手紙を運んだツバメ

ソルア

手紙を運んだツバメ

 気づくと体がふわりと軽かった。

 暖かな風が南へ誘っているのを感じる。

 仲間たちの歌う声がする。

 春を、春を探しに行こうと。

 私は……ツバメになっていた。

「これは、夢?」

 いいや、こういう場所なんだ。

 旅をしていればツバメに変わるくらい、きっと不思議なことじゃない。

 私は近くを飛ぶツバメに尋ねた。

「南へ行くのかい?」

 素敵な燕尾を風に乗せて、春の歌を歌っていたツバメ。私の問いに「もちろん」と答えると空を滑るように通り過ぎた。

 ツバメは仲間と共に春を追いかける旅をする。

 今の私なら、仲間となって共に旅をすることもできるだろう。けれど。

「あら、今日も素敵な物が飛んで来ている」

 綺麗な尾羽のツバメが、吹き溜まりに降りていた。

 吹き溜まりには桜の花びらや、人間の落としたハンカチ、パンくずなどが流れ着いている。

 彼女が目に止めた「素敵な物」は1通の手紙であった。

「こんなところに届いてしまって、かわいそうね。きっと、あの人の物だわ」

 ツバメは手紙を咥えると、川の方向へと舞い上がった。私もそれについて行く。

 河原には、絵を描いている青年がいた。

 彼の鞄は開きっぱなしの風晒し。これでは、春の風に色んなものを攫われてしまう。

 ツバメは咥えてきた手紙をそっと鞄に差し込んだ。

 春を追いかける旅の出発はまだ少し先。


 次の日も、吹き溜まりには手紙が流れ着いていた。昨日の物と同じ。

「あら、戻してあげないと」

 綺麗な尾羽のツバメは、今日も手紙を咥えて河原へ飛び立つ。


 次の日、また次の日も、手紙は流れ着く。

 彼女はその度に彼の鞄へ手紙を運ぶ。

 気づけば季節は移り、旅の仲間は南へ向かう旅に出発してしまった。

 青年の絵には大きな空と入道雲が描かれている。


 今日も手紙を運ぶツバメは、電線で羽を休めていた鳩と「中身は香ばしいアーモンドの欠片だ」なんて話をしている。

 もうすぐ、冷たい風の季節が来る。


「いつまで続けるんだい?」

 私はついに彼女に聞いた。

「いつまで?」

「手紙は何度も飛んでくる。彼には必要の無い物なのかもしれない。返さなくて、いい物なのかもしれない」

 ツバメは南の空を遠くに眺めながら、こう言った。

「春が来るまで」


 私は手紙の中身を知っている。

 彼女は生まれながらにツバメだから分からないけれど。

 あの手紙は、他でもない彼女ツバメに宛てた物だ。

 そして、それは彼が彼女へ大切な想いを伝える手紙。

 毎日届く、いいや、毎日戻ってくる手紙に、青年は肩を落としていた。


 木々の葉が落ち、雪が舞う季節が来てしまった。

 私たちは屋根の隙間に身を寄せた。

 今日も吹き溜まりには手紙が届く。

「きっと困っている。私が届けてあげないと」

 ツバメは手紙を咥えて冷たい空へ舞い上がる。


 あの日から、吹き溜まりに手紙が流れ着くことはなくなった。


 ツバメが戻ることもなかった。



 冬を越し、春が訪れた。

 私は越冬ツバメとしてこの街に留まったのだ。

 暖かくなったので、彼女が毎日手紙を届けに飛んだ河原へ翼を向ける。

 河原には絵を描いている青年がいた。

 変わらずに開きっぱなしの鞄に、手紙は差し込まれていない。その代わりに、側には小さな草のカゴが置いてある。

 カゴから、聞き覚えのある春の歌が聞こえた。


 春は訪れたんだ。


 私は思いがけず何かが溢れそうになるのを、春の歌で誤魔化して、暖かな空を横切った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

手紙を運んだツバメ ソルア @sorua

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