トム・スイフト・ターミナルとGAFA


トム・スイフト・ターミナルという名前を聞いてピンと来た人は、恐らくITやインターネットの歴史と言うか考古学的な側面に興味を持っている人か、著名なIT系ライターであるスティーブン・レビーによる圧巻のルポルタージュ「ハッカーズ」を読んだことのある方だと思う。


「トム・スイフト・ターミナル」とは、1970年代初頭に、シリコンバレーのエンジニア、リー・フェルゼンスタインが、古い空想小説シリーズに登場する主人公トム・スイフトの名前を取って、制作を目指していたコンピューターだ。


そんな古くさいというか、ちょっと黴臭いかびくさい逸話を急に思い出してしまったのには訳がある。



トム・スイフト・ターミナルは、つまりは今で言う「パーソナル・コンピューター」の発想だと言っていいと思う。


だが、当時は大型コンピューターに複数のテレタイプターミナルを繋いで、タイムシェアリングシステムで利用していた時代である。

『個人用のコンピューター』というだけでも画期的な考え方であったし、しかもそれは、リー・フェルゼンスタインの思想というか、ヒッピームーブメントに代表される、1970年代アメリカの反戦・反政府ムードを如実に表していた。


だから、そのコンセプトは『コンピューター』だ。


今時そんなことを言われても、「え、どういう意味?」と頭をひねる人の方が多いだろうが、要は、アップルコンピュータの有名なCM「1984」で描かれたような、人々の自由を抑圧する存在としての権力機構と、そこで利用される『統治の手段としてのコンピューター』というイメージに対するアンチテーゼである。


つまりトム・スイフト・ターミナルは、コンピューターのパワーを独占しようとする権力への反発/抵抗の道具としての意義を根底に持たされたマシンということになる。


いや、笑ってはいけない。

彼はマジだった。


「コンピューターのパワーを独占」なんて言われても、生まれたときからそれに囲まれている世代にとっては、「電気のパワーを独占」とか「内燃機関のパワーを独占」とか言われているようなもので、特許で稼ぐようなことならともかく、「そんなことしたって、意味ないじゃん?」と思うだろう。


社会全体が発展しなければ、それによって生まれた富を回収して蓄財することも出来ないし、次のステップへ広げることも難しいのだから、その疑問は正しい。


ただ、当時は「神託を下す巨大な中央コンピューター」がSFにおける黒幕の定番だったり、政府や大企業による情報操作や隠蔽がニュースとして取り沙汰される時代だった。

コンピューターによる強力な情報処理能力が一部の人々に独占されることは、『圧政・統治の道具』となりかねないとリアルに危惧されていたわけである。


(今後はIoTとAIによるビッグデータ処理がその役割を担いそうだが)


そうした時代性を背景に、リー・フェルゼンスタインはコンピューターのパワーが政府や大企業に独占されてしまう未来を憂慮し、『個人で作って個人で利用できるコンピューター』の実現を目指して、たった一人でコツコツと設計を進めた。


また、権力に逆らうマシンだと言うことは、それらの権力者がトム・スイフト・ターミナルを気に入らないと判断した場合は、部品の供給を絶たれる心配もある。

高性能なICチップを使えば設計も製造も容易になるが、どんなに性能が良くても、そのチップの独占的な製造者から供給が絶たれたら、ジ・エンドだ。


そこで、彼はパッケージングに無駄が増えることは承知しつつ、可能な限り汎用性の高い、どこにでもあるような平凡なパーツを使って製作できるコンピューターであることを重視していた。


リー・フェルゼンスタインは、その後の個人用コンピューター・ブームの震源地となった『ホームブリュー・コンピュータークラブ』や、世界初のコンピューター電子掲示板である『コミュニティメモリ』の立ち上げに携わるなど、揺籃期のシリコンバレーにおける中心的な人物の一人として精力的に活動を続けたものの、結局、トム・スイフト・ターミナル自体が日の目を見ることは無かった。


彼個人の思いとは関係なく、すでに世界は怒濤のような勢いで「パーソナルコンピューターの時代」へと突き進んでいたのである。



こうした『自由を我らに』的な思想に基づくコンピューター製造・製品化の計画は、その後も、何度も持ち上がっている。


様々なオープンソース・ソフトウェアはもちろん、軌道に乗りつつあるオープンソース・ハードウェアのプロジェクトも幾つかあると言っていいだろう。


(もちろん、ソフトウェアと違って、ハードウェアの場合はプログラミングコードなどの情報そのものが最終製品となるわけではないので、オープンソースと言うのは、主に設計データや特許技術などを公開・共有する形になる)


