山田家の霊感事情
小谷杏子
1・山田家の日常
僕は幽霊が視える。それは嘘ではない。
僕の父、姉、祖父、つまり先祖代々、視える体質なのだ。なんでも、ご先祖さまが霊媒師だったみたいで、僕たちはその余った能力を僅かに受け継いだのらしい。
だから当然、この霊感一家の山田家長男である僕、山田太一もまた幽霊の存在を感知することが出来るのだ。この体質のせいで僕は長年、友人がつくれずにいた。周囲から見ればそりゃ「幽霊が視える変なヤツ」だからだ。
何もない(霊が潜んでいる)ところで叫んだり、驚いたり、ぶん殴ったり……そんなことをしていたら気味悪がられて仕方がない。
「お前は不器用すぎるんだ」
父、
「あんなもの、見てみぬふりして素通りしてればそれでいいんだよ」
簡単に言うなよ、クソ親父。
父の目は僕より感度は良くないらしい。いや、視力の問題もあるだろう。て言うか、もう歳も歳だから老眼なんだ。ほぼ視えていないに等しいんじゃないだろうか。
「太一は繊細なんだろうなぁ……俺の若い頃にようく似てる」
祖父、
「昔、べっぴんなお嬢さんについて行ったらな、その人、とっくに死んでたんだよ。んでな、危うく結婚させられそうになってなんとか上手く逃げたことがあってなぁ」
一緒にするなよ、クソジジイ。
僕はそんなことは絶対にしない。繊細なら見知らぬ女にホイホイついていかないし。危機感がなさすぎる。まぁ、この爺さんの場合、口を開けばいい加減な話ばかりなので聞き流す程度でいい。
「太一はあんたみたいなことしませんよ」
祖母、
「この子は目移りなんてしないのよ。今流行りの……えーっと、なんだったか……ほら、少食系なんだから」
うん、ありがとう、ばあちゃん。でも、それを言うなら草食系だしもう流行ってないと思うんだ。あと、いい加減に成仏したらどうなんだろう……なんてことは口が裂けても言えない。
すると、途端に祖父が言い返すように声を荒げた。
「うるさいぞ、ババア」
「うるさいってなんですか。あたしが世話しなかったら、あんたなんかあのロクでもない女に連れて行かれてたわよ」
「うるさいぞ、ババア」
「それしか言えんのか、あんたは」
今朝も絶好調にジジババの喧嘩は居間で繰り広げられる。そのすぐ隣のダイニングで朝食を摂るのが極めて億劫である。でも腹は鳴るので、仕方なく朝食の目玉焼きを黙って食べておいた。
「太一、寝癖ついてる」
トーストを運びながら母が言う。
「もう、お爺ちゃんったらまた一人で喋って……あぁ、お義母さんがいるのね。もう、いつまで夫婦喧嘩が続くのかしら」
母、
この一家で唯一、霊が視えない人である。ただ、この日常には慣れているのでスルースキルは僕や父よりも優れていると言える。まぁ、視えないからなんとも思えないんだろう。
「あれ? そう言えば
朝食の席にいない姉を母が気にかける。すると、父もスマートフォンからようやく目を離した。新聞やテレビが嫌いな父はネットからニュースを取り入れる。
「あいつはまだ寝てるのか……太一、起こしてきなさい」
父はそう言うと、再びスマートフォンを片手に持ち、トーストにかじりついた。
「え……なんで。別に起こさなくても良くない?」
二十歳もとっくに超えた女子大生をわざわざ起こしに行かなくてもいいだろう。それに面倒だから嫌だ。
姉の寝相はとんでもなく酷い。眠ったままチョップをしてくる。僕はてこでも動かないと主張するように、目玉焼きを口に放り込んだ。
「いいから、起こしてきてくれよ。大事な話があるんだ」
父は頑なにそう言った。
「大事な話?」
「そう、大事な話」
「なにそれ」
「注意事項的なやつだ。お前にも話さないといけないから、早く起こしてきなさい」
ふんわりとした説明だが、父の顔には一切の柔らかさはなかった。それが意味するのは山田家特有の事情のせいだろう。
僕は寝癖の立った頭を掻いて、仕方なく席を立った。居間ではジジババの喧嘩が今やヒートアップしている。それを横切り、居間から出てすぐの二階へ繋がる階段を上った。
二階は部屋が六つ。両方の突き当りのうち一方が姉の部屋である。念のため、扉を軽めにノックした。
「姉ちゃん、起きてる? 父さんが話あるからさっさと降りてこいってさ」
「………」
扉に耳を当ててみるも返事はない。寝てるに違いない。
「おいコラ、真麻江。起きろ」
今度は乱暴に拳を打ち付けてみる。
「………」
しかし返事はない。さすがは姉だ。一階から響いてくる祖父母の喧嘩でも起きないし、僕のノックでも起きないとは。僕は勝手にノブを回して、ひょっこりと顔を覗かせた。
