真夜中の訪問者
「……あれ?」
「なんだよ、ゼノ。どうかした?」
装飾細工を作り始めてから何日か経ったある日、ゼノはイシュナードの首飾りの変化に気が付いた。
ゼノが初めて装飾細工を完成させたあの日、闇色のペンダントを半ば強引に取り上げたイシュナードは、嫌がるゼノを余所に、その日から毎日、見せびらかすように首飾りにペンダントを提げていた。
イシュナードの胸元で揺れる闇色のペンダントを目にした里の人々は、揃いも揃って眉を顰めた。その光景を見るたびに、ゼノはなんとも居た堪れない気分になったものだったが、後日、その行動の真意を知って、ゼノはイシュナードに感謝した。
イシュナードがゼノのペンダントを身に付けるようになってから、ゼノを蔑んでいた里の若い世代がその行動を控えるようになったのだ。里長を継ぐであろうイシュナードの無言の意思表明は、瞬く間に里の全ての住人に影響を及ぼした。
イシュナードは闇色のペンダントを身に付けることで、ゼノやその家族を蔑む者を牽制していた。
それもあって、イシュナードが闇色のペンダントを身に付けるのはふたりの友情の証なのだと、ゼノは考えるようになったのだ。
そんな矢先のことだった。
イシュナードの首飾りからペンダントが消えていたのは。
「俺のペンダント、付けるのやめたんだ?」
「ああ、あれ? 欲しいって言われたからあげちゃった。ごめんな」
茫然とするゼノの問いに悪びれるそぶりもなく、イシュナードは軽く頭を下げて笑った。
人のものを勝手に取り上げた挙句、他の誰かに譲渡するなど言語道断だと、ゼノは訴えようとした。けれど、イシュナードの言葉を咀嚼して、ふと思い直したのだ。
「……欲しいって、そんなひと、いたんだ」
「うん」
イシュナードの他にも闇色のペンダントを気に入った人物がいた。それを知って、ゼノはなぜだか胸の奥が暖かくなっていくのを感じた。
そして同時に気になった。
イシュナードがお気に入りのペンダントを贈った、ゼノの闇色の鱗を気に入った、その人物が誰なのか。
***
ぼんやりとした視界に、ソファに腰掛けるマリアンルージュの姿が映った。
律動的に縫い針を動かし、黒いコートのほつれを繕っていた彼女は、ゼノの視線に気が付がつくと柔かに微笑んだ。
「目が覚めた?」
「はい……すみません。いつの間にか眠っていました」
前髪を掻き上げながらベッドの上で身を起こし、ゼノはページが開かれたままの赤い本を手に取った。
あのあと、夜の街から部屋に戻ると、マリアンルージュは唐突に、壁に掛けてあったゼノのコートを繕いたいと言い出した。
服を仕立ててくれたお礼がしたいと言ってはいたが、その行動がふたりのあいだの微妙な空気を気にしてのことなのだと、ゼノはすぐに理解した。
結局同じ部屋で寝泊まりする、その気まずい状況の打開策として、何か別のことに集中することを彼女は選んだのだ。
ヴァネッサから裁縫道具を借りてマリアンルージュが繕い物をはじめたため、彼女の気を散らさぬよう、ゼノは部屋の隅に置かれたベッドの上へと移動した。そのまま寝そべり、イシュナードが遺した本に、里を出てから体験した出来事を書き留めていったのだが、そこで記憶は途切れていた。
開かれたページにみみずのように這うひしゃげた文字から察するに、どうやらゼノは、そのまま眠ってしまったようだ。
小さく溜め息をつき、ゼノはマリアンルージュの様子を窺った。
手際よく針を進めていたマリアンルージュが、ゼノの視線に気がついて、ぱっと顔を上げる。
「黒だから目立たないけど、やっぱり新しいコートを買ったほうが良いかもしれないよ?」
そう言ってソファから立ち上がり、黒いコートを両手で広げてゼノに見せた。
思いの外、出来映えが良い。料理も裁縫も母親に仕込まれてると言い切ったマリアンルージュの言葉に嘘はなかったようだ。
