第一章④

 その後俺たちは保健室を出て、高橋先生に学校を案内してもらうことになった。

 高橋先生を先頭に、俺、俺から片時も離れようとしない鈴木さん、姉貴と続いていく。

 元々ここの学生だった鈴木さんには不要、というより鈴木さんに学校案内をお願いしてもいいぐらいなのだが、今の彼女にそれを頼むのは酷だ。

 すっかり俺の右腕が定位置となった鈴木さんを見ながら、俺は保健室に残った竹内先生から言われた言葉を思い出していた。

『学校案内を通して、鈴木さんと一緒に学校生活を送るか決めて欲しい』

 ……と、言われてもなぁ。

 鈴木さんは廊下で学生、先生とすれ違う度怯えている。

 一年休学していたとはいえ彼女は有名だったのか、鈴木さんに気づく学生もいた。

 鈴木さんに無遠慮な視線と言葉が投げかけられる。

「ねぇ、あれって」

「あ、ホントだ」

「帰ってきたんだ」

「死ねばよかったのに」

 そうした声が聞こえる度、俺の腕が強く抱きしめられる。

「大丈夫? 鈴木さん。少し休む?」

「だ、大丈夫に決まってるだろ! アタイを誰だと、ひっ」

 向かいから学生が歩いてくるのが見えた途端、雷に怯える少女のように、鈴木さんは震えながら顔を伏せた。

 そんな状態の中、学校案内は進んでいく。

 海旭高校の校舎は四階建てで南館と北館に別れており、それぞれの階が渡り廊下でつながっている。館の間は中庭となっており、昼食後などは、学生たちのたまり場となっているらしい。ちなみに、職員室は南館だ。

 校舎の東側には体育館と武道場、そしてプールが建ち並び、西側は図書館となっている。

 残りは図書館の案内のみ、というところで、チャイムが鳴った。案内を開始した時間が遅かったからか、鈴木さんの歩くペースに合わせていたからか、時刻は既に放課後になっている。

 運動部は体育館かグラウンド、文化部は校舎に残っているため、最後が図書館というのは鈴木さんにとっても楽なものになるだろう。何人か図書館にいるかもしれないが、わざわざこちらについて話しかけてくるようなこともないはずだ。

