟を産んだだけだ。

 集団登校で早々に副班長になってしまったのだって、好きでなったんじゃない。

 たまたま家の近所に、上級生が一人しかいなかっただけだ。

 なのに、「もう四年生なんだから」「お姉ちゃんのくせに」「副班長さんだったら」とか言われる。

 そんなの知らない、美冬のせいじゃない。でも、そう言ってもそれは全てただのわがままのように非難される。

 そういう全てが、めんどうくさいなぁと美冬は思う。

 だからといって家出をするほどじゃないし、他のすべてを捨てられるわけでもない。

 それなりに友達もいて、家族もうるさいけどまぁ好きで、勉強も大体わかっている。

 特別、何も困ってはいない。不自由もしていない。

 でも、なんか毎日つまらない。

 どこかへいけたらいいのに。図書室の本の中に広がる、別世界のどこかに。

そんなことを思いながら、美冬はため息をついた。

 「つまんない」

 声に出して、はっと美冬は口に手を当てた。さっきもそうだが、最近気が付けば心の声が外に出てしまっている。その内お母さんや先生に「うるさいなぁ」なんて言ってしまいそうだ、と頭を横に振る。

 「そんなにつまらない?」

 不意に声がしたのはそのときだ。美冬は驚いて周りを見渡す。だが誰もいない。

気のせい?

それにしてはあまりにはっきりと声がしたけど、と思いながらもう一度前を見て、目を見開いた。

 少女がいる。

 鼻先がくっつきそうなほど近い場所に、ついさっきまでいなかったはずの女の子が。

 声を出すことも忘れ、美冬はただ目を見開き、あとずさる。そのはずみでつい尻もちをついてしまったのをみて、少女は涼やかに笑った。

 「すまない、驚かせたか?」

 そういいながら、すっと手を伸ばしてきた。腰を抜かしたままの美冬は、少女の手をとってどうにか立ち上がる。

 ただ手を差し出してくれただけ。でも、何かが違った。なんだろう、と考えてふと気づく。上品だった。アニメでみたプリンセスのように、彼女は優雅に手を差し伸べていた。

 美しく微笑みながら。

 ありがとう、と口の中だけで言いながら、美冬はじっと彼女を見つめる。

 肩で短く切りそろえられた髪は、真っ黒でわずかなクセもなく、とても美しい。まるで日本人形のようなその前髪の奥から、澄み切った漆黒の瞳が美冬をとらえていた。

 彼女を、知っている気がした。誰かに似ているのかもしれない。

 でもそれが誰なのかはわからない。無言のままの美冬の手を、少女はそっと離した。

 「私は、シャナ。おまえは?」

 「え…みふゆ。真野、美冬」

 「そう、美冬」

  見知らぬ少女に「おまえ」と言われたのに、美冬は腹がたつこともなく、ただ問いに答えていた。いい名だ、と呟き、シャナと名乗った少女はにっと口の端をあげる。

 「私もいつも、毎日をつまらないと思っていた。だから、ここへきた。同じ思いを持つ者同士が出会えたのも何かの縁だな」

 シャナは、美冬に微笑みかけた。


 いつも通りつまらない学校、いつも通りの結衣との帰り道。だが、今「いつもどおり」ではないことが美冬に起きていた。

 美冬とほとんど背丈の変わらない、今日初めて会った少女が、隣を歩いている。

 彼女は美冬の話をたくさん聞いてくれた。

毎日、何がつまらないのか?

