第2話 幸運と少女

 夢も見ず眠った私は、次の日、ダレーヤおばあさんに起こされた。


「あんた、もう起きな」


「あ、おはようございます」


「あんた、自分が誰か分からないってことだけど、まだ名前も思いだせないのかい?」


「名前は……メグミって呼んでください」


「メグミだね。

 不思議な響きを持つ名だね。

 あたしが聞いたことない名だから、あんた、どこか遠くから召喚されたのかもね」


「……」


「ああ、そうだよ。

 しなきゃいけないことがあるからね。

 さっさと起きて、顔をお洗いよ」


「はい、ダレーヤさん」


 おばあさんが部屋から出ていくと、私はベッドから降り、置かれていたローブを羽織った。

 なんだか落ちつかないのは、ダレーヤさんが用意してくれた服の中に下着が無かったからだ。

 身に着けているのは、茶色いワンピースとローブだけだ。

 ダレーヤさんが置いていった、タライの水で顔を洗う。

 

 タライの横に昨日の鏡が置かれていたから、もう一度手にとる。

 そこに映っているのは、やっぱり、十五歳ぐらいの肌が綺麗な少女だった。

 置いてあった、竹のようなもので編みあげたサンダルを履き、私は部屋のドアを開けた。

 そこは天井が低い十畳くらいの部屋で、隅にはキッチン用のコーナーらしきものがあり、ダレーヤさんが鍋をかきまぜていた。中央には、四人掛けにしては小さな、木製のテーブルと椅子があった。


「さあさあ、お座りよ」


 私が木製のテーブルに着くと、ダレーヤさんも、私と向きあう位置に座った。

 彼女がお祈りのようなことをしたので、私も恰好だけマネをした。


「……大精霊のお恵みがあらんことを」


 そんな言葉でお祈りが終わると、私たちは、スープだけの食事をした。

 とろみがある具だくさんのスープは、見た目よりずっと美味しく、思わずお代わりしてしまった。

 地球にいた時は、様々な病を抱えていたため、減塩、糖分抜きの食事をしていた。そんな私にとって、そのスープは、生きてきて一番美味しいと思える味だった。


「メグミ、泣いてるのかい?」


「ああ、すみません。

 このスープが、あまりにも美味しくて」


「ほほほ、このダレーヤの料理を褒める者が現れるとはねえ。

 長生きは、するもんだよ」


 改めて見ると、ダレーヤおばあさんは、とても穏やかな優しい顔をしていた。

 私は顔も覚えていない母親のことを思い、また涙が出てしまった。


 食事が終わると、ダレーヤおばあさんに連れられ、家の外へ出た。

 地球で見ていたお日様そっくりな太陽が、頭上で輝いている。

 小さな家の周りは緑の草原で、そこが小さな丘の上だから遠くまで見渡せた。遠くに見える森のほか、小屋とそこへ続く道しか見えなかった。

 


 小さな家の後ろには、さらに小さな、かわいい小屋があった。

 ダレーヤおばあさんは、私をそこに入れると、木窓を開けた。

 小屋の中が明るくなる。


 小屋は作業場さぎょうばのようで、たくさんの壺や見慣れぬ道具が置かれた棚が三つの壁を占めていた。

 手前の小さな机の上には、開かれた分厚い本と、すり鉢のようなものが置かれていた。

 床には円形の中に文字のようなものが並んだ図形が描かれていて、それはファンタジー小説の挿絵で見た魔法陣そっくりだった。


 ダレーヤおばあさんは、棚の所へ行くと、ごそごそと何かを探していた。


「ああ、あったよ、あったよ」  

 

 彼女が棚から取りだし、机の上にごとりと置いたのは、手のひらサイズの透明な玉だった。

 水晶かしら?

