第一章⑥
「被害者の名前は、加藤治子。十八歳。この学校に通う高校三年生で、元『美仁衣』のメンバー。素行はあまりよくなかったようですが、最近は高橋先生の指導もあって、落ち着いてきている。間違いありませんか?」
「は、はい。間違いありません」
姉貴の事情聴取に、高橋先生が緊張した面持ちで頷いた。
図書館は姉貴の指示で締め切られ、学生は出入り出来ないようになっている。警察には姉貴が既に応援を要請し、学校には高橋先生から連絡を入れていた。
姉貴は応援が来る前に、事情聴取など出来る事は全て済ませてしまうつもりらしい。
ひとまず俺たちは、全員座れる貸出カウンターの前まで移動してきていた。
「それで、君が第一発見者の、」
「高楠 霜子(たかくす しもこ)です。二年生の、図書委員です」
姉貴に話をふられたのは、眼鏡にサイドテールの女子生徒。気の弱そうなその顔に、俺は見覚えがあった。貸出カウンターの奥にある部屋で、作業をしていた学生だ。
「それで、あなたが、」
「ぐすっ。い、飯、田、も、桃、です」
両の瞼をこすり、しゃくり声を上げるように話すのは、椅子に座った飯田さんだった。
飯田さんは加藤さんと共に図書館を訪れ、図書委員を手伝っている高橋先生に気がついた。それを見た二人は恩師である高橋先生の手助けとして、図書委員の高楠さんを手伝っていたらしい。
一通りメモを取り終えた姉貴が、まとめた内容を読み上げる。
「加藤さんが発見された時、図書館にいたのは高橋先生、飯田さん、高楠さん、私、そしてさっちゃんと鈴木さんの六人」
「ユリが犯人だっ!」
飯田さんが突然立ち上がり、鈴木さんを指さす。
「だって、あのバットは、ユリのものじゃないかっ!」
飯田さんが言っているのは、犯行に使われたと思われる凶器のことだ。
それはリスニングルームに残されている、血だらけの金属バット。物言わぬその鈍器には加藤さんの茶髪が張り付き、それが彼女の頭蓋骨と命を粉砕したのだと思われた。
「鈴木さんのものだからといって、彼女が犯人だとは限らないわ」
「そうだぞ、飯田。滅多なことを言うんじゃない。せめて、指紋ぐらいは調査してみないとな」
姉貴と高橋先生が、飯田さんを嗜める。それを聞きながら、俺は疑問を口にした。
「でも、そのバットは職員室に保管されてたんですよね? 鈴木さんが金属バットをここまで持ってくるのは、無理があると思うんですが」
だが、飯田さんは俺を馬鹿にしたように笑った。
「あぁ? 何で無理なんだよ」
自分が犯人だと疑われているからか、鈴木さんはより一層震え、俺の腕にしがみついている。
「いや、だから……。鈴木さんのことは、高橋先生から聞いているんだろ? だったら、この状態の彼女が職員室に行くのは無理だ」
「何で? ユリの病気が、嘘かもしれないだろ?」
「なっ!」
飯田さんの言葉に、俺は愕然とした。
鈴木さんは今も、俺の右腕を震えながら抱きしめている。俺の腕を放してしまえば、永遠の孤独が待っていると信じこみ、独りは嫌だと怯えるように。
この状態の鈴木さんを見て、普通そんなこと言えるか? 嘘だろ?