何、ということもないほどのぼんやりとしたもの。

でもそうたとえば、学校での休み時間の過し方が自分の思うようにならないこととか。

 背筋を伸ばしなさいとか、脱いだコートは掛けなさいとか、いちいちお母さんが口うるさいこととか。

今年一年生の弟は、何かと生意気なくせに、少し分が悪くなったら小さな子どもに戻ってお父さんたちに言いつけてくるとか。

結衣とは親友だし大事だけれど、意見が分かれたときには必ず自分の意見を押し通して来るとか。

今図工で描いている「友達の顔」がどうにもうまく描けないこととか……。

口にしてしまうと、本当にささいなこと。友達にそんなことを言われたら、「たいしたことないじゃない」とか言ってしまいそうなくらい。それでもその時々に美冬の心をざわつかせることなのは確かで。

ぐちぐち話す美冬を、シャナは時折あいづちを打ちながら、興味深そうに聞いていた。

 美冬はどちらかといえば人見知りするほうで、初対面の相手にこんなに色々な話をしたことはなかった。初対面どころか、結衣や母親にだって。こんな話はしていないかもしれない。でも、一見近寄りがたい、この完成された美少女にはなぜかとても話しやすかった。

 シャナが似ている「誰か」。頭にもやがかかったように思い出せないけれど、その「誰か」が美冬にとって話しやすい相手だからなのかもしれない。

 うれしさと不思議さと、いろんな思いが美冬をわくわくさせていた。普段の下校はこんなに長くない。いつしか自分が家に帰る道からそれた場所を歩いていたことに、気づいてはいたが、もっとたくさん話していたい、その想いから、シャナの進む道を共に歩き続けた。

 校区外かもしれない、あまり見慣れない道に入ったとき、ふと美冬はシャナを見つめた。

 「そういえば、シャナは何がつまらないの?」

 「私か? 私は…」

 こんなに美しい姿を持っているのに、それでもつまらないことがそんなにあるのか。尋ねた美冬にシャナが答えようとした、その時。

 「危ない!」 

 突然シャナに腕を強く引かれた。つかまれた手首があまりに痛くて、文句を言おうとした美冬は、目の前の光景に言葉を失った。

 少年がいた。年は美冬と同じくらいだろうか。シャナと同じ真っ黒な髪を、男子にしては少し長めに伸ばし、きつくしばっていた。

 驚いたのはその瞳。日本人ではまず見ないような、深く美しい青。そして、

 その瞳の、シャナを見つめる眼光の鋭さ。

 着物とも洋服とも付かない、不思議な服装のその少年を、シャナもじっとにらみ返していた。先ほどまで美冬と話していた表情とは全く違う。

 「こんな所まできたのか、コウ」

 「それはこちらのセリフだ、シャナ。逃げることなど出来ないと、わかっているだろうに」

 「そんなことは知っているとも」

 「だったら…」

 「それでも、少し遊んでみたかったのさ」

 コウ、と呼んだ少年の言葉をさえぎると、シャナはにやりと笑った。そして美冬の手をぐっと引くと、彼に向って何かを投げつけた。

 とたんに白い煙が派手に上がり、一瞬で彼の姿は見えなくなる。行くぞ、と口早に美冬につぶやき、シャナは全力で走り出す。

 「なにを…っ! 待て、シャナ!」

 後ろでコウが叫ぶが、煙に目とのどをやられたのか、動けず咳き込んでいるらしい。

何が起こっているのか、彼は大丈夫なのか

 そして、突然自分が関わってしまったこの二人は何者なのか。

 わけがわからないまま、美冬はただシャナに連れられ走った。


 

 普段、こんなに全力で走るのは、体育での100メートル走くらい。それよりはるかに長い距離を走らされ、美冬は呼吸も足も限界だった。何を言うことも考えることも出来ないままどうにか息を整える。顔を上げられたのは、シャナが足をとめてから3分は経っていただろうか。

訊きたいことは山のようにあったが、ひとまずあたりを見渡した。

そこは森だった。

校区外でも、近いところなら結衣たちと探検している。親には秘密のまま、少しずつ少しずつ、その範囲を広げていた。だが、ここは全く来たことのない場所だった。木以外のものが見えないほど広く、枝を踏む音が響くほどに静かだった。

