彼の者へ続く道

「わざわざ御呼び立てしてすみません。市長がどうしてもと言うもので……」


 あとに続く三人を振り返り、軽く頭を下げてモルガンが言った。

 刈り揃えられた芝が絨毯のように敷き詰められた庭園の、中央に敷かれた白い歩道。その上を自由都市アルティジエの自警団団長に連れられて歩いているのは、黒いコート姿のゼノと、獣の耳と尾を隠し、人間の姿に扮したリュックとレティシアの三人だ。


 アルティジエの中央にそびえ立つ時計塔の、北側に位置するこの庭園は、街の政治を司る議員達が集う議事堂と街を治める市長が暮らす官邸とを繋ぐものであり、一般市民は立ち入ることができない。本来ならば、当然、余所者のゼノ達三人が足を踏み入れることが許されるような場所ではなかった。

 

「まさかリュックとレティシアまで呼ばれているとは思いませんでした」


 ゼノが訝しげに呟くと、


「ああ、御二人は別件です。じきに迎えの者が参りますよ。市長も挨拶に伺うとは言っておりましたが、何分忙しい身ですので……」


先を行くモルガンが、朗らかに笑ってそう答えた。


 てっきりあの事件に関する事情聴取かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 物腰柔らかなモルガンの対応に警戒しつつ、三人は白い石造りの邸宅へと案内された。

 美しい文様が施された巨大な扉を抜けると、広間の中央に身形の良い男が立っていた。


「リュック様と、そちらがレティシア様ですね。お待ちしておりました」


 どうやらこの男が、先程モルガンが言っていた迎えの者のようだった。男は丁寧にお辞儀をしてみせると、ちらちらと周囲を気にするリュックとレティシアを連れて、奥の部屋へと姿を消した。


「あの御二人は人狼ヒトオオカミの中でも特殊な『花狼』という種でして、彼らの村とは市長の個人的な理由で以前から親交があったんですよ」


 ふたりが連れられて入った部屋の扉を眺め、立ち止まっていたゼノの隣で、モルガンがおもむろに口を開いた。


 モルガンの話によれば、自由都市アルティジエの市長は不治の病を患っており、定期的に酷い発作が起きるようだ。発作を鎮める治療薬には貴重な花が必要で、その花を自在に生み出す花狼の村の住人に、長い間ちからを借りていたという。

 あの男ジュリアーノに村を根絶やしにされ、現在生き残っている花狼は、ゼノが知る限り、おそらくリュックとレティシアだけになってしまった。

 確かに、市長やこの街にとっては重要で、ゼノには関係のないに違いなかった。

 だが、花狼の村を滅ぼした張本人であるジュリアーノに直接手を下したのは、他でもないゼノである。自警団側も、村の襲撃と昨日の事件の関連性を疑っているはずだ。


 広間を抜け、日の当たる細長い通路を進む。

 事の顛末が気になったゼノは、先を行くモルガンに声を掛けた。


「廃坑の中の様子はどうでしたか」

「昨日の今日ですから、まだ何とも言えません。今朝から自警団総出で調査中ですが、報告によれば、真新しい白骨屍体が三体見つかったようです。十中八九、貴方と連れの方を襲った連中でしょうね」


 淡々とした口調で、モルガンは事務的に説明した。

 夜行海月の存在を知っていたゼノにとっては、大方、予想通りの結果ではあった。けれど、こうなることを知っていながら怪我を負わせ放置したとなれば、あとから罪を問われる可能性は充分にある。

 出来ることならそれは避けたいと考えて、ゼノは敢えて無知を演じることにした。


「白骨屍体、ですか?」

「珍しいことではありません。この辺りには夜行海月という生物がいるのです。彼らは怪我をした動物を捕食する夜行性の生き物で、あの廃坑は元々、夜行海月の巣に繋がっていましてね。夜間業務で怪我をしたら大事になるってことで、随分昔に封鎖されたんですよ」

「……なるほど」


 モルガンの説明に納得したように頷くと、ゼノはさらに質問を続けた。


「留置所に連行された人達は、このあとどうなるのでしょうか」

「おそらく、罪状を報告した上で本国に送り返すことになるでしょうね。彼らの罪はこの街では許されません。けれど、彼らにも法の下で裁かれる権利はありますから」

「……権利、ですか」

「不服そうですね」


 苦々しい表情のゼノを一瞥し、モルガンが皮肉な笑みを浮かべる。


 ――法の下で裁かれる権利。


 モルガンの口から発せられたその言葉に、ゼノは表情を曇らせた。

 虐殺された人狼達の生きる権利は容易く奪われたというのに、法の下でなければ、その犯人を罰することすら許されない。人間に都合の良いだけの実に理不尽な法が、この世界では当然のように尊守されているのだ。


