弐
『お前は娼館で生まれたんだ』
お頭から聞かされた真偽は定かでないものの、サノが盗賊団〈スミ〉の団員として育てられたことはたしかだ。乳の味など知らず、親の声も知らない。お頭が自分の親だと言われれば、そうなのだろうと思うしかなかった。物心つくより前から〈スミ〉で育てられたサノに、他の居場所など存在するはずもなかったのだ。
それを不幸だとは思わない。仲間たちは皆優しかったし、気前がよかった。盗賊稼業が上手くいかない日はひもじかったが、そのようなときには、仲間たちが少ない飯をちょっとずつ分け与えてくれたものだった。
サノに不安なことはなにもなかった。長じるにつれ、盗賊の仕事を任されるようになってからも、罪悪感に苦しむ必要はなかった。〈スミ〉は外道の集まりではなかったから。決して弱きから盗まず、人を傷つけず、盗んだ金品の半分以上が貧しい者たちに分け与えられた。義賊と呼ぶに相応しい集団だったと。そう信じている。
ところが、なにがお頭を変えてしまったのか。
〈スミ〉はある時から弱い者からも金を盗るようになり、女をさらい犯すようになり、果ては殺しにまで手を染めるようになった。
サノはそのやり方についていけず当惑した。弱い者を傷つけたくなかったし、人を殺めるなど以ての他だった。そんなことをするくらいなら、ひもじい夜を過ごすほうがきっと楽だったろう。
次第に仕事にも手がつかなくなった。強行突破を余儀なくされる場面でも、サノだけは、決して人の命をとろうとはしなかった。
そんなサノが、ついに〈スミ〉を抜けることとなったのは、二月前のことである。
ある日、呼びだされお頭の座敷を訪ねると、待っていたのはさらわれてきた女だった。そして、奥で莞爾と笑んだお頭が、突き出た腹を叩いて言ったのだ。
『犯せ』
と。
命ぜられた瞬間、サノの中で何かが折れた。ぽっきりと。音をたてて。
気付けば、アジトを転がり出たあとだった。持ち前の逃げ足の速さで追っ手を振り切り、真っ当な生き方など模糊とも想像できぬまま、独りとなった。
けれど長らく盗賊として生き、そのくせ大きな仕事も任されてこなかったサノに、逃げ足以外誇れるものはなかった。錠前の外し方も知らず、聞く耳はたてられても、それを整理できるだけの頭がなかった。道端の乞食となったのは、不幸でもなんでもない。必然だった。
サノはまだ十六歳になったばかりだ。その若さゆえか。憐れんで恵みをくれる者が少なからずいた。それでも毎日食事にありつけるわけではなく、三日三晩飲まず食わずいることも珍しくはなかった。
そんな生活が二月を過ぎようとしていた頃、サノはとうとう辛抱堪らず、店の饅頭を一つかっさらって食べたのだ。その日は運よく逃げ切ることができたが——。
翌日、別の店でまた饅頭を盗むと、いとも簡単に捕まってしまったのだった。
その結果が鬼流し——西野村行きというわけである。
〈スミ〉の下っ端だったサノは余罪を追及されず、そもそも団員であることさえ認知されなかった。もし、それが明らかになっていれば、アジトの場所を吐くまで拷問された挙句、打ち首となっていただろう。
だから鬼流しの刑に処されるのは、むしろ幸運なことだった。西野村は〈鬼〉と呼ばれる化け物が出ることで有名だが、鬼流しとなった者は飯に困らず済むとも聞く。
その上、住む場所まで与えられるというではないか。罪人として処罰されるはずなのに、まるで恵みが降って湧いたようだ。
「しかしなぁ……」
〈鬼〉の現れる過酷な地での生活。そうそう楽観視してもいられない。
十二の頃から四年、盗賊稼業をしてきたにもかかわらず、ちっとも肝の太くなっていないサノは、小さな鼠一匹にさえ腰を抜かしてしまう臆病な男だ。盗賊時代には、小心がたたって捕まりそうになったことなど一度や二度ではない。〈鬼〉なんぞに遭遇しようものなら、襲われる前から鼓動が止まってしまうかもしれない。
サノは胸を押さえ、犬のように、ぶるると身体を震わせた。
すると、隣を歩いていた男が一瞥を寄越した。
「どうかしたか?」