人によってはLINUXの成功も、個人に力を与えるコンピューティング・ムーブメントの一つだと捉えているかもしれないし、「第三世界の子供たちに安価なコンピューターを」という善意に基づくプロジェクトにも、それなりに成果を上げたものもある。


しかし、もしもこれからトム・スイフト・ターミナルを再企画するとしたら、それは政府の圧政から逃れるためでも、貧しい子供たちにIT教育を受ける機会を提供するためでも無く、GAFA(Google , Apple, Facebook, Amazonの頭文字を取ったもの)と呼ばれるグローバルIT企業群による、『情報に基づく経済支配』を逃れるための道具になるのかもしれない。


まさにリー・フェルゼンスタインがトム・スイフト・ターミナルの必要性を思い描いていた当時の1975年に作られたSF映画「ローラーボール」では、西暦2018年の近未来(公開当時から見て約40年後)を舞台に、全世界が「政府」では無く「あらゆる産業分野を支配する6つの大企業」によって統治されている社会や、エンターテイメントにおけるヒーローが政治的影響力を持ってしまう姿を描いていたが、今にして考えると、そのビジョンの先見性に驚く。


まあ、『2018年には企業統治によって争いの消えた世界が到来している』という映画の設定はSFとしてもいささか荒唐無稽だったが、経済活動を基軸にして世界の支配が進むという推測は、方向性としては間違っていないと思える。


もちろん、将来のGAFAが政治的に世界を支配すると思う人などいないだろうが、20世紀までの世界とは違って、21世紀以降の世界では、こと経済と情報の分野においては、国家と、一つの国家の枠に縛られないグローバル企業とが、同じレベルの土俵で主導権の取り合いを始めている。


実現しなかったトム・スイフト・ターミナルから40年以上が経った今日、以前は少々パラノイア気味にも思えたリー・フェルゼンスタインの危惧が、独裁政治や抑圧的な社会体制としてではなく、(ちょっと大袈裟に言うと)ごく少数の企業による経済支配という形で現実味を帯び始めてきているのは、歴史の皮肉なのだろうか?


今や『パーソナル・コンピューティング』という概念は色褪せ、ユーザーは自由どころか、雁字搦めがんじがらめに企業側のプランに囲い込まれたシステムにおける『資源リソース』の一部でしかない。


『コンピューターのパワーが政府や大企業に独占される』というリー・フェルゼンスタインの憂鬱なビジョンは、当時のイメージとは全く異なる、表面に見えない形で実現されつつあると感じる今日この頃である。


もっとも、だからと言って、個人が秋葉原で購入できる汎用パーツで、スマートフォンと基地局ネットワークを作れるかというと、それも不可能な話だ。(それ以前に作る意味も無いが)

21世紀のトム・スイフト・ターミナルは、物理的なハードウェアとしてではなく、既存の商用ネットワークと市販端末の上で動作するオープンソース・ソフトウェアの「仮想マシン」が担っていくのかもしれない。


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< 「トム・スイフト・シリーズ」は、エドワード・ストラテマイヤーをはじめとする複数の作家によって、ビクター・エイプルトン名義で20世紀初頭から書かれている少年向け空想小説シリーズの名称である。

最初の「Tom Swift and His Motor Cycle」は1910年の刊行だが、その後、いくつかの時期に分かれて21世に至るまで100年近くに渡って書き続けられ、シリーズ通算で100冊ほどのタイトルが出版されている。北米で育ったギークの少年なら、どれかを一度は図書館で読んでいるかもしれない。>


< リー・フェルゼンスタインの仕事で最も有名なものは、上述の「ハッカーズ」にも描かれている『ホームブリュー・コンピュータークラブ』の司会と『コミュニティメモリ』の立ち上げの他に、アダム・オズボーンと共に創業したOsborne Computer社による世界初のトランスポータブルコンピューター製品、「Osborne 1」の設計だろう。>


< ジェームズ・カーンの主演による「ローラーボール」は、2002年に同じタイトルでジャン・レノとクリス・クラインの主演でリメイクされたが、こちらの設定はぐっと現実的になって、未来SF感は弱まっている。>

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