 目の前の男の笑顔に、ゼノは少なからず疑念を抱いていた。

 モルガンは、ゼノが夜行海月の存在を知っていて、敢えて怪我人を放置したことにも気付いているのではないか。仮にそうだとしたら、ゼノを野放しにしておく理由があるのだろうか。

 疑いの目を向けるゼノだったが、モルガンは構うことなく事件の経過を説明し続けた。



 事件の話があらかた終わった頃、ふたりは長い廊下の突き当たりの小さな扉に行き当たった。

 モルガンはゼノを部屋に通し、一礼すると、足早に廊下を去っていった。


 部屋の奥中央には簡素な執務机が置いてあり、薄暗い室内にカチカチと耳慣れない音が響いていた。机に向かい、手動式の印字機タイプライターを打つその人物は、まだ年端もいかない少年の姿をしていた。


「……お待たせしました」


 キーを打つ指を止め、顔を上げた少年が優雅な仕草で席を立つ。迷いのないゆっくりとした足取りで、少年はゼノの前に進み出た。

 少年のまぶたは伏せられたままで、その眼が光を映さないことを暗に示していた。銀糸のような髪と生命力を感じさせない白い肌が、病的に美しい。


「私はミシェル。この街の『市長』を任されています」


 少年らしい優しい高音を響かせて名を名乗り、彼は言った。


「竜人族の青年、貴方に話があります。私について来ていただけますか?」



***



 どれほど時間が経ったのだろう。

 暗闇の中に続く長い長い階段を降りながら、ゼノは周囲を見回した。

 大人がふたりすれ違うことができる程度の道幅の、壁も手すりもない石階段。それが、延々と闇の奥へと続いている。遠方に望める光苔の緑がかった明かりが、この空間の広大さを物語っていた。

 先を行くミシェルの手には精巧な装飾が施されたランタンが提げられているが、その中に灯る明かりは炎のつくるそれではない。不思議な色の柔らかな光を湛えているのは、硝子のように透きとおる結晶だった。

 淡い光に照らされた足元の暗闇に、古い石造りの街並みが浮かぶ。自由都市アルティジエの地下に遺された、何百年も昔に栄えた地下都市だった。


「あまり驚かないのですね」


 眼下に広がる街並みをランタンの明かりで照らしながら、立ち止まったミシェルが振り返った。

 盲目であることを感じさせない自然な仕草に感心しつつ、ゼノが応える。


「……そうですね。噂に聞いたことがあったので。どちらかと言えば、初対面で竜人族だと言い当てられたことのほうが驚きました」

「数ある種族の中でも、や私のような、一千年以上の時を生きる長命種は希少ですから……」


 くすりと微笑んで前方へ注意を向けると、ミシェルは再び階段を降りはじめた。

 

「私達『地の民』は、膨大な魔力を持つ精霊種です。その昔、争いを好まない私の仲間は、地底に街を造り、人目につかぬよう暮らしていました。

 あるとき、瀕死の重傷を負った人間の男が街に逃げ延びてきました。私の仲間は、人間同士の戦争で傷を負ったその男を敵から匿い、魔力を用いて怪我を治癒しました。数日後、男は礼を言って街を去りましたが、それが悲劇の始まりでした。

 男はの軍事国家ベルンシュタインの王でした。我々の魔力に目をつけた彼は、地下都市への侵攻を始めました。

 私の仲間は人間と争うことを拒み、魔力を結晶化する技術を用いて自ら命を絶ちました。あとには結晶化された魔力の塊と、土塊つちくれと化した仲間の抜け殻が残りました。

 一人残された私は、仲間達が遺した魔力結晶を持って、長いあいだ地中に身を潜めました。そして今から百年程前に、この地を囲む三つの大国から逃れてきた難民と共に、自由都市アルティジエを創り上げたのです」


