エピローグ


「余計な事は、するなよ」


 〝憑依〟を解いた夕陽と幸がそれぞれ動き出そうとした時、熊猫は厳かにただそう言い切った。

「治療はいらん。あの者達と同様、私もあるべきに戻るだけだ」

「でもアンタ、せっかく生き返ったのに…」

 半壊していたが、まだ形代は最後の一つが残っている。完全な肩代わりとはいかないだろうが、これ以上傷が深くなることは防げるはずだ。

「思い違いをするな。私は生き返ったのではなく死に直すだけだ」

「…なんで」

 爆発で片目を喪い、利き腕も失くした熊猫はそうとは思えないほどに堂々とした威容で仁王立ちしていた。これから死ぬ者とは、とても思えないほどに。

「貴様も言っていたことだろう。くだらないんだよ、二度目の生など。そんなものに期待して、一度目などと考えて生きる道は禄でもない。生きとし生ける者はな、総じてただ一度きりを生きるからこそ素晴らしいのだ」

 言っていることは分かる。賛同も出来る。

 ただ。

 でも。

 だけど。

「俺はアンタに死んでほしくない」

「…殺し合った相手に何を言う、莫迦が」

 ニィ、と。およそパンダの形相としては可愛らしさの欠片もない笑みを浮かべた。

「……っ」

「…フン」

 目に涙を溜めた童女が片足に抱き着いて、毛並みに顔をうずめているのを見て、笑みを引っ込める。

「優しき子よ。人と共に歩むその道は我ら以上に過酷となろう。離別は常となり、流す涙はいつか枯れるやもしれん。それでも、この男と寄り添う道を選ぶのか」

 首肯は語尾の終わりと共に返された。逡巡と疑われる間すら置きたくなかったと言わんばかりに、何度も何度も白黒の毛の中で童女は頷く。

「そうか」

 溜息のようにも、安堵のようにも見える吐息を一つ漏らして、熊猫は幸を優しく引き剥がす。

「あの死人にも別れを告げてやれ。戯けた女だが、あれで中々気骨はあった。残存する機兵を全滅させるとはな」

「……」

 背中を押した左の手を取り、その甲にこつんと額を押し当てる。数秒そうした後に、幸は名残惜しそうに熊猫から離れて行った。

「…。ああ、二度も貴様に死に様を晒すのは些か腹立たしいな」

 小さな背中を見送り、熊猫は最後にこう提案した。

「せめてこの身くらいは、元の地で土に還りたいものだ」

「…分かった。なら、帰すよ」

 熊猫の背後が歪む。その先に見える景色が、この熊猫達が住んでいた場所なのか。

 別れの言葉は無かった。背中を向けて故郷の土地へ歩き去るその間際。

「守れよ。守り抜け。さもなくば此方こちらへ来ても叩き帰す」

「言われるまでもねぇ。この命に代えても、必ず」


 一人の少女を介し、死合った両者はそれを締めの挨拶とする。




     -----

 終わった。

 全ての終局を悟り、膝立ちで虚空を見据えていた死人の女はゆっくり前のめりになる。

 死ぬ。

 それもこれまでの『死』とは違う、決定的な終わり。命潰え、意識途絶える。

 分かっていたことだ。自分はそもそも本物ではない。『カンパニー』によって複製されたある屍神の劣化品。だから元より帰る家はなく、だからこそ帰りの心配もなくストックを使い切れた。

 生み出されたこと以外に悔いは無い。

 欲を掻けば、看取られたかった、かもしれない。

 誰でもいい。誰か、最期を見届けてくれる誰か。

 迫る地面に朱が割り込む。

 とさりと上半身が受け止められ、生地の良い紅葉模様の着物が頬に擦れる。

「……」

「…あぁ、幼女ちゃん…」

 人ならざるもの。

 形式こそ違えども、魂を憑かせ取り込み力の一部とする女にとって、少女の存在はある種の餌であった。

 実体を持たないこの童女を喰らえば、ストックは一つ分、増える。

「……へへ」

 力の入らない両腕を精一杯持ち上げて、少女を抱き返す。その小さな顔に自らの顔を近付け、そして。

「………なーんて、ねぇ…」

 ぽふん。

「?」

 柔らかな黒の長髪に鼻先を突っ込んで、すーはーと息を吸う。

「あーいーい香り…。どんなシャンプー使ったらこうなるわけ?羨ましいうらやましいくんかくんかすーはーぺろぺろ……」


 ―――ブッ、殺ス、ゾ。


「ぉおっ!?」

 背中を突き刺す恐ろしいまでの殺気に虚ろだった意識が急浮上する。背後には彼女にとって致命的である神刀を肩に担いだ少年が鬼気迫る眼光で立っていた。

「いいいいやもちろん嘘ですしぃ!?ほんとにぺろぺろなんてしてませんしぃ!?あ、いやくんかくんかまではやったんだけどね?」

「……」

 凄んでいた少年も、最後には深い溜息と共に諦めた。死に際くらい、好きにさせてやろう。

「…♪」

 どうやら心優しき童女も、この抱擁には嫌がる素振りを見せてはいないようだし。

「…まあ、助かったよ。ありがとう、おかげで俺も目的を達せた」

 抱き合っている状態のまま、死人は応じた。

本体オリジナルが今回どういった目的で来たのかはわかんないままだったけど、あたし個人としても色々楽しめたからお互いさまっしょ。こうして役得もあったわけだし」

 我が子が好き勝手される様子に憤りを覚えるが、堪える。

「お前も、元の世界に帰そうか?」

「いんやーいいよ。あたしがあっちでくたばったら最悪レグ―――うちの兄貴にオリジナルがしばかれるかもだ。それに…もう体が維持できないっぽい」

 見れば体の随所が塵のように剥がれて崩壊を始めていた。

「ね、この子。名前は?」

「幸だ」

「いいね。しあわせになれる名だ」

「…」

 ボロボロと崩れていく体を最後まで抱き留めてくれる少女に、最大限の敬愛をもって最後にぎゅうと腕に力を込めた。途端に両腕も塵と化して消える。

「ありがとう、さっちゃん。おかげで寂しく死なずに済んだよ。あたしには運命を操る力は無い、けど…うん、せめて君の幸せくらいは、願おう」

 全身が崩れ落ち、最期の最後に思い出したように口が動いた。

『もしオリジナルに会う時があったら伝えてくれよ。死ぬ時の候補に「幼女に抱かれて死亡」の案も中々悪くないって』

 灰のように死人の体はふわっと浮き上がり、そのままビルの強風に吹かれて何処かへと飛んで行ってしまう。

「ブレないやつだったな」

「…っ、…っ」

 静かに涙を流す幸を抱き上げて、二人っきりになったビル最上階を見回す。

「『カンパニー』も『ベイエリア』もこれでおしまいだ。これ以上の犠牲や悲劇は回避できた。あいつらのおかげでだよ、幸」

 ひとまずは、これで一件落着と見ていいのか。

「俺達も帰ろう。やたら長い時間、戦ってた気がする…」

 元の世界へ帰還したら、この権限とやらは破棄する。誰が持っていたところで有益なものになるとは思えない。『カンパニー』現社長は悲観に暮れるだろうが、どうせ会社全体が終わりを迎えるのも時間の問題だ。

 知ったことではない。

 最後の転移を使って、日向夕陽と幸は帰還した。

 後には誰の者とも知れない無数の血痕と、機械と兵装の残骸。不可思議な生物達の欠片や破片だけが残されて。

 異界電力ベイエリアの保有する土地は、誰一人に見届けられることもないままに、ただ静かに死んでいった。


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