黒光りする鋼の胴あて、血濡れ袴を身につけ、腰には刀、肩には銃を提げた〈鬼狩り〉の男だ。顔には深いしわがいくつも刻まれているが、精悍な顔つきをしており、声をかける間にも両隣にそびえたつ並木に油断ない視線を送っている。
西野村の外にも〈はぐれもの〉がいるため、鬼流しとなる者にもこうして護衛がつく。逃げても〈鬼〉に喰われるだけなので、中原村よりあとの道程では錠の類もされなかった。
こちらへはちっとも注意を向けず、〈鬼〉の気配ばかりに触角を伸ばしているこの男の名は――たしかタツゴとか言ったはずだ。
「西野村、どんなに恐ろしい場所なのかと思いましてね……」
またぶるりと肩を震わせると、タツゴは目も合わせず笑った。
「女子のほうは毅然としているのに、男のお前がすっかり縮み上がっているとは滑稽だな」
タツゴとは反対に目を滑らせれば、やけに背筋のいい女が歩いているのを見てとれる。
彼女もまた鬼流しとなったのだろう。たしかテルという名で、サノのくたびれた長襦袢とは違い、しわの一つも見られない紺の長着や雲よりもなお白い袴を身に着けている。
とても罪人とは思われない身なりに、怪訝な目つきをせずにはおれなかった。
「恰好の所為じゃねぇんですか?」
サノは囁きかけるように言った。
「たしかにテルの恰好は大層品があるが、そればかりではなかろう。お前は目に見えんところで胸を縮ませ、目に見えるところでは肩を縮まらせているではないか」
「まあ、度胸がねぇのは認めます。なにせ饅頭一つ盗むのに二月もかかったんですから」
「饅頭を盗んだのは褒められることではないが、注意深いのは、お前の美徳だ」
サノはとぼとぼ歩きながら、忙しなく目を動かすタツゴの横顔に目を凝らした。
たしかオレは、罪を犯して裁かれようとしてるんじゃなかったか?
どういうわけかタツゴというこの男は、罪人を褒めるようなことを言った。
気のよかった〈スミ〉の連中にだって、褒められたことは一度もなかったのに。都からほんの五日ばかり歩いてきただけの男に褒められた。奇妙なことだった。
「なんでオレなんかを褒めるようなこと言うんです?」
率直に訊ねた。
タツゴは、やはりこちらを見ることもない。
「悪く言ってもなにも始まらんしな。それにお前は、これから西野村の仲間になるんだぞ?」
仲間。その響きについつい〈スミ〉の連中を思い出してしまう。お頭の意向で変わってしまった仲間たち。仲間だった者たち。
単純なサノは、それだけでタツゴを優しい人だと思った。たしかな情を感じた。
けれど、この〈鬼狩り〉の男に対して、猜疑の目を瞑ったわけではない。彼もいつか〈スミ〉の連中と同じように、豹変するときが来ないとは言い切れない。かつての仲間たちにも情は感じられたが、とりまく環境はこうして大きな変化を遂げてしまっていた。
そうこう考えているうちに、タツゴが次の句を告げる。
「心を通わせなくては、〈鬼〉につけこまれる」
サノは肩を縮め俯く。
その胸の中に拡がるのは、むず痒い恥だ。単純な自分を恥じる心だ。
人間の本音というものは、ついついこぼれ出る。
所詮、こんなものだ。タツゴは命惜しさに上辺の関係を築こうとしたに過ぎない。畢竟、人情とは己のためにしか動かない。人が他者を交える理由に、真実の美談はないのだ。
サノはそれからなにも口を利かなかった。余計なことも極力考えぬよう努めた。
やがて西野村へ続く並木道に、
☯☯☯
正面に鬱蒼と茂る松林、右手に岩がちな道が続き、左手には祓川の上に架けられた太く頑丈そうな橋がある。
「この橋を渡ったあそこが西野村だ。奇妙な形をしているだろう?」
それはタツゴの言う通り、奇妙な形をしていた。家々が円を描くように並び、その背中すべてに白樺の木を負っているのだ。村の空き地には、まばらに篝籠が設けられ、その様は村というよりも得体の知れない術をあやつる術師の庭のようである。
だが、なによりもサノの注意を引いたのは、家屋と大木の背後から忍び寄る気配だった。それは毛穴の一つひとつにまで浸入し、身体のなかを恐怖と嫌悪でかき乱した。まるで皮下を蛆が這い回るかのように。