しかし以外にも、飯田さんの意見は他の人にも支持される。
「……でも、それなら確かに、鈴木にも犯行は可能だ」
「高橋先生までっ!」
「だが、鈴木が実際に醜形恐怖症なのかを、私たちが確認する方法はないんだよ?」
「それは……」
「だから、ひとまずちゃんと調査をしよう。あのバットを調べれば、犯人の指紋も出るかもしれない」
高橋先生の言葉に、俺は口を開くことが出来なかった。
確かに、鈴木さんが演技をしているのなら、鈴木さんにも犯行は可能だろう。
保健室で俺(人間)を見つけて喜んだことも。
俺と話すときは喧嘩腰なのに、それ以外の人とはまともに話せないのも。
トイレの中で一人で怯えながら、それでも俺のことを心配したのも。
全部、全部演技なら、鈴木さんにも犯行は可能だろう。
自分の立っている場所が泥沼だと錯覚するほど、自分の足場が定まらない。
急に沸き起こった鈴木さんへの疑念を拭えないまま、俺は何が正しいのか探すように、彼女へと振り向いた。
「サトル」
振り向いた瞬間、震える声で、鈴木さんが俺の名前を呼んだ。
そして小さく、内緒話をするように、鈴木さんは俺の耳元で、こう囁いた。
「何か、変な奴がいる?」
「変な奴?」
「うん。顔が、見えない。見えなくなった奴がいる」
「顔が?」
「おい、二人で何を話してるんだっ!」
飯田さんが俺たちを睨みつける。
「まさか、お前ら共犯なんじゃないだろうな!」
「さっちゃんが、そんなことするわけないでしょっ!」
「まぁまぁ、武田くんのお姉さん。そういえば、二人は休憩中図書館の外にいましたよね。何処にいたんですか?」
高橋先生に、姉貴が噛み付く。
「さっちゃんから、二人は北館一階のトイレにいたって聞いています!」
「休憩中、ずっとってことですか?」
高橋先生の視線が、俺を射抜く。
「……ええ。正確には、俺が鈴木さんのトイレの付き添いに行っていただけですが」
「では武田くんは、トイレの外で待っていたってことですね?」
「そうです」
言った瞬間、脊髄に氷柱を突っ込まれたような悪寒が走った。次に高橋先生が何を言いたいのか、俺はわかってしまったのだ。
そして俺の予想通り、高橋先生はこう口にする。
「なら、鈴木は武田くんに自分がトイレに入っていると思わせれたわけだ。その状態で一階のトイレの窓から中庭を伝って南館に移動し、職員室から金属バットを持って、図書館に移動出来る」
「ほら! やっぱりユリが犯人なんだっ!」
高橋先生の推理に便乗してきた飯田さんに、俺は慌てて口をはさんだ。
「いや、ちょっと待ってくれよ! 鈴木さんが図書館に戻っていれば、誰かがそれを見ているはずだろ?」
「オレたちは図書委員の仕事をしていたから、ユリが入ってきても気づかなかったな。あちこち動きまわってたし」
「……私も、途中までさっちゃんを探しに行ってたから。でも、それはあくまで鈴木さんが図書館に戻ってこれた可能性を示すものでしかないわ。それで鈴木さんを犯人だと断定することは出来ません」
姉貴のその言葉を聞き、飯田さんは舌打ちをした。
「なら、しっかりサツに調べてもらおうじゃねぇか。高橋先生が言ってたみたいに、バットの指紋をよっ!」
姉貴の言葉を聞いて引き下がる飯田さんを見ながら、それは不味いと、俺は思った。
何故ならあのバットは、鈴木さんのものだ。指紋を調べれば、当然鈴木さんの指紋が出る。
もっとちゃんと調べれば、鈴木さんが犯人じゃないことはわかるはずだ。しかし今の飯田さんの精神状態を考えると、真犯人が見つかるまでの間、学校中に加藤さんを殺したのが鈴木さんだと言い回る可能性がある。
そうなれば、鈴木さんは学校にいる間、今まで以上に奇異の視線にさらされてしまう。そんなことになれば、彼女が学校生活を送ることは不可能だ。今日の学校案内でさえ、鈴木さんはあの怯え具合だったというのに。
と、そこまで考えて、俺は思った。
……何だ。結局俺は、鈴木さんの力になりたいんじゃないか。世界で独りぼっちになったと嘆き、今も震えている彼女を、俺は今助けたいと思っている。
とはいえ、俺がこれから鈴木さんと一緒に学校生活を送るかどうかは、まだ決めていない。
それでも、鈴木さんが学校生活を送れなくなるというのは気分が悪いし。
何より自分が決める前に、鈴木さんと一緒に送るという学校生活(その選択肢)がここでなくなってしまうのは、癪だ。
だから少なくとも、ここで鈴木さん以外に犯人候補がいることを、こじつけでもいいから俺は示さなくてはならない。
そういえば、鈴木さんは顔が見えなくなった人がいると言っていた。
見えなくなった、ということは、さっきまで鈴木さんにはその人の顔が見えていたはずだ。
バケモノの顔に見えていたのに、顔が、見えなくなった?
