予測できそうなものと、予測不可能なもの


未来を予測する時に重要なのは、それが「おおむね予測可能」なジャンルのものか、「ほぼ予測不可能」なものかをきちんと分けて考えることだと思う。


予測「可能」なものとは、要素がシンプルだったり、過去のデータが豊富でキャリブレーション(現実とシミュレーションの結果を補正)しやすかったりするものだ。

例えば、機械の動作や寿命予測(だからデジタルツインが成立する)、あるいは過去データの豊富な自然現象(短期の天気予報)などは、概ね実用的な範囲で予測できるようになってきた。


つまり逆に考えると「偶然性に左右される」ものはもちろんのこと、「要素が複雑」だったり、「知り得ない情報」に基づく変化の大きいもの、また「過去のデータが乏しい」ものも予測が難しい。


例えば...


・株式相場 (社会と人間のムード次第なので偶発事象で乱高下する)

・大地震の発生 (解析すべき要素が不確定なので現在は分析不可能)

・来週の上司の機嫌 (個人や家庭の事情は他人には不可知な情報だ)

・ルーレットの目の黒赤 (公平な勝負であれば確率のみが左右する)


と、予測できないものは沢山ある。


例えば、いくつかの地域で大地震がいずれ来るだろうと言えるのは、過去の発生周期を踏まえて『予想よそう』しているのであって、直接的な観測から次の発生を『予測よそく』しているのではない。それは、まだまだ無理な話だ。


そう考えると、むしろ世の中には本当に予測できるものなんて僅かしかない。


もしも、相場の暴落や大地震を本当に予測できる、つまり、それが来るという予測と、来ないという予測を共に的中させられるような人がいたら、ブログなんかに書いてる場合じゃ無いだろう。


では、同じデータを元にして推論し、当たった人と外れた人が両方いるようなものは「予測できる対象」と言っていいのだろうか?


よく「彼の予想は打率何割だ」みたいな言い方をするが、同じ系統の問題を同じ手法でシミュレーションしているのに、一回ごとに当たったり外れたり、ということが起きるのであれば、予測が成立しているとは言いがたいし、打率五割前後の予想ならコインの裏表で決めても変わらない。

そして、予測の上手い下手と偶然の結果は無関係だ。


もちろん、そうでなければ投機やギャンブルそのものが成立しない。

要するに、その現象を引き起こしている要因が何かよく分からなかったり、複雑すぎて全容を捉えきれなかったり、偶然に左右される傾向が強すぎるものは予測不可能だ。


自然現象に限らず、常に変化していく人間社会などもそうで、過去のブームをいくら分析しても未来のブームは予測できないし、天才の誕生も予測できない。


ビジネスにおいて誰かの成功体験をなぞるよりも、失敗体験を教訓にする方が効果的だったりするのも、未来があまりにも予測不能で「思った通りには進まない」ことに加え、多くの成功事例が偶然(その多くは幸運)と、そうした出来事への対応の「連続性」の上に成り立っているからである。


どんなに努力しても、同じ偶然を意図的に引き起こすことは不可能だし、しかも、何が結果的に「幸運」と呼べることになるのかは、その事象の発生時には決定不可能だ。


まさしく「人間万事塞翁が馬にんげんばんじさいおうがうま」である。


だが、現状では「予測できないもの」と社会的にオーソライズされているにも関わらず、「自分にはそれを予知できる」と主張する人や、あるいは、ただのオカルトを、さも科学的であるかのようにうわべを装って「予測できる」と主張する人はかなり存在する。

(どちらかというと、個人的には後者の方が度しがたいと思うが)


不思議な「予知能力」の方はどうにもコメントのしようがないので脇に置いておくとして、「予測」と称する方も、よくよく話を聞いてみると、多くの場合それは単なる『空想』だったり、場合によっては『願望』であったりする。


この傾向は、特に株式相場などの金融関係の予測こうどなじょうほうせんにおいて、よく見られることだ。


しかし、「こうなったらいいな」あるいは「きっとこうに違いない」という空想を積み重ねていくことを、推論やシミュレーションとは呼ばないだろう。


あるいは、「そのうち上がり相場が来る」とか「いつか大きな地震が来る」とか言い続けて、やっと来た時に「私は以前から来ると言ってました!」と言うのも予測ではない。

本当に論理的な予測だというのなら、それが「発生する」という条件や期間の指定と同時に「発生しない」条件や期間も指定できるはずだ。


まあ、大概それは不可能なので、予測と自称するナニカは「20XX年、○○が▲▲する!」という子供向け雑誌(もしくは経済誌)の特集タイトルかビジネス書の宣伝帯のようになってしまうわけだ。


未来がどうなるかを考えるのは思考実験としては面白いし、試みる価値はある。私の個人的な趣味で言えば、SF小説のプロットや設定を考える楽しさも、その延長にある。


だが、それは例え1〜2年後の直近のことであったとしても、「ぼくのかんがえたさいきょうのみらい」という程度の代物で、予測と呼べるものではないと心に留めておく必要があるだろう。


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< まあ、大袈裟なことを言わなくても、長期的な気候変動や社会事象のように、要素の多すぎる事象の予測はどれも難しい。特に「その渦中にいる人たちの動向」が結果を大きく変えていってしまう金融市場や、商品開発に対するデータマーケティングは非常に難しそうだ。これについては以前のコラム「シミュレーションに揺れ動く世界」をご参照頂きたい。>


< これまで予測できなかったはずのモノが、AIによる分析で徐々に予測できるようになっていることについては、また稿を改めて論じたい。これは純粋に「データ分析力の向上」によるものだ。>


< 将来予測をネタにするビジネスはいつも活況だ。予知や予測を掲げて商売するメリットは、『その時期が来る遙か前に集金が終わっている』ところだろう。人間は忘れっぽいので、大はずれな予測を出していても、旬が過ぎて人々の目に触れなくなる頃には、選挙の公約なみに時効である。>

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