第一章③

「醜形恐怖症?」

 学校の保健医である竹内 好(たけうち みよし)先生に、俺は問いかけた。

 俺の質問に、竹内先生は白衣を揺らしながら答える。

「そう。まぁ今では身体醜形障害、だなんて呼ばれていたりするんだけど」

「それが、この子とどういう関係が?」

 俺の視線の先には、先程から俺の右腕に抱きついて、一向に離れようとしない鈴木さんがいた。母親から離れたがらない幼子のように、彼女の両腕に力が込められる。その度、俺の鼓動は高まっていた。

 今保健室にいるのは、椅子に座っている高橋先生と竹内先生、そして俺と、俺にくっついている鈴木さんはベットに座り、その後ろのベットに鈴木さんをガン見している姉貴の五人。もう一人いた男性職員は、鈴木さんが大人しくなったので、職員室へと戻っていった。

 竹内先生を見て泣きそうな顔をしていたはずなのに、鈴木さんは俺と目があった途端、

「アァ? 何ガンつけてんだ?」

 とメンチを切ってくる。

 元レディースということで、迫力は抜群。しかし、いかんせん目尻に光るそれが、彼女が強がっているだけだということを、如実に表していた。

 どうしたものかと後ろを振り向くと、姉貴が何やら怪しげな呪文を唱えながら、鈴木さんを睨みつけている。

「うーんと、武田くん、だっけ? 君は鈴木さんの症状について、どれだけ知っている?」

 竹内先生の言葉に、俺は慌てて前に振り向いた。

「症状? 醜形恐怖症、についてってことですよね? 予備知識は全くないんですが、名前からは醜いものに対して異常に恐怖を感じてしまうもの、なんじゃないんですか?」

「まぁ、当たらずとも遠からず、ってところかな」

 竹内先生が、苦笑いしながら話を進める。先生が体重をかけたため、椅子の背もたれが、苦しそうな声を上げた。

「この病気の厄介な所は、自分自身を極端に醜いものだと感じてしまうことなんだ。例えば、自分の顔をバケモノだと思い込んだり、ね」

 その言葉に、俺はハッとした。だが、違う。鈴木さんの症状とは、逆だ。

「でも、もし彼女が醜形恐怖症である場合、それなら自分をバケモノだと感じるはずです。今回のケースには、当てはまらないかと」

 俺が思っていが疑問を、姉貴が竹内先生に指摘してくれる。

 それを聞いた竹内先生が、弱ったように頭をかいた。

「それが鈴木さんの場合、どうやら別の病気を併発していたようなんだよ」

「併発?」

 姉貴が首をかしげる中、俺はここに来る前に聞いた、高橋先生の話を思い出していた。

「網膜剥離のことですか?」

「そうだ」

 俺の言葉に、竹内先生は深く頷いた。

「網膜剥離の症状には視野にフワフワしたゴミか蚊のような影や、稲妻のような光が走ったり、ものが歪んで見えたりする。つまり、正常に目がモノを認識出来ない状態になるんだ」

 俺はそこでなんとなく、竹内先生の言いたいことがわかってきた。

「網膜剥離と醜形恐怖症を併発していた鈴木さんは、異常に見える周りが正常だと思い込んでいた。でも網膜剥離が治った今、今度は逆に、正常に見えるものが異常に見えてしまう」

「その結果、人間の顔がバケモノにしか見えなくなってしまったんだろうね。彼女には」

 そう言って、竹内先生は肩をすくめた。

 目のいい人に眼鏡をかけさせても、眼鏡をかける前よりハッキリとものが見えるわけではない。むしろ、視界がぼやけてしまうものだ。

 鈴木さんは今までしなくてもいい眼鏡をかけて生活をしており、今その眼鏡が急になくなって戸惑っている状態、といったところなのだろう。

 そこで、俺には一つ疑問に感じたことがあった。

 人間の顔がバケモノに見えるということは、バケモノみたいな人を鈴木さんが見た場合、人間の顔に見える、ということではないだろうか?