 街角で見た占い師のことが思いうかんだ。


「ええと、そうそう、呪文は、こうだったね」


 ダレーヤおばあさんが、何かぶつぶつ唱えると、球がうっすらと光を帯びた。


「メグミ、これに手を近づけてごらん」


 言われるまま、右手を玉に近づける。

 透明な玉の中に、青く光る文字のようなものが、浮かびあがった。


「あんれえ、あんた、魔力が無いねえ……」


 おばあさんは、なぜか、すごく驚いたように言った。


「体力 人並、

 俊敏性 人並、

 知力 人並……。

 あんた、なんでも人並なんだねえ……おやっ」


 玉をのぞきこんでいたダレーヤおばあさんが、突然声を上げたので、私はびくっとしてしまった。

 

「ありゃりゃ、どうしたんだい。

 おかしいねえ、さっきの呪文でよかったはずだが……」


 私は心配になって尋ねた。


「ダレーヤさん、どうしたの?」


「ほら、ここ見てごらん」


 私は球を覗きこんだ。そこには、見たこともない言葉らしいものが二つずつ並んでいた。

 ダレーヤさんが指さしているのは、その一番下だった。


幸運値ラックだけ、何も書かれていないんだよ。

 こんなことは初めてだ。

 長いこと使ってなかったから、こいつが壊れてるのかもしれないね」


 彼女はそう言うと、長い爪の先で透明な玉をつついた。

 チンという澄んだ音がした。 

 

      

 ◇



「さて、これからどうするかねえ」


 小屋から母屋に戻った私たちは、キッチンがある部屋でお茶を飲んでいる。


「ダレーヤさん、魔力が無いって驚いていましたけど……」


 気になっていたことを尋ねてみた。


「ああ、どうしようかねえ。

 どうせ分かる事だから、教えておこうかね。

 このあたりの国では、魔力が無いと、いろいろ具合が悪いことがあるのさ。

 例えば、就けない仕事がたくさんあるし、泊まれない宿もある。

 国によっては、奴隷のような扱いを受けることもある」


 私が不安を顔に浮かべていたからだろう。

 ダレーヤおばあさんは、私の右手を優しく両手で包むと、こう言ってくれた。


「あんた、ついてるよ。

 多くの国で魔力のない者は差別されるんだが、ここ『ティーヤム王国』は、例外でね。

 魔力が無くても差別されないような法があるんだよ」


「そ、そうですか。

 よかった……」


「さて、今後のことだが、ここでじっとしている訳にもいかないから、とにかく都まで出てみるかね」


「都ですか?」


「ああ、あんたの素性を知るには、その方がいいだろう。

 もしかすると、知りあいとばったりって事もあるだろうからね」


「分かりました」


「ただねえ、ヤポークの小僧が来るのは、みずの月だから、まだ二十日ばかり先になるねえ」


 私が「ヤポーク」が誰か尋ねようとしたとき、ノックの音と人の声がした。


「ダレーヤさん、こんにちは」


 ダレーヤおばあさんがドアを開けると、小柄な中年男性が立っていた。


「おや、ヤポークじゃないか。

 あんた、どうしてここにいるんだい?」


「へい、それが、急な頼まれごとで、ダイコ村まで行ってたんで。

 ついでだから、何か御用がないかと思って寄ったんでさ」


「そうだねえ、グジーの実はあるかい?」


「ええ、ありやすよ。 

 一ビンで、かまいやせんか?」


「ああ、十分だよ。

 それから、この娘を町まで乗せてくれるかい?」


「ええ、そりゃいいでやすが……黒髪!

 この娘さんは、いったい?」


「メグミって言ってね、まあ迷子みたいなもんさ」


「へえ、よく無事でしたねえ。

 この辺りの森には、魔獣がたくさんいるってのに」


「ああ、とにかく頼んだよ。

 これは、グジーの代金と、彼女を町まで乗せてく駄賃だよ」


 ダレーヤおばあさんは、ローブの中に手を入れると、硬貨を何枚か取りだした。


「えっ、こんなに!?」


「気にせず受けとりな。

 そのかわりと言っちゃなんだが、この子が信頼のおける筋に会えるようにしてやっとくれ」


「へい、お安いご用です」


「この次来るときに、この娘がどうなったか必ず知らせるんだよ」


「もちろんでやす」


 こうして私は、ヤポークさんの荷馬車に乗り、街へ向かうことになった。


 この時、私は知らなかったが、ダレーヤさんがこのグジーの実で作った薬は、ある貴族から大変な金額で買いとられることになる。

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