どうやらそれは、これまで毅然とした態度を取っていたテルにも感じられるようだ。葉擦れの音を呼ぶ風は、寒いどころか温かいほどなのに、彼女はしきりに首や二の腕をさすっている。
サノは小さく足踏みした。
村の入り口にさしかかると、二人の〈鬼狩り〉の門番に迎えられた。
タツゴが会釈すれば、二人も会釈を返した。それからサノとテルに訝るような視線を投げる。
「サノとテルだ」
肩越しにタツゴが視線を寄越した。どうやら挨拶しろということらしい。
「サノというもんです。これからこちらで世話んなります」
サノはできる限り慇懃な態度で挨拶した。門番の二人が表情を綻ばせ「よろしくな」と返した。
その穏当な反応に、またもや困惑した。
だがその困惑もすぐに、テルに対する軽蔑へと変わった。
テルがこの期に及んで唇を湿らすことさえせず、小さな会釈を返しただけだったからだ。
ところが、誰もその態度を咎める者はいなかった。それどころか門番の二人は、やはり柔和に微笑むばかりだ。
そんなやりとりをしているうちに、村の中から別の〈鬼狩り〉が駆け寄ってきた。
「戻ったか、タツゴ殿」
男が破顔して、タツゴの肩を叩いた。
「ああ、やはり都まで行くのは疲れるな。だが、もう一仕事せねばならん。すまんが、ヤエを連れて来てはくれんか」
男がテルを一瞥して頷いた。
「ああ、すぐに呼んでくる」
男はこちらに目配せして微笑むと、疾風のごとく、連なる家々のほうへと駆けていった。胴あてに刀と銃まで背負っているのに。サノは目を丸くし、すっかり感心した。
ややあって現れたのは、背に芯が通っているような矍鑠とした老婆だった。肌さえ見なければ、老婆と気付かぬほど、その背筋は真っ直ぐに伸びている。肌を覆うのは、黒い長襦袢。白い髪を通るのは、団子の串のように飾り気のない簪だ。
「すまんな、ヤエ。この女子、例のテルという者だ。私はこっちのサノを連れて行かねばならんから、どうかこの娘を頼む」
「あいよ、分かった。おいで、お嬢ちゃん」
そう言うと老婆は、しわくちゃの顔を余計しわくちゃにして、テルを連れ去っていった。都から西野村までは五日もかかったというのに、結局、一度も彼女の声を聞かなかった。
「それでは私たちも行くぞ」
「どこへ行くんです?」
「お前の住む家へ案内する。最初の挨拶というわけだ。今日は私の愚息も家にいるだろうからな」
都から出る際にタツゴの家で厄介になると聞いていたが、改めてこの油断も隙もない男の家に行くのだと思うと緊張が押し寄せてくる。あれやこれやと生活の粗を糺されそうだ。サノは唾を呑んで、タツゴを見返した。
ところが、視線はすぐに躱された。そそくさと歩き出す足許には一切の迷いも躊躇もない。
サノは慌ててタツゴを追い、その背中に声をかけた。
「あ、あの、旦那! 旦那の息子さんも〈鬼狩り〉なんですか?」
「そうだ。男子の多くは〈鬼狩り〉となる」
「……オレもならなくちゃいけねぇんでしょうか?」
罪人として送られてきたのだから、〈鬼狩り〉として生きるのがさだめなのだろうと解っている。だが最後の望みが、まかり間違って叶えられはしないか。そう思い、つい口に出してしまった。
これはさすがに咎められるだろうと、咄嗟に口を覆い隠した。依然としてこちらを見ようともしないタツゴを前に、冷たい汗が噴き出した。
しかしタツゴから返ってきたのは、思いもよらぬ一言だった。
「なりたくなければ、ならなくともよい」
「へっ?」
素っ頓狂な声がでた。
「〈鬼狩り〉など、無理強いするような生き方ではない。覚悟のない者が〈鬼狩り〉となっても、却って邪魔になる。だが、ここは都のように平和ではない。それだけ覚えておけばよい」
肩透かしでも食らったような気分だった。鬼流しが決まったその時からサノは、〈鬼狩り〉として生きねばならないのだと、暗澹とした気持ちに囚われ続けてきたのだから。
家々に沿って弧を描いて歩いていたタツゴが不意に足を止める。サノもつられて足を止めた。
タツゴの手が引き戸にかけられる。
ところが、サノの視線はそこに定まらなかった。先ほど感じた嫌悪と恐怖がより強く迫ってくるのを感じていたからだ。
視線の先には、背の低い岩壁があった。