「……ひょっとして鈴木さんが醜形恐怖症を患っていない場合、鈴木さんには俺の顔がバケモノに見える、ってことですか?」

「そんなことより!」

「え、結構重要な事だと思うけどっ!」

 竹内先生との会話に、鈴木さんが割り込んでくる。彼女の両腕に力が込められ、二人の体がより密着した。それにあわせるように、姉貴の目がどんどん釣り上がり、もはや視線で人を殺せそうな状態になっていた。

「さっきから鈴木さん鈴木さんって、お前は一体誰なんだよ!」

「え? あ、ああ、自己紹介がまだだった。俺の名前は武田覚。今日からこの高校に編入することになったんだ。よろしく」

 そう言うと、鈴木さんはこちらを値踏みするような目つきで見つめてきた。

「ふーん。サトルねぇ。ま、しょうがねーから、お前でいいや。サトル、お前今日からアタイの舎弟な」

「は?」

 鈴木さんの言っている意味がわからず、俺は首を傾げる。それを見て、鈴木さんの眉は不機嫌そうに釣り上がった。

「あぁ? アタイの言うことが聞けないっていうのか?」

「いや、聞く理由がないだろ」

 そう言うと、鈴木さんはやたらと上から目線というか、先輩風をふかすように自分の髪をかきあげた。

「こう見えてもアタイ、今年でじゅーきゅーなんだよねぇ。えーっと、なんだっけ? 練功上裂?」

「どんな技だよ。年功序列だろ」

「と・に・か・く! ジンセーのセンパイの言うことは、聞くものっしょ? だから、サトルはアタイの言うことを聞かなきゃいけないの! わかったか?」

 そんな鈴木さんにイラっとしながらも、俺はにっこり笑いながら、オトナの対応をする。

「嫌だよ!」

「何でだよっ!」

「何でだよって……」

 やけに必死になっている鈴木さんを不審に思いながら、俺は彼女に自分の年齢を告げることにした。

「俺も、十九歳なんだよ」

「え?」

 一瞬呆けた顔をした鈴木さんは、それでも再度眉を寄せ直し、俺を睨みつけてくる。今気づいたけと、鈴木さんの眉って、以外に薄い。

「何嘘ついてんだコノヤロー! アタイは一年間入院してたから、ホントに十九歳なんだぞっ!」

「俺も一年間入院してたんだよ。だから鈴木さんとは、この学校で唯一の同い年(タメ)なんだって」

「……マジ?」

「マジ」

 俺を同年代だと理解した瞬間、鈴木さんは気まずくなったのか、あー、うー、とよくわからない擬音語を口にし始めた。

 どうやら鈴木さんは年上であることを理由に、俺との関係で主導権を握りたかったようだ。しかしそれが失敗に終わり、困っているらしい。小学生か。

 と、そこで、俺の方に強烈な重圧がかかる。

「はーい。年功序列なら、おねーさんの言うことを聞きましょう。そろそろ私のさっちゃんから離れろや! この雌豚がっ!」

 鬼の形相を浮かべた姉貴が、俺と鈴木さんを全力で引き離そうとする。

 突然の姉貴の行動に、俺は驚いた。だが俺以上に、鈴木さんが尋常じゃないほど慌てふためく。それでも、次の彼女の行動は迅速だった。

 つかんでいた俺の腕を捻り上げるようにして、俺を姉貴に対しての盾とする。

「わ! わ! サトルサトル! バケモノ! バケモノがっ! バケモノが襲ってきたっ!」

「だぁれぇがぁバケモノじゃぁぁぁあああっ!」

「痛いうるさいちょっとは落ち着けお前らぁぁぁあああっ!」

「まぁまぁ、落ち着いてください。武田くんのお姉さん」

 荒ぶる姉貴を、竹内先生がなだめてくれる。俺は安堵のため息をつくが、姉貴はすぐさま竹内先生に食ってかかった。

「どうして止めるんですか先生! 早く引き離さないと、うちのさっちゃんがあの売女に孕まされてしまうというのに!」

「皮膚接触で、人間は受精を行えませんよ。また、武田くんは男の子なので、妊娠する心配はありません」

 あくまで冷静に、竹内先生が姉貴を嗜める。

「話の途中でしたが、武田くんには一つお願いがあるんです」

 鈴木さんに捻り上げられた腕を戻し、また彼女が抱きついてきた所で、俺は竹内先生に答える。

「……ひょっとして、鈴木さんの学校生活をサポートする、とかですか?」

「その通り」

 先生の意図を言い当てた俺を見て、竹内先生は満足そうに頷いた。

「鈴木さんは見ての通り、君以外を人間として認識出来ていない。醜形恐怖症は決して治療できない病気ではないし、君と一緒に行動することで、鈴木さんの容態が改善すると思うんだ。どうだろう?」