 長い昔話を終えると、ミシェルは立ち止まり、前方にランタンをかざした。


「これが、その魔力結晶です」


 眼前に現れた広大な空洞、その中央に鎮座する七色の光を放つ巨大な結晶に、ゼノは目を見張らせた。

 ミシェルの話に集中して気が付かなかったのが不思議なほどに、そこにはランタンの弱々しい光など必要ないほどの光が満ちていた。


 百年以上のあいだ、仲間達が遺した膨大な魔力を有する結晶を、ミシェルはひとりで守り続けてきた。

 封じられた魔力が暴走して周辺に危害を与えないように。強欲な人間の手に渡らないように。

 人間の街と巨大な穴、そして風の防御壁を用いて、たったひとりで守ってきたのだ。


 巨大な魔力の塊を見上げたまま、ミシェルは続けた。


「三十年ほど前、イシュナードと名乗る男がこの地を訪れました。彼は私に様々な知識を与えてくれました。彼は、異種族として人間のなかで独り生きてきた私の、初めての友人になってくれました。その恩もあって、真摯に教えを請う彼に、私は……」


 振り返ったミシェルが、その眼を大きく見開いた。何もかも見透かすような硝子玉に似た瞳には、一切の色素が存在していない。けれど、その視線は確かにゼノを捉えていた。

 まるで罪人が罪を告白するような重々しい口調で、ミシェルはゼノに告げた。


「私は、魔力結晶化の秘術を、彼に教えてしまったのです」

 


***



 ゼノが帰路に着いたのは、ちょうど正午に差し掛かる頃のことだった。

 街の中央にそびえ立つ時計塔の鐘の音を聞きながら、ゼノは石畳の坂道を登った。


 ――竜人族の青年よ、心しなさい。


 ミシェルの声が胸に響く。


 の者が何を目的としてその秘術を得ようとしたのか。

 貴方はこの先、その真実をることになるでしょう。


 ミシェルの口から告げられた、忠告とも取れるその言葉は、ゼノの胸中で幾度となく反芻くりかえされていた。

 


***



 廃坑での一件から数日のときが過ぎた。

 留置所に拘束されていたレジオルド憲兵隊第三隊は、この日、本国へ送還されることが決まっていた。

 アルティジエの街を囲う城壁の上に、橋を渡り森へ消えていく人の列を見下ろす五つの人影があった。


「これで、解決したことになるのでしょうか」


 森に視線を向けたまま、ゼノがぽつりと呟いた。

 村がひとつ焼き討たれ、大勢の命が消えた。けれど、その主犯である彼らは人間というだけで『法』に守られるのだ。

 この街を守っている市長は、滅ぼされた人狼と同じ地の民異種族であるミシェルだというのに。


「これ以上は、レジオルディネの法に任せる他ありません。ですから、我々は貴方に感謝しているのですよ」


 ゼノの言葉にモルガンが頷きを返す。どこか晴れやかな表情から、ゼノは彼の本心を伺えた気がした。

 例え不条理な法に疑念を抱こうとも、彼らにはこれ以上、どうしようもないのだと。

 これこそが、ゼノが何の罪にも問われなかった、その理由だったのだ。

 

 しばしの沈黙のあと、モルガンは思い出したように言葉を付け足した。


「忘れるところでした。先日お話頂いた件ですが、私の方で手配しておきました。例の仕立て屋に話を通しておきましたので、都合がつき次第お立ち寄りください」



 あの日、ミシェルとの話を終えたあと、見送りについたモルガンにアルティジエを訪れた理由を尋ねられた。ミシェルはイシュナードとゼノの関係を見透かしてはいたが、他言はしていなかったようだった。

 無駄に勘ぐられるのも気分が悪いので、ゼノは正直に、親友の消息を追うためにベルンシュタインの国境を越える手立てを探しに来たことを説明した。

 結果、どうやらモルガンは、国境を越える準備を整えてくれたようだ。



「何故、余所者の私にそこまでしてくださるのですか?」

「なに、親切心などではありません。美味い話には裏があるものです。彼の国の国境越えを手伝う代わりに、貴方達に頼みたいことがある。それだけですよ」


 そう言うと、モルガンは口の端を上げ、満足気な笑みを浮かべた。

 どうやら、ミシェルの口添えもあったようだ。あのときの言葉はゼノへの忠告だけではなく、国境越えを手伝う代わりにイシュナードの現状ととやらを確認し、その結果を見届けて欲しいと、そのような願いも込められていたのだろう。


 黙り込むゼノに、モルガンが軽く一礼する。そのまま踵を返すと、彼は森を眺めて立ち尽くす三人のほうへと歩み寄った。


「そろそろ戻りましょうか。……レティシアさん」


 モルガンに促され、レティシアが小さく頷いた。

 リュックの話によれば、彼女はこれからこのアルティジエで、市長であるミシェルの元に引き取られるのだそうだ。

 どうやら、彼女の生み出す月雫の花がミシェルの病の発作を抑える薬の元になるらしく、花狼の一族が滅んだ今、花の人工生成の研究に於いてもレティシアの協力は必要不可欠なものらしい。


