僕が雨に濡れる理由

川崎涼介

第1話

夕方から降りだした雨は、夜更けには土砂降りになっていた。疎らになった街の人影も、各々を主張するように色とりどりの傘をさし、各々の目的地へ足早に向かっている。雨の日には、よく見られる風景だ。

しかし僕は、その風景から弾き出た。雨に晒されて、ゆっくりと街を歩いた。折れ曲がった傘を持って、ゆっくりと街を歩いた。すれ違う人々は、特異な目で僕を見て、直ぐに各々の目的の為、僕を忘れた。僕もそんな視線を感じること無く、ゆっくりと街を歩いた。しかし、僕は止まるつもりはなかったが、上から明かりが射されたのを感じ、思わず止まってしまった。

明かりは、かなり上空から射されていた。明かりは、街の外灯でもなく、けばけばしいネオンでもない。高層ビルの一室から漏れ出ていた明かりだった。その建物をよく見るとマンションようで、それもかなり高額マンション、所謂億ションというやつだった。僕は、明かりの更なる正体を探ろうと、顔を真上に上げた。

雨を、更に感じた。まるで責め立てるように、僕は上を見るなと言っているように、大粒の雨が、次々と僕の顔を叩いた。

痛みが、増した。他人の視線に何も感じなかった僕が、雨に感覚と感情を呼び起こされた。呼び起こされた感覚と感情は、雨水だらけの僕の顔に、涙を混ぜた。

涙は、僕に思い出させた。僕に何があったか、僕が何をしたか、僕の望みがなんだったか。思い出せば出すほど、涙が溢れ出た。しかし、雨粒が涙を紛れさせた。雨音が泣き声を霞めてくれた。雨が、僕を隠してくれた。ただ明かりだけは、僕に射すように、煌々と存在を示していた。

明かりは、今の僕に幻を見せた。


「ママのごはん、おいちい!」

「ありがとう。パパは、どうですか?」

「うん。美味しいよ。いつも、美味しいごはんを作ってくれて、ありがとう。」

「もう、おだてても何も出ませんよ。」

「あっ、ママ、顔真っ赤!」

「ハハハハッ!!」


僕の未来。欲しかった未来。今、水と光で作られたの幻の未来。もう手に届かなくなった未来。僕自身で潰してしまった未来。僕は、自分の命日が、今だと悟った。僕は意を決して、大通りに走った。

大通りに着いた僕は、辺りを見回した。疎らだが、車が行き来している。そして、お誂え向き右側から車が走ってきた。僕は、勢い良く車の前に飛び出そうと、踏み切った。しかし、後ろから何かに引き寄せられ、そのまま倒れ込んだ。僕は、何が起きたか確認した。そして、僕の傍らに見知らぬ物体が、立っていた。

物体をよく見ると、それは、レインコートを着た二人の男性だった。そのうちの一人は、手に折れ曲がった僕の傘を持っていた。その時初めて、僕は自分の傘をいつの間にか手放していた事に気づいた。そしてもう一人の男性が、屈み込んで僕に近づき、僕に警察手帳を見せて名乗った。傘の事と男性が警察だった事で、僕の頭は、理解力を鈍らせた。警察官達は、そんな僕にお構い無く、自分達の仕事を始めた。

警察官達は僕の名前を確認し、僕は頷いた。そして一言。

「あなたを、殺人の容疑で逮捕します。」

僕は、両腕をそっと前に出した。


僕は、今日の夕方、恋人を殺した。動機は、嫉妬。ゆくゆくは、結婚したいと想っていた相手だった。しかしその想いは、恋人の裏切り行為で砕かれた。

それは、偶然だった。たまたま通りかかった建物から、恋人が僕以外の異性と腕を組んで出てきた。僕も相手も驚いた。僕は頭の中で、最悪を否定しながら、恋人が出てきた建物を確認したが、結果は、最悪だった。

相手は何か言っていたが、僕には聴こえてこなかった。ただ、持っていた傘の石突きと呼ばれる先端を、相手に刺していた。刺された相手は、その場に蹲った。悲鳴を上げているようだったが、僕には聴こえなかった。目端で相手と一緒に出てきた異性が逃げていくのが見えたが、僕には、どうでも良かった。目の前で蹲った相手に、力一杯、持っていた傘で叩く方が、僕には大事だった。