 そう思いながら図書館に入ると、貸出カウンターの奥にある部屋で、学生が何か作業をしていた。

「うちの学校では、過去一年分さかのぼって新聞が読めるように、ああやってまとめておくんだよ」

「そうなんですか」

 教えてくれた高橋先生に相槌を打ちながら、俺はまとめられている新聞に目を向けた。何気なく見た新聞の見出しには、こうあった。


『五○一便遭難事故』


「さっちゃん!」

 肩を揺すられ、俺は意識を取り戻す。

 俺は呂律の回らない舌で、自分を揺すった相手を確認した。

「あ、ねき?」

「姉貴? じゃないでしょ! 大丈夫? 顔色悪いけど」

「あ、ああ。大丈夫。少し目眩がしただけだから」

 心配そうな顔をしてこちらを覗きこんでくる姉貴に、俺は何とか言葉を返した。

「お昼も取らずにここまで来ましたからね。少し、休憩しましょうか」

「……すみません」

 高橋先生の申し出に、俺は頭を下げた。

「では、十五分後にここ、図書館の入り口に集合ということで」

「え、そんなにお時間いただかなくても大丈夫ですよ」

 俺の体調を気遣ってくれてのこととはいえ、十五分はもらいすぎだ。高橋先生にも、仕事があるはずだし。

 その考えが顔に出ていたのだろう。俺の顔を見て、高橋先生が笑った。

「なに、私も急ぎの仕事があるわけではありませんし、うちの学校には自販機もあります。ジュースを飲む時間ぐらいでしたら、問題ありませんよ」

 流石生徒指導担当、といったところか。元『美仁衣』の飯田さんと加藤さんが信頼するのも頷ける。

 高橋先生は、本当にいい先生だ。先生の気遣いには、重ね重ね頭が下がる思いだった。

「本当に、ありがとうございます」

「ちなみに、自販機の場所は――」

「サトル、ちょっと来い!」

 高橋先生との話が終わる前に、鈴木さんが俺の手を引いて走り始めた。姉貴の声も聞こえたが、それもすぐ彼方へと消える。

 俺は鈴木さんに連れられるまま、図書館を出て、そのまま校舎へと突き進んでいく。

「す、鈴木さん! どうしたの、急にっ!」

「……トイレ」

「え、何?」

「だからトイレだって言ってんだろっ!」

 顔を真赤に染めながら、そう鈴木さんが叫んだ。

「そ、それなら一人で行けばいいだろ!」

「ばっきゃろー! バケモノがいつ出てくるのかわかんねぇのに、一人でトイレになんて行けるかっ!」

 そうこうしているうちに、俺たちは一階のトイレの前までやって来た。

「トイレの場所は覚えてるんだね」

「人間はいなくなっても、校舎は変わってねーからな。ほら、行くぞ」

「ってちょっと待て! 何でまだ俺を引っ張るんだよっ!」

「さ、さっき言ったじゃねーか! バケモノが出てきたら、サトルがいないと、アタイ困るんだよっ!」

「だからって、女子トイレの中まで入っていけるかっ!」

 鈴木さんのためとはいえ、俺が女子トイレに入ろうものなら流石に一発で警察沙汰になる。

「いいじゃねぇか! お前アタイの舎弟だろっ!」

「誰が舎弟だ! 引き受けた覚えも了承した覚えもないっ!」

「ちょっとだけだから! お前は天井のシミでも数えてりゃいいんだって! なっ! ちょっとで済むからぁっ!」

「やめろ、引っ張るな! 女子トイレに入ったなんて姉貴に知れたら、確実に殺されるっ!」

「じゃあお前、アタイに漏らせっていうのかよっ!」

「逆ギレすんなよ! そんなこと言ってねぇだろ! いいから早く行って来い! 外で待っててやるからっ!」

 そう言うと、鈴木さんは訝しげに俺の顔を見つめた。

「ホントに? ホントにホントだぞ?」

「ああ、ホントにホントだ!」

「ホントにホント?」

「ホントにホントだ!」

「ホントにホン――」

「いいから早く行けっ!」

 鈴木さんを無理やり女子トイレに押し込んだ。トイレの中から、反響した彼女の声が聞こえる。

『サ、サトルぅ、ちゃんといるかぁ』

「ああ、いるよ」

『サ、サトルぅ』

「……ちゃんといてやるから、とっと済ませろっ!」

 俺は盛大にため息を付きながら、竹内先生に言われたことを考えていた。

 それはもちろん、鈴木さんとの学校生活についてだ。

 ……こんなことを卒業まで毎日? 冗談じゃない。

 そもそも、今の鈴木さんの状態で学校生活を送るのは無理がある。まだ入院しておくべきだ。

 でも、入院していたって看護師さんたちがバケモノにしか見えないのなら、何処にいても変わらないのだろうか? もしそうなら、自宅で闘病生活を送るべきだ。

『サ、サトルぅ』

「……だから、いるって言ってるだろっ!」

 あまりにしつこい鈴木さんに、俺は思わず怒鳴り返してしまう。理不尽に振り回されている今の状況に、俺は苛立っていた。

『そ、そうじゃなくてさ……』

「え?」

『サトル、さっき大丈夫だったのか? 顔色、悪そうだったし……』

「……心配してくれてたのか」

『あ、当たり前だろっ! サトルは、アタイの舎弟なんだからなっ!』

 こちらは悪くないはずなのに、何故だか俺はその言葉に、罪悪感を感じてしまっていた。

『そ、それで、どうなんだよ』

「……大丈夫だよ。俺のことより、さっさとお前の方を済ませろ」

『わ、わかってるよっ!』

 俺は壁に背中を預け、廊下に座り込んだ。

 壁と廊下の冷たさが、俺を責めているように感じる。グラウンドから聞こえてくる部活動の音が、何故だかやけに、遠くに聞こえた。

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