顔が急に変わった、というのは考えにくい。醜形恐怖症を患っているとはいえ、鈴木さんが顔を認識できなくなるほどの変化を、俺たちが認識出来ないわけがない。
ならば、何が変わった? 髪型? 行動? それとも――
殺人を犯したから顔が見えなくなった、とでもいうのだろうか?
でも殺人犯なら人を殺したことを隠そうと、顔の表情になるべく出さないようにしている可能性はある。
警察が人相学に基づいた凶悪犯のプロファイリングをしているという話も聞いたことがあるし、人を殺せば雰囲気だって変わる。
表情がなくなれば、顔だってなくなるはずだ。
だとすれば、俺の取り得る行動は一つだけだ。
その顔が見えなくなった人を、犯人としてでっち上げる。それしかない。
俺は誰にも聞こえないよう、小声で鈴木さんに話しかけた。
「鈴木さん。顔が見えなくなった人って、誰?」
「えっと、あいつだ」
鈴木さんの指さした相手を見て、俺は早くも自分の決意が揺らぎそうになる。
だが、それでもやるしかない。何かしら、突破口を探さないと……。
そう考えていると、高橋先生が立ち上がった。
「武田くんのお姉さん。警察の応援が到着するまで、残った図書委員の仕事を続けたいんですが、いいでしょうか?」
「……ダメです。現場は荒らさないでください」
「じゃ、じゃあ、後片付けも、ダメなんですか?」
「軍手も元の位置に返せねぇのかよ」
高楠さんが悲しそうに、飯田さんが不貞腐れたように、そうつぶやいた。
「……ん? 軍手?」
「と、図書委員の仕事で、手が汚れちゃうから、使ってたんです」
俺の疑問に、高楠さんが答えてくれた。
「なら、仕事をしていた人は全員軍手をしていた?」
「は、はい。そうです」
「ちょっと待って。被害者の加藤さんも、一緒に作業をしていたのよね? 彼女、軍手をしていなかったわよ」
高楠さんの言葉に、姉貴が反応する。
その言葉に、俺は便乗した。行くなら、ここしかない!
「なるほど。これで、犯人がわかった」
その言葉に、全員の視線が俺に集まる。
高楠さんは驚きのあまり硬直し、飯田さんは激怒のあまり、顔が真っ赤に燃え上がっていた。
「おい。お前、武田とか言ったな。適当な事いってっと、後で焼き入れっぞっ!」
「さっちゃん、滅多なことを言うんじゃありません! そもそも、犯人がこの中にいると決まったわけではないのよっ!」
いきり立つ飯田さんに慌てたのは、姉貴だった。その姉貴を、高橋先生がなだめる。
「まぁいいじゃありませんか。応援の方が到着するまでまだ時間があるようですし、武田くんの推理でも聞きましょう。それで? 武田くんは、誰が加藤を殺した犯人だと思うんだい?」
その言葉に頷き、俺は図書館に残った全員の顔を見回した。
「加藤さんを殺した犯人。それは――」
そして鈴木さんが、顔が見えなくなったと言った相手を、俺は指さした。
「高橋先生。あなたです」
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