その前では二人の〈鬼狩り〉が胡坐をかき、岩壁から手前に張り出した突起を支えに銃を置いている。〈鬼狩り〉の正面部分にだけ人の頭部大の穴があいており、銃口はそこから外に突き出ていた。岩壁は、どうやら狭間の役割を担っているようだ。負の感情の凝りは、その狭間の奥から雪崩れ込んできていた。
恐怖は膨れ上がってゆく一方だった。だのに狭間の向こう側から意識を逸らすことができない。足許から凍り付くような寒気がせり上がり、胸を鷲掴まれるような痛みが呼吸さえ難儀にさせた。
「ここが私の家だ」
救いの手を差し伸べでもするように、タツゴが強い口調で言った。
途端に寒気が去り、固定されていた視線がタツゴのもとへ滑った。サノは荒く息を吐きながら、おもむろに足許を見下ろす。
「お前も今日からここへ住むことになる」
「は、はい」
西野村の家々は、どれも姿形に変わりがない。破風が見事な弧を描き、厚い板張りの壁が重厚な雰囲気を演出する寺社仏閣のような奇妙な造りだ。
表札が掲げられているわけでなく、どうやって他の家と見分けているのかよく分からない。畑を覆う家の数は二十軒ほどなので、そのうちに覚えられるだろうが不便だ。村の南のほうにも同じような造りの家が幾つか並んでいるが、村へ近づいた際に見た、混沌とした黒い森を背負って建っている所為か、人が住んでいるようには思われなかった。
「帰ったぞ」
タツゴが引き戸をひき、声をかけると、中から忙しない足音とともに背の低い女が現れた。
歳の頃は、おそらくタツゴとさして変わりない。ところどころにしわが刻まれている。にもかかわらず、肌はまだまだ瑞々しく目鼻に力が感じられた。綻んだ口許だけは蕩けるようだ。これがこの家の奥方らしい。タツゴから聞いていた名はミヨ。見るからに優しそうな女性だ。
「都の者を連れてきたぞ」
「あら」
ミヨの目がこちらに向けられる。目のしわが深くなり、柔和な笑みが浮かんだ。
サノは、いよいよ村人たちの笑みは、侮蔑の意思表示なのではないかと訝り始めていた。
「あなた、早くお入りになってください。この子がつっかえていますでしょう」
「ああ」
タツゴが仏頂面で入ってゆく。
ミヨへ頭を下げるサノだが、どうやらこの村は礼儀を重んじてはいないらしい。「早くいらっしゃい」と手を引かれた。その手は乾いていたが、盗賊団のどんな男たちの手よりも温かかった。
もつれる足で三和土を踏むと、中の様子が窺えた。火のない囲炉裏の正面、こちらに背を向け、一人の男が座している。傍らには刀と長銃。男は刀の鞘に手を置いたまま、身動ぎ一つしない。
その背中に声をかけたのはミヨだった。
「ナギ。都の方がいらしましたよ」
まるで客人のような紹介だが、サノは罪人だ。饅頭を盗んだだけだが、罰としてこの村へやって来た。
青年が刀を手に立ち上がり、ゆっくりと振り返る。
後ろで結った長い髪が揺れる。頬の上に小さな傷。こちらを見る目に敵意はないものの、深い闇が凝って見えるのは何故だろうか。
「どうも。オレはサノといいます。流れ者のろくでもねぇ男で……」
「いいから、座れ。細かい話は菓子でも食いながらにすればいい」
タツゴが囲炉裏の前に腰を下ろし、自分と対面する方向に顎をしゃくった。青年は浅く頭を下げると、囲炉裏に向かって腰を落ちつけ――しかしやはり鞘を握ったままだ。そこに対面する形でミヨが腰を下ろす。
サノは草履を脱いで框を上がり、青年の後ろへ回って示された席へ向かった。
すると——
カチャリ、
小さな音が鳴った。
反射的に視線が落ちる。
青年の指。それが鍔を弾き。鞘と鍔の間から窺えたのは。
白刃。
「ひっ……!」
身の危険を感じ、サノの腰が砕ける。背筋に痛いほどの恐怖が走った。きつく目を瞑り視界が閉ざされると、すでにはらわたを裂かれたような心地がした。
それを錯覚だと教えてくれたのはミヨの声だった。
「ナギ、サノは〈鬼〉じゃないのよ!」
「ああ、つい……」
ミヨの注意で、ナギと呼ばれた青年は刃を収めたようだ。それからすっくと立ち上がるとサノの手を取り、強引に立ち上がらせた。やはり、その目には敵意も悪意もなく、サノは困惑しながら、空いた席にへなへなと座りこむ。