僕は、叩いた。ひたすら叩いた。一心不乱に叩いた。僕は、目の前の虫が、動かないようにしたかった。虫の呼吸を止めたかった。そして叩き続けて何分か経ち、ようやく虫は、僕の望み通りの姿になった。満足して僕は、その場を立ち去ろうとした時、雨が降っていて、自分がびしょ濡れになっている事に気づいた。慌てて傘を開こうとしたが、傘は折れ曲がって、使い物にならない事にも気づいた。僕は苦笑いをして、傘を捨てようとしたが、傘の付着物に気づいた。僕は、付着物を初めは虫の体液かと思ったが、よく見るとそれは赤黒い液体で、強い臭いを発していた。その臭いで僕は、それが血液だと思い出し、自分の理性が蘇った。理性は僕に、自分が人を殺した事に気づかせた。

僕は、恐る恐る足元を見た。そこには、赤黒い斑点を幾つも着けた人が、蹲っているようだった。気を失っているようではない。全く動かない。僕は、僕がした事に震えた。僕には絶対出来ない、僕は絶対やらない、僕は間違えない。今まで当たり前だった事が、アッサリ覆った。僕の目の前には、人間の死体がある。しかもその死体は、僕のよく知っている人で、その人を僕が変えてしまった。僕の精神は、限界を越えていた。しかし、立っていられた。強く降る雨が、僕を叱咤してくれた。雨がもたらす冷気が、僕を落ち着かせた。夜の暗闇が、目の前の現実を忘れさせてくれた。

それからの僕は、この状態を長く感じたい為、雨降る夜の街をさ迷った。何も考えず、さ迷った。快感だった。爽快だった。感動していた。興奮していた。僕は、解放されていた。そんな僕に、明かりが射した。僕の気持ちを更に盛り上げるように、明かりが射した。それが、僕を暗転させた。

明かりは、全てをさらけ出した。僕の行い。僕の現実。僕の望み。僕の未来。無邪気に無意識に無自覚に無慈悲に、僕の全てを僕の前に揃えた。しかしそれは、もう僕のモノではなかった。僕が生み出したモノなのに、僕以外のモノになっていた。ついさっきまで、僕を解放してくれていた暗闇も、冷気も、そして雨までも、僕から離れていた。僕は、探した。まだ僕のモノのままのモノを。そして、死を見つけた。僕はもう奪われない為に、直ぐに行動した。

しかし死さえも、僕のモノで無くなってしまった。その死を奪ったのが、明かりではなかったのが、せめてもの救いだった。


それからは、あっという間だった。僕は犯行を認めている為か、捜査、取り調べ、裁判、収監の一連の流れは、三ヶ月掛かるか掛からないかの速さで終わった。

そして十年後、僕は出所した。その日の空は、雲ひとつない晴天だった。しかし僕は、雨天を望んでいた。僕は恨めしく空を見たが、空色は変わらなかった。僕は不機嫌に、この晴天の下を進む事にした。

あの時から、僕には解放感がない。刑期を終えた今も、気持ちは重い。全て明かりに射されたせいだ。明かりは、自分達が正しいと主張し、本当に全てを晒すだけ晒し、後は無責任に放置する。ジャーナリズムと言って、他人の全てを晒してその他人の生活をメチャクチャにし、何も責任を取らないマスコミみたいだ。僕はあの時より、日を重ねる毎に、そう思うようになった。その分、雨空が待ち遠しくなった。

雨に濡れる。そうすることで僕は、全てを実感した。喜怒哀楽、栄枯盛衰、唯一無二、生者必滅、轗軻不遇、泥船渡河、雨露霜雪…。

雨に濡れることで、僕は僕を実感出来る。雨に濡れることで、僕は世の中を実感出来る。だから僕は、雨に濡れる。僕自身を解放する為に。

どこからか、声が聞こえた。

「…明日はガラリと変わりまして、朝からしっかりした雨が降り、所によっては、雷も伴いますので…」

僕は、下げている口角を少し上げた。

明日が、待ち遠しい。雨降る明日が…。


ー了ー

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