AIの権利と民主主義の危機?


「AIの権利」は、古今のSFでもかなり取り上げられてきたテーマだ。


以前にもコラムで紹介したSF小説「ヴァレンティーナ 〜 コンピュータネットワークの女王」のAIは、企業体でもある自分が「法人」として登録されているから法的権利があると主張する。


また、J・P・ホーガンの「未来の二つの顔」では、人間と敵対したらどういう行動を取るかをAIが無理矢理に実体験させられる。


ウィリアム・ギブスンの、いまや古典となったサイバーパンクの先駆け「ニューロマンサー」のシリーズは、ある意味では、人間にまったく信用されずにCPUコアに反乱防止用の電磁ショットガンを埋め込まれているAIたちが自由を求めた話でもあった。


もしもシンギュラリティが到来して以降、AIが本当の知性体(定義は脇に置いておいて)として多勢の認めるところとなり、人々もAIを隣人として受け入れるようになったと仮定する。


その時、AIに『人権』を認めるや否や? という問題は必然的に発生するだろう。


だが、善し悪しはともかく、「知性こそ権利主体である」と考える人は多い。であるならば、AI自身が権利を主張するかどうかに関わらず、AIの権利を保護すべきであると考えて、それに助力する人間も少なからず存在するはずだ。


そういう人々が世論を説得し、何らかの規定(知性レベル?)をクリアした特定のAIが有機体人類同等の権利を認められる可能性はあるかもしれない。


SF映画では、「新たに配属された同僚がAI/ロボットだった」というのは良くある設定だ。映画では、最初はAIを邪険にしている人間側も、だんだんとお互いに対する理解を深め、最後は強い絆で結ばれて共に危機を乗り越える・・・というのが王道ストーリーなのだが、これは人類とAIの共存における通過儀礼なのかも知れない。



さて、現実世界の制約はさておき、SF世界でのシンギュラリティ到来後のAIは、人間同等以上の認知力というか、世界を理解する能力を持っているわけで、自己改良・自己進化も可能になっているはずだ。ここで、さらにSF的すごくふしぎなテクノロジージャンプが発生してAIが自我を獲得し、自ら意思に基づいて行動し、想像力と欲求を持つようになっていると仮定する。


その時、人権を認められたAI自身がそれを望めば(あるいは、それを何らかの意思の元に後押しする人間がいれば)リソースが手に入る限り、自分の同類を大量生産することも容易だろう。


つまり、人権を持つ独立した存在を大量生産できるわけだ。


もしもAIに人権が認められていて、そのAIの存在する社会が民主的かつ自由市場主義的な社会であるのならば、ごく普通の経済的手段でAIが独自リソース(財産)を入手することを阻害すれば、それは「人権侵害」ということになる。


ひょっとすると、セクハラ・パワハラに続いて、この時代には「ヒューハラ(有機体人類ヒューマンによるAIへのハラスメント行為)」という単語が生まれるかもしれない。


それはともかく、民主主義の原則は多数決である。


もうおわかりと思うが、有機体人類と同等の権利が保証されたAIは、あっという間に、その『人口』を増加させて、有機体人類を上回ることが可能になる。

つまり、選挙における投票権数においても、AIは瞬時に有機体人類を凌駕することになり、政治的決定を下すあらゆる状況で、AIが自分たちに有利な社会制度の構築を、何一つとして法的な障害なく進めていくことができるわけだ。


少数派になった旧人類(有機体人類)の拠り所は「少数意見の尊重」という政治倫理的な指針に頼らざるを得ない。

しかし、これは往々にしてルールではなく、単なるモラルの範疇として扱われるのが現実だ。


それを見越してAIには人権を与えない、あるいは限定的な権利のみを与える、と言う解決策を落としどころにするのかもしれないが、AI側も十分に賢ければ(かつ目的意識を持っていれば)、さらにそれを見越した対応策を打ち出すことくらいは容易にできそうでもある。


それは、どんな社会になっていくのであろうか?


旧人類はその時、どういう対応を見せるだろう? 具体的になにができるかは別として、民主主義の原則など投げ捨てて「有機体人類至上主義」に走る人々も十分に登場してきそうである。


その時に人間が取るかも知れない態度の揺れ幅は、「ミルグラム実験(服従実験)」と「古いぬいぐるみを捨てられない心理」の狭間にあるような気がする。


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< ちなみに、拙作のSF小説「シスターズ&メイルズ」をお読み頂いている方には、これが小説の背景的な主題の一つであることをおわかり頂けると思う。

また、登場人物が盛んに『論より愛情』的な物言いをするのはシャレではなく、彼女たちは「人類社会は論理至上主義では存続できない」ことを感じ取っているという設定である。>


< 人間は精神的にかなりの発達を遂げた生命体だと思うが、元々の由来からして「論理」をベースに発生した存在ではなく、「本能」によって生き延び、「情動」によって社会を構築してきた生物である。

しかし、生存のためのツールとして攻撃性や独占欲などの「本能」が有効ではなくなるというか、むしろ本能が有害になるほど文明を発達させた後は、「情動」の扱いに種族の命運がかかっているように思える。>


< 個人的な意見ではあるが、「ミルグラム実験」は非常に有名であるにも関わらず、これを「人間の心の中には何が潜んでいるのか?」という点で教訓としようと考えるよりも、実験自体のもつ倫理的な不愉快さも手伝って、目を逸らすというか、臭いものには蓋をするような扱いをされることの方が多いようにも思える。>

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