ようこそ、異世界薬局カナリスへ! ―バカにつける薬は今回限りの特注品です―
風嵐むげん
プロローグ
そうです、俺はこうして死にました!
第一話 俺は現代社会とクソババァに殺されたんです!
身体が宙に投げ出されてから、やっと後悔した。大変なことをしてしまった。迫りくる電車に、視界を塗り潰す強烈なライトの光。
そして鼓膜を突き破る金属音が、
※
「ちょっと
「す、すみません。あと、もう少しで終わりますので!」
金切り声を上げる
「だから何回も言ったじゃない! ゴールデンウイークでスケジュールに余裕がないから、前もってドクター達と連絡を取り合ってちゃんと間に合わせるようにって」
「いや、その……連絡は、一応取ってました。でも、
「言い訳しない! 良い? とにかくさっさと終わらせて。他にも仕事がたくさん溜まってるんだから」
そう吐き捨てて、係長は小太りな身体を揺らしながら自分の席へと戻る。やっと終わった。崩れるように自分の席へと座り込むと、やりかけだったレセプト――医療機関が市区町村や健康保険組合等に毎月提出する診療報酬明細書――に再び向かう。
「ほんっと、頭にくるわ。何年経っても仕事は出来ないし、愛想は無いし。すぐにああだこうだって言い訳するし」
「仕方無いわよ、ゆとり世代ってやつでしょ」
それほど遠くない場所から聞こえてくる悪態。腹立たしいのはもうわかったから、わざわざ聞こえるところで言わなくても良いじゃないか。
そう声を上げる勇気すら湧かなくて、明丸は仕事に没頭しようと机に向かうしかない。
「それにしても、ひどくない? もう七年目よ、彼。去年来た子の方がよっぽど仕事出来るわよ」
「それに良い歳して、彼女とか居ないのかしらね。いつもシャツはしわくちゃだし、髪の毛もボサボサで」
「出来ないでしょ、あれは。だって性格が暗いじゃない? 休憩時間は寝てるかスマホでゲームしてるかだし、飲み会にも来ないし」
けたけたと、耳障りな。係長と、同期の湯川さんの話し声は室内に居る全員に聞こえているだろう。課長は見て見ぬフリ。お局な二人に関わりたくないのか、誰もが無関心で自分の仕事に向かっていた。
それでも全く進まない作業に、鼻の奥が痛くなる。落ち着け、今はとにかく仕事に集中するんだ。自分に言い聞かせて、意識の全てをレセプトに向けようとした。
でも……出来なかった。
「それに、彼がずっと付けているブレスレット……なんか、汚らしいわよね。何なのかしら」
「ああ、あの黒と赤のビーズのやつでしょ。どう見ても安っぽいデザインだから、学生時代の彼女のプレゼントだったりして!」
「なにそれやだー、アンタの発想天才だわー!」
何だそれ。何にも面白くない。左手首に付けたブレスレットを、右手で強く握り締める。酷い、酷い。何も知らないくせに!
くそ、くそくそくそ!! 悔しい。暴れればわかってくれるのか、泣き喚けば理解してくれるのかよ。胸を焦がすような激情。でも、それでさえ明丸を行動に移させることは出来なかった。
情けなく震えるだけの手が情けない。明丸はただ、時間が過ぎるのを耐えるしかなかった。
そもそも安定を求めて、医療事務員なんて仕事を選んだのが間違いだったのだろうか。専門学校のオープンキャンパスでも、通信教育のチラシでも、時間に余裕が持てる人気の仕事だと主張してた。でも、実際はどうだ。全然違うじゃないか。
時間に余裕が持てるどころか、夜中まで残業する毎日。給料は安く、それでいて常に病気や怪我のデータと向き合うのは中々にしんどい。理想と現実は違うというのがお決まりだが、流石にこれは惨いだろう。
しかも気がつけば、明丸は今年で二十九歳。アラサーだ。最終学歴が専門学校だということもあり、これ以上の出世はきっと無理だ。友人で大学を出たやつは比べ物にならないくらいの給料を貰って、新築のマンションに住んでいるというのに。何なら、自分にも小学生の子供が居てもおかしくはないのだ。
それなのに、明丸の住処は築三十年の安アパート。帰って、風呂に入って寝るだけの寂しい場所。誰が待っているわけでもない。毎日疲れきっているからか、染める気力も失せてそのままな黒髪はボサボサで、体重も結構減った。
自分の身体すらこんな状態なのに、シャツにアイロンがけとか無理。趣味のラノベやゲームすらやる気力が湧かないのだ。掃除と洗濯が出来てるだけでも褒めて欲しいくらいなのに。
「あー、眠い。だるい……行きたくない……」
翌朝。鉛のように重い目蓋を擦って、明丸は自宅から最寄り駅のホームに立っていた。ゴールデンウイークの中日ということもあって、いつもの平日よりもスーツ姿の人が少ないように思える。
羨ましい。皆どこかに遊びに行くのだろうか。金銭的にも、気持ち的にも余裕が無い明丸にとって、大きな旅行鞄を持つ人達が眩しく見えた。
そして、思う。なんで、自分はこんなに惨めなんだろう。
学生時代は真面目だった方だし、成績も優秀だった。仕事だって休んだことはないのに。努力してきたのに。何を間違えたと言うのか。
「俺って、何なんだろう……何が、したいんだろう」
ふと、考えてしまう。考え始めたら、もう止まらなかった。何で、こんなに辛い思いをしなければならないんだろう。上司に嫌味を言われて、周りに無視されて、嗤われて。それに、何の意味があるんだろう。
何で、仕事なんかしているんだろう。独り暮らしで、仕事をしなければ暮らしていけないからだ。
……じゃあ、何で。
何で、俺は生きているんだろう。
「こら、ナオ! 線より前に出たらあぶないぞ!」
不意に、背後から聞こえてきた幼い声。振り返ると、そこには幼い兄弟が手を繋いで立っていた。お兄ちゃんの方は十歳くらいで、弟くんの方は六歳くらいだろうか。
つぶらな目が、とてもよく似ている。
「えー? なんでぇ? でんしゃ、かっこいいからもっと近くで見たいよぉ」
「ダメだよ! しゃしょーさんが言ってるだろ、危ないから白い線より前に出ちゃダメだって。電車にひかれたらどうするんだよ!」
弟くんの手をギュッと握って。あらあら、立派なお兄ちゃんねぇ。二人の後ろに立つお父さんとお母さんが、微笑ましそうに見守っている。
傍の女子高生グループがカワイイとはしゃぎ、リュックを背負った老夫婦が懐かしいと笑い合っている。どう見ても、穏やかで幸せな光景だった。
それなのに、
「じゃあ、なんであのおにーさんは線の向こうにいるの?」
弟くんが明丸を見て、指をさす。無意識だった。自分でも、どうしてそんなところに立っていたのかわからない。
『間もなく、四番ホームに上り列車が参ります。ご利用のお客様は、白線の内側までお下がりください』
繰り返されるアナウンス。耳をつんざくような金属音を立てながら、近づいてくる先頭車両。そんな、つもりはなかったのに。
ふと、仕事に行きたくないと思ってしまって。
この場から、逃げ出したくなってしまって。
この世界で一番……いや、たった一人の大切な笑顔を思い出してしまって。
「……ごめん、
迫りくる電車に、自ら飛び込んだのだった――
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