肆章――北国々

セモリ森にて


 桜蕾ノ島おうらいじまの東部。そこに大きな国がひとつあった。新しい年に入ってから連続する戦で領土と同盟をえているその国の名をウッペといった。


 ついこの間、春真っ盛りの時期に帝都、島国の中心国で戦国島の絶対君主に目通りしたばかりのこの国には戦場を搔きまわす柱たる戦士がふたりいた。


 そして、戦国では一番貧弱だと言われていても弓の腕前では右にでる者がいないと謳われる王子が国の一大戦力としてあるウッペは山岳地帯で山、森、川といった自然に恵まれたよい環境を有する国。それは、自然豊かで心清くというのと、もうひとつ、よさがあった。


「はあ、はあ、はっ」


 ウッペが領土に持つ森のひとつ、セモリ。名の由来はかつてウッペを挟み撃ちにて攻撃せんとした侵略国の者らを阻んだことにあった。そこに今、荒い息が満ちている。


 荒く乱れた呼吸は全部で三つ。


「あ、いつ、ホントに化け物っすね」


「ぜえ、はあ、も、そんな次元ですらない気がしてならぬぞ、余は」


 荒い呼吸の主たちが会話する。対照的なふたりだった。一方は細くて柔らかな印象の見るからに好青年という若者。対するもう一方は荒々しい見た目で野暮ったい感じのある大男。ふたりはセモリの森にある大木の根本に腰をおろして休んでいる。


 そのふたりの間にもうひとつの荒い息の持ち主がいた。漆黒の髪に黒真珠のような、それでいて猛禽類のような瞳のすさまじい美丈夫。そこらのたかが美女など裸足で逃げだすほどの美貌を持つ男は自分の正面を見た。視線の先には鬱蒼と茂る木々がある。


「女性の常識を覆す力ですね、すべてが」


「や、セツキの大将、アレはもう女に分類したらいけない気がしやすぜ。他の女に失礼というかなんというか……まあ、見た目はもう絶世の美女なんですが、ねえ」


 ねえ、言った大男はセツキと呼んだ美丈夫に女扱いしない方がいい気がすると言ったが、男の脳天に拳骨が落ちて大男の目からほんの少量の星屑が散った。


 大男が拳骨の主を見ると、不機嫌そうな顔の青年がいた。整った顔の表情には不満。


「そっちの方が失礼だ、ケンゴク」


「あー、こりゃ失敬、ココリエ様」


 ケンゴクに女を女扱いしないなど失礼すぎると言ったココリエだが、息絶え絶えで肩を上下させている。これに対して謝ったケンゴクはココリエに水筒を渡す。


 受け取ったココリエが水を一口飲み、セツキに渡す。セツキも一口ほど含んでケンゴクに返した。水分補給の順はそのまま位の順。ウッペの王子ココリエはひとつ深呼吸して額の汗を腕で拭った。隣に、真ん中にいるセツキもその隣のケンゴクも同じ動き。


 三人は誰かさん発案の鍛練を体験中だった。発案者も今はどこかで休息を入れていることだろう。でなければ、体力が無尽蔵、ってか化け物すぎる。


「森さばいばる? とか言ってましたが、あいつ、帝都以上に整地された国の町で暮らしていたって言っていたのにわざわざ山籠もりしていたってことっすかね?」


「さあ? サイのやることはたまに不可解だしな。だが、これはたしかに相当、きつい」


「そうですね。こんなもの、朝餉のあとだったら確実に吐いていましたから」


 ウッペの中心戦力三人がそれぞれに言葉を零す。ウッペの三人はいつも、普段は剣術や槍術、体術の鍛練はしても訓練ははじめてだった。


 ケンゴクは教わった訓練名を口にしたが、簡単に説明された内容的には森でやる実戦つき鬼事だった。発案したのは、ココリエが口にした名の女、サイ。


 ことのはじまりはココリエが訊いてしまったことにある。サイの、ウッペに初春から仕えている女傭兵がどのようにして異常な戦闘力を培ったのか、と訊いてみたところ、なんなら実際に体験してみるか? その方が早いし、となって、今にいたる。


 ココリエはこの時、発案された時からなんとなくいやな予感がしていたので偶然鍛練にでようとしていたセツキとケンゴクも一緒に誘った。結果、判断正解。


 サイが発案し、ずっと定期的に実践してきたという「森サバイバル」。略してサイは森バルと言っていたが、それのあまりの過酷さにココリエはが他にふたりいてよかったと心底から思っていた。もし、一対一サシでやっていたら死んでいた。


 それくらい過酷というかなんというか、とにかくきつい。朝餉を食べたあとでなくてよかったと言ったセツキだが、胃袋に固形物がなくても液があがってくる。


 胃液がえろえろしそうだった。


「しかし、速力も腕力も機動力もなにもかも、肉体が兵器である忍も顔負けですね」


「あれっすかね、女カザオニですかね?」


「いえ、カザオニ以上かもしれません」


「たしかに」


「休息とはとお数えるほどが適正だ」


 冷たい、声がした。雑談しながら休息をとっていた三人は声にまったく同じにびしっと凍りついた。休息時間など十秒もあれば充分と言った声の主は三人が背を預けている大木の反対、三人の背後に木をはさんで立っている。


 三人は、特に一番体力面で自信がない上に自覚してヘボいと負の自信があるココリエが青ざめる。声には無情さがただよっていた。休息、一息入れるのは十秒。そんなある意味で超スパルタ、ドエスなことを言いなさった者にココリエは恐々声をかける。


「もう?」


「むしろ感謝しろ。百八十は数えた」


 それって十八倍待ってくれたという優しさの申告なのだろうが、できればもっと休憩したい。てか、切りあげて朝餉なんてどうでもいいからちょっと寝たいくらい疲れた。


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