漆章――カシウアザンカ
不思議不可解なりし夢
――これは、いったい、なんなんだ。
「姉様、早くー」
「レン、走っちゃダメだよ」
「――の言う通りですよ、――。転んだら」
ああ、なんて平和な会話だろ。こんなの知らない。こんなのなかった。わかっている。
あの時の、ずっとずっと暗闇に在った私が覚えている。こんな陽の光を知らないと。
……いや、それにしても不思議な場所だ。どういう想像力だ、私。そして夢製造機。
おかしな場所。七色に移ろい変わる木々の葉たち。キラキラと宝石を砕いて混ぜたように煌めく地面。石や岩は銀色。向こうに見える岩たちはまるで巨大な鋼の群生だ。
なのに、どうして? 夢の中の私。同じである筈の私。どうしてお前はそんなにも心満たされ、安堵し、この景色を普通のものとしているの? ねえ、答えてよ、私……。
「ごめんなさい、姉様、――」
「怒ってないよ、レン。ね? ――」
「ええ。心配して言っているのです」
答えてくれない私は続けてレンに、もうこの世にいない妹に話しかける。怒っていないと言って聞かせる。そして、どうしてか顔の見えない、背の高い誰かも続けて怒っているわけではない、心配しているだけだ、と言う。そう、心配。だって、転んだら痛い。
あなたに痛い思いなどしてほしくない。悲しみも苦しみもなにもかもあなたに似合わないから。それは私の、悪魔である私の役目。私の役割だよ、レン。ね? ――。
――。聞こえないのに知っているひと。あなたは誰? 私のなに? どうしてそんなふう、優しくしてくれるの。レンにしてあげて。ずっとあいつらにああされていたのだから。優しくして、癒してあげて。私なんかどうでもいい。私、サイなんか……。
でも、そう。ここの、夢の中の私はサイじゃない。悪魔じゃない。だから優しくしてくれるのですか。そうでしょう? じゃなければおかしいもの。だって、だって……。
私は、サイは悪魔。そうですよね? そうじゃなければいけないの。それが、私の命に負ぶさる楔。鎖は切れることなどない。徐々に確実に私を地獄に戻していくの。
悪魔が住まうのは地獄。だから私は本来現世に、この世に在ってはいけないの。地獄で延々と虐げられ続けるのが当然の命。
「サイはどうして悪魔を名乗るのだ?」
……。そういえば、いつだったかそんなことを訊かれたな。その時は「節穴」と返して理由をつける前にセツキに呼ばれて節穴呼ばわりを叱られた。ホントうるさい。あの鬼説教魔別名セツキ。そして、それ以上にうるさいあの王族兄妹。私などに甘えるふたり。
主に妹の方、ルィルシエが甘えん坊だが、ココリエはなんだろう、こう、肩を貸してくれる? 寄りかかっていい、辛い時は。その代わり自分も……そんな関係を保っている。
節穴だ。私が悪魔でなければ誰が悪魔だ。
死なせたんだぞ、妹を。この世で最も大切な双子の片割れを生贄にして生き長らえている私を私は憎む。自己憎悪。自己嫌悪。そして、妹の命だからと理由をつけて自分が生きる為に他の命を喰らっている。これが悪魔でなくてなんだというのだ。教えろ。
「――、手ぇ」
「ええ」
ああ、それなのに……。夢の中の私、どうしてそんな可愛い声で甘えた言葉で――に手をねだっているの? ダメよ、そんなこと。いやだ。こんなの見たくない。
見ていたい筈なのに、見ていたくない。それはきっと今私を悩ませているものにある。
「しね」
やめて。この幸福にまで割って入ってこないでよ、クソ野郎。腐れ頭。わかっている。あの戦場で、シレンピ・ポウとの一戦で彼女たちを殺させたのはお前だ。証拠こそないが、確信している。彼女たちの死も私のせいだと詰るから。きっとそうなんだ。
どうやったのか知れない。いや、わかっているけど。あのトウジロウを乗っ取った。あんな身の程知らない小国王共の意識を奪うくらいお手のものだろ? お前の腐った頭など知りたくないが、次はどうする気だ? セネミスの呪詛も失敗に終わった。
次はなにを仕掛けてくる気でいるのか。不安は日々募る。心配してもはじまらない。なにかもなにもかも。でも、心のどこかで覚悟を決めておかなければ、いざに挫ける。
そんなの許さない。挫けるなんて、挫かれるなんて……。私は悪魔。誰もが恐れる最悪の死神であり、死、そのものだ。私のそばとはそういう場所なんだ。
そのことを辛いと思ったことはなかった。少なくとも今まではなかった。なのに、今、私は猛烈に怖いし、辛いと思ってしまう。誰もそばに寄せず、ひとりで虚勢を張ってきた。だからもう頑張らなくていい、と甘えてくれていい、と言われてしまったから。
ココリエにどうして悪魔? と訊かれた時に言われた。もう私はひとりじゃないから甘えていいし辛い時は頑張らないでいい。それに私が「悪魔に変なことを言う」と言ったのが発端でココリエの素朴な疑問が引っ張りだされたのだが……。なぜもなにもない。
だって、悪魔だから。それ以外に答もなにも私は持っていない。持つことなど許されなかった。命一個持って地獄へ通じる崖から底へ向かい跳べ。死ね。それがお前の使命。
そう言われてしまったから。どんなに否定しようとしても自分自身が知っている。私は生きていてはいけない。まるで生まれた時から刷り込まれていたように。強く根を張っている自身の宿命としなければいけないこと。死ぬ。簡単で難しくて悲しく苦しい。
――辛い……。
なのに、甘えてはいけないと律する私がいる。甘えてもいいと言われたのに「バカ」と止める私。もう、わからない。どれが私で私で私なのか。教えて、誰か。ねえ、――?
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