「上手いものですね。まるで里を出る前の状態に戻ったようです」
「そうかな。きみのほうが上手に出来そうだけど」
ゼノが感心してみせると、マリアンルージュは小首を傾げてソファに腰を下ろし、手元のコートに視線を戻した。
仕上がりを確認するマリアンルージュが、頬にかかった横髪を指先で掻き上げる。揺らいだ髪の隙間から、あの耳飾りが覗き見えた。
部屋の灯りを反射した闇色のペンダントが、その存在を主張するかのようにきらりと輝く。
「その耳飾りの石なんですが……」
躊躇いがちに声を掛けると、マリアンルージュはもう一度顔を上げ、闇色のペンダントに指先で触れた。
「これ? イシュナードに貰ったんだよ」
無邪気な微笑みと共に告げられたその言葉からは、何の躊躇いも感じられない。
マリアンルージュにとって、イシュナードからの贈り物を身に付けることは、ゼノに対してやましさを感じるようなことではないのだろう。
マリアンルージュがゼノに対し、少なからず好意を抱いていることは、先程の街での出来事でなんとなく理解した。
普段は他人に見られない箇所であるにしろ、里で忌み嫌われる闇色の石を身に付ける、その行為が何を意味するのか、ゼノには解っている。
かつて、イシュナードがゼノとの友情の証にそれを身に付けてくれたように、マリアンルージュは密やかにゼノを受け入れてくれていたのだ。
「そのペンダント……俺が作ったんです」
「知ってるよ」
鼻歌交じりに針を動かし、マリアンルージュは何事もないかのように繕いものを仕上げていく。彼女の口ずさむ歌は、部屋のなかを心地よい空気で満たしていった。
やがて、暖炉に焼べられた薪が崩れ、火の粉が舞い上がると、唐突にマリアンルージュが声をあげた。
「あぁ! ごめん、もしかして、返して欲しいってこと?」
マリアンルージュの発言があまりにも的外れなものだから、ゼノは思わずつんのめりそうになった。
もしかしなくても、マリアンルージュが耳飾りを付けていることに深い意味などないのかもしれない。
気に入っているから身に付けている、ただそれだけで、もしゼノにペンダントを返して欲しいと言われたら、あっさり返す気なのかもしれない。
先刻の街でのことも、ほんの出来心か何かで、あのとき感じた好意はゼノの勘違いに過ぎないのではないか。
「いえ……気に入って頂けたなら、そのままで……」
がっくりと肩を落とし、溜め息交じりに呟いて、ゼノは再びベッドに倒れ込んだ。とんだ空回りだったと自嘲して、ちらりとソファへ目を向ける。
きょとんとしてゼノを見つめていたマリアンルージュは、ゼノと目が合うと指先で耳飾りに触れ、愛おしむように微笑んで囁いた。
「……うん。気に入ってるんだ。すごく」
マリアンルージュの想いがゼノに向けられるようになった。それが、いつの頃からなのかはわからない。
オルランドが言ったように、彼女が里を降りたのは、ゼノを追うためだったのかもしれない。
ベッドの上で仰向けに寝転んだまま、ゼノはいなくなった親友のことを考えた。
ゼノが知る限り、イシュナードは簡単に他人に物を与えたりしない。皆が欲しがるようなものには興味を示さなかったこともあり、里の住人には知られていないかもしれないけれど、イシュナードは本来、どちらかといえば他人のものを欲しがるほうなのだ。
更に言えば、イシュナードが欲しがって手に入れたものを手放したことは、ゼノが知る限り、一度足りともなかった。それ故に、ゼノから取り上げたお気に入りのペンダントをマリアンルージュに贈っていたという事実は、ゼノの胸にわだかまりを残した。
婚姻の申し入れを断ったのだから、マリアンルージュとイシュナードの関係は、マリアンルージュの一方的な片想いだったのだと思っていた。