「すまなかったな。大丈夫か?」

初めに出会ったときと同じように、シャナが手を伸ばす。だがその手をとらず、美冬はシャナを見つめる。

「…あなたは一体だれ? さっきの子は? そしてここはどこ?」

静かに問う美冬に、シャナはすっと目を細めた。

「毎日は、つまらないだろう? なかなか実行することは出来ない、でも、ちがうどこかへいけたらいいとは思わないか?」

「それは…思うけど」

美冬は目を落とし、知らずぎゅっと手をにぎりしめた。

どこに? と問われるとわからない。だが、いつもの生活とちがうところへ行ってみたいとはいつでも思っている。なんとない不満がいっぱいの生活は、退屈で窮屈だから。

そんな美冬に、シャナは満足そうに笑った。大輪の花が咲いたように鮮やかに。

「私も、そう思った。だからここへきた」

宣言するように、おごそかにシャナが告げる。どういう意味なのか、と美冬にたずねる隙を与えず、シャナはすっと前へ手を伸ばし、指で森の奥を指し示した。

美冬に手を差し伸べたときと同じように、優雅に美しく。

「《門》」

鈴のように響く声。わけがわからずただ見開いた美冬の瞳が、がさがさと葉が揺れるのを認めた。

シャナが指し示した先から現れたのは、一人の少女だった。だが美冬やシャナよりも、いや、一年生になったばかりの美冬の弟より尚小さいかもしれない。おかっぱ頭の少女は、真っ白な着物と赤いはかまを身にまとっていた。初詣のときに見た、巫女さんのような格好だ、とぼんやりながめる美冬を、少女は少女でじっと見つめていた。

驚きの混じった顔で。

美冬とシャナを何度も何度も見比べて、少女はためいきをついた。そんな少女に、シャナは勝ちほこったように笑った。

「約束だぞ」

シャナの言葉に、少女が眉をひそめる。背後のくさむらがガサガサ、と音を立てたのはその時だった。

現れたのは、先ほどシャナを追っていた少年だった。

「さっきの…」

思わず声を出した美冬を背にしながら、シャナは舌打ちする。

そんな彼女を、息を切らしながらコウはにらみつけていた。

「ばかなことをするんじゃない!」

「おそい!」

鼻で笑うと、シャナは「《門》!」ともう一度少女に叫んだ。

「わが身代わりを見つけたぞ! 《門》よ、時空を開け!」

絶叫とも呼べるシャナの声が響き渡ったその時、少女の両の目がカッと金色に光った。驚きのあまり、声も出ず、ただただ口元に手を当てる美冬。そんな彼女をあざ笑うように、今度は低い地鳴りが響いてきた。ごごご、と山が崩れるような、地面が裂けるような低く恐ろしい音。立っていることもできず、美冬はしゃがみこんでそばの木を必死でつかんだ。

その瞳に、信じられないものが映る。

「景色が…割れてる…?」

先ほどまで、うっそうとした森がただ広がっていたその場所に、大きな穴のようなものが開いていた。空高くから地面まで、ただ真っ黒で何もない空間がそこに出来上がっているのだ。おまけに周囲には、台風のときのような猛烈な風が吹いている。

「なにこれ…!」

すぐ前に広がるその穴を、美冬はただ呆然と見つめる。その拍子に手が木を離れ、穴にのみこまれかける。

「いや…っ!」

悲鳴のような声を上げた美冬の手がぐっと引き上げられた。すがるように見つめた先にいたのは、

 コウだった。

「なんで…」

「いいからしっかりつかんでいろ!」

怒鳴るように言われ、美冬はただコウの手を全力で握る。逆の手でそばの木を握り、歯を食いしばりながら美冬を離すまいとするコウ。

その彼の手を、シャナは木から引き剥がした。

何を、という美冬の悲鳴は、シャナに届かない。風に流されるまま、暗黒の穴に引き込まれる美冬とコウに、シャナはすがすがしい顔で手を振る。

「お互い、希望通りだ」

にっと笑うシャナを遠くに見て、美冬は気を失った。



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