「すまん。常に気を張ってるもんで、後ろに立たれると身構えちまうんだ。〈鬼狩り〉の悪い癖だな、こいつは」
ナギは微かに肩を揺らし笑ったが、白刃を見せつけられた方は、とても笑い返すことなどできない。笑っているのは膝だけだ。
都にいた頃はろくに知りもしなかったが、どうやら〈鬼狩り〉という人種は狂人の類らしい。
「俺はナギ。きのう母様に聞いたよ。あんたとは二つしか歳が違わないんだってな。だから、気楽に話せると嬉しい。この村にはあんまり若者がいないんだ」
「……ええ、ああ、よろしくお願いします」
ナギはくだけた調子で話したが、サノはいきなり刃を見せつけてくるような相手に心をくだくことはできず、畏まった調子だった。
「私はミヨ。今、お菓子を出しますね」
ミヨはそう言うと、あらかじめ用意してあった傍らの草包みを一つ寄越した。サノはようやく席に着き、それをナギへ回そうとしたが、ナギの手にはすでに包みがあった。
「あ」
「なんか、あんた全然流れ者っぽくないなぁ」
ナギが口の端を持ち上げて、草の包みをあける。中から現れたのは、なんの因果か饅頭だ。
サノは苦笑とともに頭を振った。
「オレぁ、こいつを盗んでここに来たんです。あんまりひもじかったもんで」
饅頭を口に入れようとしていたナギが目を丸くした。
「そりゃ驚いた。饅頭盗んだだけで鬼流しかい?」
「ええ。都には罪人を入れておく牢がねぇってんで。ちんけな罪をはたらいたオレは、牢の代わりにここへ」
「はは。都の奴らは失礼なこったな。西野村は体のいい牢屋ってわけかい」
そう言ったナギの目は笑っていなかった。サノはぞっとして目を逸らした。
「気の毒ですね。それでこんな辺鄙なところまで」
そう言ったのはミヨだ。彼女は自分の饅頭に目を落としている。
「いえ。オレが悪いのには違いねぇんです」
草の包みをひらいて、饅頭を一口かじる。中に餡子がたっぷり入っていて美味い。あの日の罪の味だ。
「……それだけのことをしたんです」
脳裏に過ぎるのは外道になり下がったお頭の顔。着物をひん剥かれたあわれな女の怯える眼差し。義をわすれ、欲に堕ちたものの所業。空腹に白旗をあげ、義もなく伸ばした己の腕。
物心ついた頃から盗賊として生きてきたサノだが、お頭が闇に堕し、自らが縄にかけられたとき、しみじみと「盗みは悪」だと感じた。それは他者のものだけでなく、己の魂の根幹にやどる光さえも奪うのだ。
「そう思うのならばお前は、この村でまっとうに生きろ。〈鬼狩り〉になるもならぬもお前の勝手。ただ正しいと思った道を選び、過去の己の卑しさをその胸に刻みながら、ひたすらに生きるのだ」
タツゴはいつの間にか饅頭を食い終えていた。おもむろに立ち上がれば「疲れた。ひとまず寝る」と言って、奥の部屋へ消えてしまった。
閉じた戸を見つめながら、サノは慙愧に震えた。タツゴを利己的な人間だと決めつけた己を恥じずにはいられなかった。
あまりにも。
あまりにも真摯な言葉だったから。
かつては義賊だったとはいえ、〈スミ〉は生き方まで選ばせてはくれなかった。いつの間にか、盗賊として生きるための轍が伸びていたように思う。
けれど、タツゴは違う。彼はサノの道を定めようとはしなかった。
選ぶ生き方が楽なのかそうでないかは分からない。けれど眼前に広がった自由への悦びは、サノが密かにそれを求めてきたことの証左だった。
背中を追うことまではできなかったけれど。
どうか想いが届くようにと。頭を下げる。
「ほらほら。お食べなさいな」
その折れた背中を、ミヨがさすってくれた。
些細なことがサノを過去へとひき戻す。
乱暴に背中を叩かれ、仲間たちとがはがは笑う日々。お頭を囲む団欒の時。
今でもあの頃に戻りたいと思う。
それでも、次々とやって来る初めての優しさを嘘と感じるわけではない。むしろ、胸が痛くなるほどの喜びがこみ上げてくる。
面を上げ、震える手で饅頭をかじれば、仄かにしょっぱい味がした。
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