けれど、おそらくそれは間違いだ。
ゼノの気持ちを知って要らない遠慮をしていただけで、本当はイシュナードも、マリアンルージュに想いを寄せていたのだろう。
イシュナードに会って話をしなければならない。
孤独だった自分を救ってくれたイシュナードに、今までの借りを返さなければ。
そして全てのわだかまりが消え、イシュナードと対等の存在になることができた、そのときは――。
マリアンルージュに想いを伝えたい。
そう、ゼノは思った。
***
こつこつと軽い衝突音が耳に届く。
静まり返った薄闇の中で、ゼノは目を開けた。
暖炉の火はすでに消えていたが、カーテン越しに射す月明かりは思いの外明るい。
隣のベッドを確認すると、布団にくるまり、寝息を立てるマリアンルージュの姿が目に入った。
安らかな寝顔をほんの僅かだけみつめて、ゼノはベッドの上で身を起こし、注意深く部屋の中を見回した。
はじめは部屋のドアがノックされているのかと思ったが、どうやら違うようだ。その音は、月明かりに照らされた窓辺のほうから聞こえていた。
不審に思ったゼノは、音を立てないようにマリアンルージュの側に寄り、耳元で囁きかけた。
「……マリア、起きてください」
「へあ……?」
気の抜けた声をあげ、寝惚け調子でマリアンルージュが返事をした。
指先でまぶたをこすり、ぼんやりと眼を開けたマリアンルージュは、間近で顔を覗き込むゼノに気がつくと、慌てふためいて飛び起きた。
「……え? え、なに……?」
「静かにしてください」
狼狽えるマリアンルージュの口を手のひらで塞ぎ、その視線を窓辺へと誘導する。音はまだ、一定の調子を繰り返していた。
「なんの音……?」
「わかりません。無視しても問題ないと思いますが、気味が悪いので確認したいような気もします。……どうしますか?」
「……なにそれ」
真顔で答えるゼノの言葉にくすりと笑いを溢すと、マリアンルージュはベッドから立ち上がり、つかつかと窓辺に向かった。後に続くゼノの姿を確認して、彼女は躊躇いなくカーテンを開け放った。
窓の外には何もなかった。
いつの間にかあの音は鳴り止んで、静寂に包まれた街の上に青白い月が浮かんでいた。
「何もいないね」
ぼんやりと外を眺めたまま、マリアンルージュが呟いた。隣に並び、窓枠に掛けられた留め金を外すと、ゼノは勢いよく窓を開いた。
部屋に吹き込む凍てつく夜風に身震いし、思い切って窓から身を乗り出してみれば、視界の端に何かが見えた。
よくよく見ると、窓辺の下の突き出た屋根の上に、一輪の花が置かれている。
「風で飛んできた……わけではありませんよね」
窓の外をひととおり見渡すと、ゼノはマリアンルージュを振り返り、手にした花を差し出した。真っ白なその花には、ふたりとも見覚えがあった。
互いに顔を見合わせて頷き合うと、ふたりはもう一度、窓から身を乗り出した。
***
神様の存在なんて、少年は信じていなかった。
けれど、決して狭くはない、出歩く者などほとんどいない夜の街であのふたりを見つけることができたのは、紛れもなく奇跡に値することだと、少年は思った。
この偶然を作り出せるものが、この世に存在するならば、それは正しく神なのだろうと。
少年は茂みの陰に身を潜め、建物の全ての明かりが消えるのを待った。
手のひらから生み出した植物の蔦に白い花を引っ掛けて、目標の窓辺へと向かわせる。蔦の先で繰り返し窓硝子を打つと、軽い衝突音が静寂に響いた。
やがて開け放たれた部屋の窓から、見覚えのあるふたりが顔を出す。
心から安堵して顔を綻ばせると、少年は隣でうずくまる少女の手を取り、茂みから飛び出した。
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