第89話 強い人

翌日も、部活で、例の補欠組の一団とすれ違い、一応先輩だから挨拶はした。


おつかれ、と返事をして、こちらに視線を寄せるような、そんな気がした。


「樽本、さん」


「はい?」


声に振り返ると、男子の一団が、私を呼んだことに気づいた。彼らと、再び向き合う。陰で何かを言うときはあれだけ呼び捨てなのに、面と向かっては後輩相手にも「さん」付けなのか。


ついに、堂々と文句や嫌味を言われるときが来たのか。私は身構えたが、彼らのうちの1人から出て来た声の内容に虚を衝かれた。


「今まで、ごめん」


「えっ…」


「聞こえてたろ?」


何の話をしているのかは、聞かなくても分かる。咄嗟のことに反応出来ず、一拍遅れて「はい」とだけ答えた。


「うちの部室、壁が薄くて外からでも聞こえるだろうし」


確かに、うちの部室は壁が薄いため、私を対象にした恨みごとはよく聞こえて来た。


しかし、それだけではないことを、根拠もなく直感する。


「バレたからやめるわけじゃないんだけど」


責められることを恐れるように、私に訴えかける。


「亀井が…」


亀井サトシの名前が出てくることに驚いた。


男子が続ける。


「亀井が気づいて、俺たちを説得しようとして来た」


気の弱そうな彼にそんな行動力があったなんて、意外だった。


「最初は、俺たちも止めるつもりはなかった…、あっ」


潔く謝ったのだから、密かな悪意を堂々と明かせばいいのに。バツの悪そうな彼らの、陰口を止めるに至った経緯の続きを促すために「大丈夫ですよ」と、安心させる。


自分が、この話に強く興味を持っていることに気付いた。それは、亀井サトシが絡んでいるからだろうか。いや、気のせいだろう。


じゃあ、と取り直して先を話す。


「その日は、俺たちは樽本…さんのことをずっとからかってたんだ、でも…」


言おうか言うまいか、真剣に吟味しているような顔だった。聞き手が納得してくれるどうかと、探っているようにも見える。


私にとっては、この上なく焦れったい。1秒でも早く言って欲しかった。


思いつめた彼らを、辛抱強く待つと、1人が口を開いた。


「今日、まるで人格が変わったみたいに、申し訳ない気持ちになった。樽本さんに」


そうなんだよ、と別の先輩が言う。


「何か得体のしれないものに、心を操作されてるみたいで、気持ち悪かった。そして、急に謝りたくなったんだ、俺たち」




私はさっき、何の話を聞かされているんだろう。そんな気持ちだった。


放課後、女子更衣室で着替えて、そのままグラウンドへ向かいながら、さっきの先輩たちの話を、ぼんやりと思い出していた。


まるで、理屈というものを感じられない、支離滅裂な考え方。


中2病、という言葉を中学に入って耳にしたことが何度かあるが、さっきの彼らは

それを重度に至るまでこじらせたような感じだった。


亀井サトシが、人とは違う何かを持っているのか。


バカバカしい。そんな、超能力だとか霊能力なんて、私は絶対に信じないし、この歳になって信じるやつはどうかと思う。


グラウンドの入り口に入ると、亀井サトシが少し遠いところにいた。今日も、十分な練習が出来ないかもしれないのに足の筋肉を丁寧に伸ばしている。


私の存在に気付いて、控えめに右手を挙げる。


その前から私は、彼に用があったから、会話ができる距離に近づいた。


「お、おつかれ」


わざわざ自分に詰め寄って、何を言われるのかとビクビクしたように私を見つめる。


こういうところは、ちょっとウザいけど。


私は、練習の始まりと終わりの時みたいに、深く頭を下げて言った。


「ありがとうございました!」


「えっ、ええ!?」


ちょっ、ちょっと…。私は頭を上げて、困ったようにたじろいだ彼に感謝を伝える。


『僕が、絶対止めるから、安心して』


この間、部室の前での彼の言葉。


出来るわけがいないと、勝手に結果を想像した私。


ありえない、そう思ってしまった自分が恥ずかしくなった。彼は、こんなにも強い人だったのに。彼の弱そうな見た目で判断した私は、ムカつくけど顔が可愛いから良い、と私を見た目で決めつけた補欠組の彼らと同じじゃないか。


補欠組としての部活も腐らず真剣に取り組む姿。気弱で臆病なのに、他人のために勇気を出して動ける勇気。


胸が締め付けられるように、苦しかった。


もっと顔を合わせて話したいと思っているはずなのに、苦しくなるから今すぐこの場から離れたいと思ってしまう、そんな矛盾した気持ちが、急に込み上げてきた。


そうか。私は確信する。


私は、亀井サトシのことを、好きになってしまったのか。


「あっ、そっ、そろそろスポーツドリンクの準備をしないと」


意外と整った彼の顔が、周りの視線に怯えるように強張っていた。

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