第二話 魔王への不信感は募るばかりです
「ただいま戻りましたー! ふう、暑かった……。お、アレクくん来てたんだ」
「はい、お邪魔しています」
「おかえりなさい、アキマルさん。アルバイト、お疲れ様でした。今日は少し遅かったですね?」
明丸が帰ってきたのは、ランチタイムを大分過ぎた夕方の四時前だった。癖の強い黒髪が汗で濡れ、顔も真っ赤だ。
すかさず、タオルと冷たいお茶を差し出す。そのお盆と引き換えに、今では当たり前となってしまったルッテ夫妻の差し入れを受け取る。
「ええ、今日は食材の買い出しを手伝ってきました。明日は筋肉痛かもしれません、ははは」
「はわわ、大丈夫ですか? ゆっくり休んでください。私も、アレクさんと一緒に休憩中だったんですよ。今日はずっと忙しくて、お昼ご飯を食べ損ねちゃいました」
「ええ! ユアさんこそ大丈夫ですか? ただでさえ、最近ずっと寝不足なのに」
「平気ですよー。皆さんの笑顔を見るだけで元気が湧いてきますから!」
差し入れをキッチンに運んでから、改めて店へと戻りレジカウンターを囲むようにして三人で座った。この時間帯になると、もう客はほとんど来ない。
しばらく休憩しながら様子を見て、誰も来なさそうなら早めに店じまいしても大丈夫だろう。
「アレクくん、最近暑いけど肌は大丈夫?」
「はい、何とか。でも、寝てる時にどうしても掻きむしってしまいそうになるので、最近は手袋をしたまま寝ています」
「そっか……うーん、他に出来ることは何かあるかなぁ。あー、こういう時にスマホでググれればなあ!」
「すまほ……ぐぐる?」
うーん、たまに明丸が口走る謎めいた単語は一体何なんだろう。特によく口にするのはスマホ、パソコン、クーラーなどなど。
「あ、いえ! 何でもないです! そ、そうだアレクくん! 今日、エルの庭に来たお客さんが言ってたんだけど、きみが書いたお薬の手紙、字が綺麗でとっても読みやすくてわかりやすいって」
「本当ですか? 良かった!」
「いつも手伝ってくれてありがとう。ごめんね、大したお礼が出来なくて」
「そんなことないです! お忙しい中、お二人がぼくのアトピーのことを考えてくれているだけでも凄く申し訳なくてありがたいんですから」
ぶんぶんと、首を横に振るアレク。でも、と彼が続ける。
「あの、前から気になっていたんですけど……このお店、人手が足りなくないですか? それなのに、アキマルさんは別のお店でアルバイトまでしてるし……もしかして――」
「ユア、居るか? まだ店は開いとるかね」
アレクの話を遮る、気難しい声。暑さから開けっ放しにしていたドアから、トマスがしかめっ面で入ってきた。
びくっと、明丸が身構える。最初に出会った頃にお説教されたせいか、今でも少し苦手意識があるようだ。
「こんにちは、トマスさん。開いていますよ、本日は何をご入用ですか?」
「ああ、いつもの湿布薬が欲しくてな」
「わかりました。一週間分で良いですか? すぐにご用意しますね」
椅子から立ち上がって、棚からトマスがいつも買っていく湿布薬を一週間分手に取る。それをお手紙と一緒に紙袋に入れ、名前や用法容量等を記載していく。
「おう、アキマルの坊主。最近頑張ってるみてぇじゃねぇか。ウーヴェが自慢してたぞ」
「え、そうなんですか? そんな大したものじゃないですよ、はは」
ははは、と苦笑いを浮かべる明丸。最近の彼は近所での評判がとても良く、結構人気者になっているのだが。どうやらあまり人付き合いに慣れていないようで、誰かに褒められても素直に受け取ることが出来ないでいる。
ユア達とはすっかり仲良しなのに。もっと彼には、自信を持って欲しいものだ。
「謙遜するんじゃねぇよ。ワシとて最初は、世間知らずでなよなよした若僧だと思っていたが、意外と根性があるじゃねぇかって買ってんだぞ」
「あ、ありがとうございます」
「だが、やっぱり魔族と付き合うのだけは感心せんな」
湿布薬を渡して、代金を受け取る。ああ、また始まってしまった。一体何がそんなに気に食わないのか、トマスの魔族嫌いは日に日に酷くなっていくようで。いつもならば、彼が帰るまで聞いてやるのだが。