「ダメです!」

 俺よりも先に、姉貴が反応した。

「何でさっちゃんがそんなことしないといけないんですか!」

「これは武田くんのためでもあるんですよ。武田くんのお姉さん」

「……さっちゃんの?」

「ええ。武田くんも、同年代のお友達がいたほうがいいでしょう。それに彼も、誰かと一緒にいた方がいい」

「それは、そうですが……」

 姉貴と竹内先生の話し合いを聞きながら、俺は疑問に思っていた。その疑問を問いただそうと、俺は口を開く。

「あの――」

「失礼します」

 その言葉とノックは、同時に聞こえてきた。竹内先生が、それに反応する。

「どうぞ」

 扉が開かれ、部屋の中に入ってきたのは二人の女子生徒。

 一人は髪を肩まで伸ばした少女で、パーマをかけているようだが、俺にはパッと見、それがワカメに見える。もう一人の少女は、ちりちりの茶髪をしていた。

 二人は鈴木さんの存在に気がつくと憤怒の表情を浮かべ、彼女を睨みつけた。

「ユリが復学したって噂、ホントだったんだな」

「てめぇ、どの面下げてワタシたちの前に現れやがったっ!」

 二人の恫喝に、鈴木さんが怯み、怯えた表情で俺の後ろに隠れた。どうやら二人は鈴木さんの知り合いらしいが、今の鈴木さんには彼女たちもバケモノにしか見えないようだ。

 そんな鈴木さんを見て、二人は更に怒気を強める。

「ユリ、てめぇっ!」

「まぁ待ちなさい」

 それを止めたのは、指導教員の高橋先生だった。

「鈴木の状態は普通じゃない。それは既に、説明したはずだろう?」

「高橋先生!」

「でもあの事故の、コイツのせいで『美仁衣(みにー)』は解散することになったんですよ!」

「……『美仁衣』?」

「アタイがいた、チームの名前だ」

 小さくつぶやいた俺の声に、鈴木さんがそう反応した。

 顔を高橋先生の方に向けると、先生は入ってきた二人の言い分を辛抱強く聞いている。

 二人の女子生徒も、高橋先生を信頼しているようだ。この人に話を聞いてもらえるのなら間違いないとでもいうように、先生に向かって自分の想いをまくし立てていた。

「でも高橋先生! 『美仁衣』は、オレたちの居場所だったんだ!」

「ユリがあんな事故さえ起こさなければ……。あいつがワタシたちの居場所を奪ったんだよ! 高橋先生っ!」

「飯田も加藤も、落ち着いて」

 話を聞く限り、ワカメ頭が飯田さん、ちりちり髪が加藤さんというらしい。

 俺は鈴木さんに耳打ちする。

「……鈴木さん。飯田さんと加藤さんって名前に、聞き覚えある?」

「アタイの、後輩だ。多分、だけど」

 二人の顔がバケモノにしか見えていない鈴木さんが、躊躇いがちに口を開いた。

 彼女たちは鈴木さんの一年後輩で、それぞれ飯田 桃(いいだ もも)、加藤 治子(かとう はるこ)というそうだ。

 鈴木さんと一緒に『美仁衣』に所属しており、事故を起こす前まで仲は良かったらしい。

「……そうか。『美仁衣』、解散しちまったのか」

 鈴木さんはそう言って、悲しそうに目を伏せた。

 その発言に、飯田さんと加藤さんは噛み付いた。

「そうだよ! そして行き場を失ったオレたちの面倒を見てくれたのが、この高橋先生なんだ」

「高橋先生がいなければ、今頃ワタシたちどうなっていたか……。ユリのバットも、高橋先生が預かってくれてるんだからなっ!」

「よしなさい。私は教師として当然のことをしただけだ」

 二人が高橋先生を信頼しているのは、『美仁衣』解散後の面倒を見てくれたからのようだ。生活指導というのもあるのかもしれないが、高橋先生は面倒見のいい先生なのだろう。

 高橋先生になだめられながらも、二人の視線は鈴木さんから離れない。やがて痺れを切らしたかのように、飯田さんが吠えた。

「何とか言えよ! 言ってくれよユリ! オレたちを率いていた時のユリは、一体何処にいっちまったんだよっ!」

 懇願に近いその叫びを受けても、鈴木さんはただ怯えるだけだ。その様子を見て、飯田さんは苛立ちの表情を、加藤さんは諦めの表情を浮かべる。

「ほら、お前たち。もう帰りなさい」

「……しめてやろうと思って来てやったけど、これじゃ興ざめだぜ。せめて、恨ませてくれるだけの元気は、持っていてくれよ」

「ユリのバットは、一年前から職員室にあるから……」

 高橋先生に押されるように、二人は保健室の外に出て行く。その後姿は、何故だか沈んでいるようにも見えた。

「……前はユリさんって、呼んでくれてたのにな」

 そんな二人を、更に寂しそうに、鈴木さんが見送った。

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