カーテンは開きっぱなし。朝陽が差し込んでいるのにも関わらず、仰向けでベッドに寝転がっている。スウェットの上は捲れていて、柔らかな腹が丸見え。寝息だけは大人しく、なんとも気持ちよさそうに眠っていた。半眼でそれを睨む。
「真麻江ってば、おーい」
姉の脇腹を爪先でつついてみる。すると、ドスン! と姉が拳を振り下ろした。危ない……爪先が砕けるとこだった。
「姉ちゃん……あの、起きてください」
寝息を立てたままだから、眠っているんだと思う。それなのに、的確に僕の爪先を狙っていた。どんな悪霊よりも恐ろしい。それが僕の姉、真麻江である。
下手に触れるとどこかの部位が損傷しかねない。これだから僕はこいつを起こしたくないのだ。
しばらく声をかけ続けること数分――姉はカッと瞼を開いた。乱れた黒髪の隙間から僕の顔を見る。いちいち怖い。
「お、おー……おはよぉ、たいち……ご苦労さん」
「はぁ……」
「朝ごはん、何?」
色々と言いたいことはあるけれど、おはようと最初に言うだけマシか。
「ハムエッグとトースト」
「よし」
僕の答えに姉は元気よくベッドから起き上がった。
「あぁ、父さんが大事な話あるって」
布団から出てきた姉を認めてから、僕はすぐさま部屋を出ようと扉に向かった。出る間際にそれだけ言っておく。着替えなくていいらしく、姉はスウェットと寝癖のままで僕の後ろをついてきた。気だるそうに間延びした声を出す。
「大事な話ぃ? なんだろ」
「さぁ。近所に悪霊を見つけたとかじゃないの?」
「あー、そうかもね……別にさぁ、あたしたちも大人なんだしそんな忠告、もうしなくていいのにねぇ」
姉は楽観に言うと「ふぁぁぁ」と欠伸をした。階段を降りる。
「まぁね……僕ももう成人だし、それくらい自分でどうにか出来る……けど」
しかし、この姉の場合はそうじゃないかもしれない。父が気にかけているのも無理はない。
祖父は若い頃が僕とそっくりだって言っていたけれど、どちらかと言えば祖父に似ているのは姉だ。真麻江の方が、僕よりももっと強くはっきりと視えるらしいから。ただ、本人はその自覚がない。
ダイニングに行くと、ようやくジジババの喧嘩がおさまっていた。父はもう朝食を済ませてスーツの上着を手にしている。
「おはよぉ」
山田家長女のようやくの登場に、家族全員が揃ってため息を吐いた。
「おはよう、真麻江。それと、太一。大事な話がある」
父はネクタイの位置を正しながら神妙な顔を向けた。
「昨日、五丁目の内川さんから聞いたんだが、電柱にぶつかって事故を起こした青年が最近亡くなったらしい。花束が置いてあるから、絶対に近くを通らないこと。それと、駅の近くに怪しい黒い影があったから、そこも注意すること」
「駅ってどの辺の?」
父の話の間に、僕は咄嗟に割り込んだ。駅と言えば、この辺りだと地下鉄しかない。最寄り駅なら要注意だ。
「あぁ、
「えっ」
僕は思わず声を漏らした。ごくりと唾を飲み込む。すると、僕の様子に父がすぐさま眉をひそめた。
「どうした」
「いや……友達の家が近くに……」
しどろもどろに言うと、父は目を丸くした。キッチンでは母が皿を割る。居間では祖父母が揃って口をあんぐり開けている。姉はとっくにダイニングテーブルに座って、冷めたハムエッグをむしゃむしゃ食べていた。
姉以外の全員に衝撃が走る。
「嘘、だろ……太一、お前、友達がいたのか……」
「え? 生きてるお友達でいいのよね? 太一、どうなの」
「生きてても死んでても友達は友達だろう」
「そうそう。どっちでもいい。要は友達が出来たこと自体が大事件」
口々にそんなことを言われる。僕は顔を両手で覆った。
「やめて……ほんと、そういう反応いらないから……勘弁して」
「大事なことよ、太一。お母さん、死んだお友達連れて来られても視えないんだからね!」
「なんだろう……母さんが一番酷いことを言ってる気がする……」
割った皿を片付けながら言う母に僕は冷めた声で返した。一方、ダイニングから別の声が上がる。
「まったく、友達一人くらいで大袈裟だなぁ! あたしなんか、生きてるのも死んでるのもみんなまとめて友達になれるってのに。こいつ、生きてる友達一人だけしかいないんだぜ?」
そう言ったのは、ハムエッグをぺろりと満足そうに食べ終えた真麻江だった。家族全員の目がそっちに向かう。
「いや……お前はもう少し自重しなさい」
父がピシャリと言う。その意見には満場一致で全員が頷いた。
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