彼女×カノジョ

じゅん

プロローグ

 突然だが、このような経験をしたことはないだろうか。

 自分が写っている写真やビデオを見たときに、なんだかそこにいるのが自分ではないような気持ちがする。そんな経験だ。

 もちろん、写真の中で作り笑いをしているぼくも、ビデオの中で楽しそうに話しているぼくも、いま語っているこのぼくと変わりない。そんなことは当然の話だ。

 でもそうわかっているからこそ、ますます不可解な気分になる。そこにはまるで別人がいるかのように感じる。

 違う顔、違う身体、違う声。

 自分の声は体の内側から聞くので少し高く響いて聞こえるというが、ぼくには鏡に映る自分の体すべてが別のものに見える。

 同じものだと思っていたら、全然違っていた。

 そういう感覚は、とても気持ち悪い。

 日々「自分はこういうものである」と思って生きてきたのに、外から見ると全然違っていたことにとてつもない違和感を感じるからだ。


 それは別に見た目だけの話ではない。性格だって同じだ。明るく振る舞っているつもりだったのに他人には暗く見えたり、賢い意見だと思っていたのに阿呆だと思われたり、好意を持っているのに嫌われていると思われたり。そんなことは生きていれば日常茶飯事に起こる。

 実際考えてみれば、「自分」なんていうのはずいぶん頼りなく、あやふやな言葉であることは確かだ。どんな人と対面していても同じような「自分」を演じている人間なんてそうそう出会えるはずもない。少なくとも僕の人生では一回も出会ったことがない。

 当然コミュニケーションの相手が変われば、僕の態度は無意識に変わる。おそらく僕は女の子に相当甘いと思う。でも、それはどうやっても変えられないだろう。僕が相手をどう思っているかによって、相手から見える僕自身も変わっていくのだから。

 つまり僕が一万人の人と接したら、彼らには一万通りの「僕」がいるように見えるわけで…。

 しかもその一万通りの「僕」はどれをとっても、れっきとした本物なのだ。

 なんともややこしいことだ。

 問題はそれだけではない。たとえ同じ人間と接していても、シチュエーションが変われば全然違う「自分」が生まれるだろう。時と場所によって僕の態度が変わることは避けようもない。

 教室の中にいる自分。部活をしているときの自分。塾にいるときの自分。家にいるときの自分。

 どれもが同じであり、違うものだ。

 つまり僕が言いたいのは、こういうことだ。

 「自分」という存在は本人が思っている以上に複雑で、難しいということ。「自分」は刻々と変わっていく時間と場所の中で、多くの人間と関わることで無限に増殖するものであるということ。

 だから、これから僕が語ることになる話も考えてみれば珍しいことではないのだ。そういう性質はだれもが持っているものだし、そういうものがないと生きることは不可能だと思われる。

 ただ、彼女の場合その傾向が他の人よりも顕著に表れている。それだけの違いなのだ。

 だれだって持っているものを彼女は多く持ちすぎたのだ。

 だから僕は彼女のすべてを認めているし、すべてを受け入れようと思う。それは一つの個性であり、僕には干渉することができない憧れの部分でもあるわけだから。

 君たちもわかってくれるだろう。彼女がとんでもなく魅力的な女性であるということを。

 必ず好きになってくれると信じているよ。

 

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