「ごめん、オイラが村を留守にしてなきゃ、こんなことには……」


 モルガンに呼ばれて駆け出そうとしたレティシアに、深刻な表情でリュックが告げた。くるりと振り返り小さく首を横に振って、レティシアがちからなく笑う。


「リュックひとりでなんとかできたことじゃないもの。お姉ちゃんが好きだった花を採りに行っていたんでしょ? あの花で花畑を作って告白するんだって、約束したって言ってたじゃない」



 ソフィの婚姻の宴のあとに、村で一番日の当たる丘で、アリシアが大好きだった花を一面に咲かせて、かねてからの想いを告げる。

 そのためにどうしても、アリシアが愛したその花の、野生の姿に触れなければならなかった。

 それが、リュックがあのとき村を留守にした、たったひとつの理由だった。


 レティシアがなんと言おうと、リュックの胸の内に巣食う罪悪感は消えない。

 アリシアや村の皆が命を落とし、レティシアが声を失ったあのとき、自分がそこにいれば、皆を、アリシアを救うことができたのではないかと、どうしても考えてしまう。

 だが、現実的に考えればレティシアの言うとおりだった。あの襲撃はリュックひとりの手に負えるようなものではない。

 レティシアが無事に逃げ延び、失った声を取り戻せただけでも幸運だったに違いない。


 レティシアに促され、リュックは小さく頷いた。

 互いに笑顔を交わすと、レティシアは小走りでモルガンを追いかけ、石の階段を降りて行った。



「リュック、気付いてた?」


 去りゆく少女を見送って立ち尽くしていたリュックに、マリアンルージュが歩み寄る。


「レティはきみのことが好きだったんだよ」


 振り返り、首を傾げるリュックに向かって、マリアンルージュは静かに告げた。

 一瞬、驚いたように目を瞬かせて、リュックが小さく息を吐く。


「気付いてたよ。でも、オイラはずっとあいつの義兄さんになるつもりでいたから。妹のように思ってたから、今更あいつをそんな風には見てやれない。オイラじゃ幸せにできないよ」

「そっか……」

「それに、この街なら異種族が差別されることもないからね」


 顔を上げたリュックの表情からは、先刻までのやり切れない様子は微塵も感じられない。吹っ切れたように屈託なく笑うリュックに、マリアンルージュは穏やかに微笑み返した。

 ふたりのやり取りを最後まで見届けて、ゼノがマリアンルージュに声を掛ける。


「マリア、そろそろ時間です」

「うん。……それじゃ、リュック」

「だな。そろそろ行こうか」

「……は?」


 マリアンルージュとリュックのあいだで交わされた流れるように自然な会話に、ゼノは間の抜けた声を漏らした。

 茫然とするゼノを置いて、ふたりは颯爽と石の階段を降りていく。


「どうしたんだよゼノ、置いてくぞ?」


 途中で足を止めて振り返り、訝し気にゼノを呼ぶリュックに向かって、ゼノは抗議にも似た言葉を投げ掛けた。


「いやいやいやちょっと待ってください。まさかリュック、一緒に来るつもりですか?」

「当然! オイラがいないとお前、何もできないだろ?」


 困惑するゼノを尻目に得意気に踏ん反り返り、声高らかにリュックが告げる。

 呆然とするゼノを眺めながら、マリアンルージュがくすくすと笑いを零した。


「は? 何言ってるんですか? ちょっとマリア、笑ってないで止めてください」

「まぁまぁ、いいじゃない。一緒に行こうよ。きっと楽しいよ」

「そうそう、旅は道連れって言うだろ?」


 反論を受け付けない勢いでそう言うと、リュックはマリアンルージュの手を取って楽しげに駆け出した。

 城壁の際にひとり取り残されたゼノは、旅の今後を考えて若干の眩暈を堪えたのだった。



***



 自由都市アルティジエの中央にそびえ立つ時計塔。その鐘堂から正午を報せる鐘が鳴り響く。

 街は今に、昼食へと向かう人々で溢れかえるだろう。


 石畳みの道を埋め尽くす人混みに紛れ、先を行くリュックとマリアンルージュが大きく手を振っていた。

 やれやれと溜め息をひとつ零し、ゼノは雑踏の中へと足を踏み入れる。

 三人の後ろ姿は、瞬く間に人波に飲まれて消えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る