今日はアレクが居る。彼にはあまり聞かせたくない、明丸も気にしているようだ。
「あ、あの。ハルトやシナモンは、大切な友人です。ちょっと癖が強めの変わり者ではありますが、人間とか魔族とか……そんなことで付き合いを止められるような存在じゃないんです」
「ふん。そんな生温い考えで生きておったら、いつ寝首をかかれるかわからんぞ」
「すみません。おじいさんはどうして、そんなに魔族が嫌いなんですか?」
意外なことに、アレクがトマスに疑念の声を上げた。決して感情的ではなく、あくまで疑問を投げかけるように。幸いにも、トマスはアレクが魔人であることに気がついていないらしい。
ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「魔族はあらゆる能力で人間を上回る。何食わぬ顔で笑っていながら、その裏では隣にいる人間を殺そうと画策しているかもしれん」
「そ、そんなこと」
「何より、魔族を統べる魔王が顔を隠していることが気に食わん。あの仮面の下で、古の魔王達のように人間界を滅ぼす算段をしながら嗤っているのかもしれん。そうじゃないと、誰が言い切れる?」
ユアも、明丸も言い返せなかった。というのも、ここ最近の新聞でそういった内容の記事が大きく取り上げられていたからだ。
魔王が顔を見せない理由。人間に不信感を抱き、我々の世界を支配下に置こうとしているのではないか。人間に対する叛逆の象徴として、仮面をしているのではないかと。
「そんなことは、無いです」
「何だと?」
「魔王セトは、ジルの名前を受け継いだのです。魔界と人間の間に確かな絆を築き、誰よりも平和を望んだ名君の名前を。そんな男が、人間に反旗を翻すだなんて……そんな愚かなことは、絶対にしません」
「アレクさん?」
「セトが顔を隠しているのは、その……そんなに深い意味は無くて。ただ、セトは……」
マフラーで口元を覆うように引っ張りながら、アレクが声を震わせる。そうだ、同じ種族の人がこんな風に馬鹿にされて、何も思わない筈がない。
トマスには悪いが、今日はさっさと帰って貰おう。ユアが意を決して、帰宅を促そうとした。
その時だった。
「そうデスヨ。我が敬愛する魔王陛下のことを、そんな風に悪く言うのは止めてクダサイ」
「うっ、アンドレアルフス様……」
コツコツと靴音を響かせながら来店したのは、思わぬ人物だった。彼には暑いという概念が無いのだろうか。相変わらず派手な装いに、ニヤニヤと厭らしい笑み。
頭に被っていたシルクハットを外し、ジョナンがユア達に向かって妙に芝居がかった動きで一礼した。
「どーもどーも、コンニチハ皆さん。毎日暑いですけど、お元気そうで何よりデス。あ、今日はたまたま近くを通りかかっただけですので、そんなに警戒しないでクダサイ」
「……ふん。魔族の中でも選りすぐりの胡散臭いやつが来たか。今日は取り巻きの二人は居ないのか?」
「ええ、今日は別行動デス。そんな四六時中一緒に居るわけじゃないんデスヨ」
それで、とジョナンがトマスの横に立つ。そして、顔を覗き込むようにしてヒヒヒッと嗤った。
「今のお話、聞こえましたよ。ワタシ、結構耳が良いので。魔王セトは贔屓目で見なくとも、とても良い御方なんデス。あの方が人間界を滅ぼす算段なんてする筈がありません。そもそも、そんな度胸なんてないのですから」
尖った耳を指でトントンと軽く叩きながら、ジョナン。そんな悪魔の言い回しに、トマスだけではなくユアも訝し気に眉を顰める。
「どういう意味じゃ?」
「そのままの意味ですケド? どうぞ、今日は大人しくおウチに帰ってクダサイ。まだお若く、純真無垢な魔王に告げ口されたくなければ……ね?」
「くっ……!」
文字通り、悪魔の囁きに顔を真っ赤にして。ユアが呼び止めるも虚しく、肩を怒らせながらトマスが足早に店から出て行った。
ふう。まるで一仕事終えたかのように息を吐き、ジョナンが再度ユア達の方を向いた。
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