わがままな貴女が好きだからANCHOR

荒野豆腐

わがままな貴女が好きだからANCHOR

 目を閉じるといつも同じ光景が脳裏に浮かんでくる。


 ――大量発生したセルリアンの討伐作戦。博士と助手は編成されてまだ日の浅いセルリアンハンターとともにセルリアンの討伐を行っていた。

 討ち漏らしたセルリアン数体を追いかけようとする博士を助手が引き止めた。

「博士、あまり深追いするのは禁物なのでは?それに我々は既に野生解放を使っていますし……」

 そう諌める助手に対し、しかし博士は首を振った。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ですよ。この作戦は危険を冒してでも完遂させなければならないのです」

 既にセルリアン達の手にかかってしまったフレンズもいる。

 彼女達の無念を晴らすためにも、そして更なる被害の拡大を防ぐためにも災いの根は一刻も早く断ってしまうべきだと博士は考えていた。

 ハンターたちは疲労は見てとれるものの士気は高かった。そしてそれは自分自身も同様であった。

「博士がそうおっしゃるのなら……わかりました、他の皆も気をつけて進むのですよ」

 博士は、自分の判断は間違っていないと信じていた。

 だが――。

「――ッ!?博士ッ!上えええええ!!!」

「――――なっ……!?」

 僅かな慢心。蓄積された疲労。

 それらの要素が積み重なり彼女のとっさの判断力を鈍らせていた。

 避けられない。

 頭上から振り下ろされたセルリアンの魔の手に対し博士は思わず目を瞑る。

 しかし、意に反して衝撃はいつまでもやって来ない。

 博士が目を開けるとそこには――。

「くっ……博士……ご無事で……何よりですっ……!」

 自身とセルリアンの間に割って入り、セルリアンの攻撃をその背で受け止めている助手の姿があった。

 セルリアンの持つハサミに体をがっぷりと食いつかれながらも助手は飲み込まれまいと杖を地面に突き立てて堪えていた。

「大丈夫です……あなたは、強い方だから……。だから、みんなの事を守って――」

 だがその杖すらもついに地面から離れてしまう。

 伸ばした手は空を切り、助手はセルリアンの体内へと飲み込まれていった。

 助手を飲み込んだセルリアンを守るかのようにもう一体セルリアンが博士の前に立ちはだかった。

「――あああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 怒声とも号哭ともとれる声が博士の喉からほとばしった。

 激情に駆られるまま、博士は目の前のセルリアンに飛びかかっていった。

 ……最終的にセルリアン討伐作戦は完遂された。

 代償として長い月日を共にした助手を犠牲にするという形で――。


「――せ……博士?」

 本を広げたまま回想にふけっていた博士はからの呼びかけで意識を呼び戻された。

「おっと、少しばかり考え事に夢中になっていました。申し訳ないのですよ」

「お疲れが出ているのではありませんか?私にできることがあるなら何でも申し付けてほしいのですよ」

「助手には十分に手を貸してもらっているのですよ。それにこれぐらいで疲れていては長の仕事は務まらないというものです」

「博士が大変賢く優れたけものであることは私も知っています。永らく不在だったセルリアンハンターを再編成したのもあなただとヒグマから聞きました」

「……アレはの力によるところが大きいのですよ。セルリアンとの戦闘は私よりも助手の得意とするところでしたので」

「私の前の助手ですか……」

 助手は複雑な表情を浮かべた。

「……やっぱり今の私は以前の私と比べて頼りなく見えるのでしょうか?」

「なぜそう思うのです?」

「博士から頼まれる仕事はいつもお使いのようなものばかりなのです」

 それもまた必要な仕事であることは承知しているつもりですが、と助手は言い添えた。

「逆なのですよ」

「逆……?」

「助手はいつだって頼もしいのですよ。強くて賢くて、頼みとあらば危険の伴う仕事も引き受けてくれるだろうと私は確信しているのですよ」

「だったらどうして――」

「だからこそ、なのですよ」

 博士は助手の言葉を断ち切った。

「だからこそ私はお前に必要以上の仕事を頼みたくないのですよ」

「……」

 博士はこの話はお終いだと言う代わりにパタンと開いていた本を閉じた。

「助手、一つ頼み事をしてもかまいませんか?」

「はい、何でも申し付けてください」

 もしや考えを改めてくれたのでないか。

 そう思ってパッと目を輝かせた助手だったが、続く言葉は彼女にとって好ましいものではなかった。

「ジャングルちほーに土壌のサンプルを採取して行ってもらいたいのです。私は都合でここを離れられないので」

「……わかりました。行ってくるのです」

 落胆の色をにじませながら承諾する助手。

「……私からも一つよろしいでしょうか?」

「何でも言ってみるのです」

「たまには散歩でもなさってみてはいかがでしょうか。他のフレンズと世間話でもすれば良い気分転換になるのではと」

「確かにそれは良いかもしれませんね……ですが、断らせてもらうのですよ」

「えっ……」

「島の長である私は用もないのに気安く他のフレンズと会うような真似はできないのです」

「何を言って……」

「有事の際には問題の解決にのみ意識を向け、迅速かつ正確な判断を下すのが長の有り方というものです。そこに私情が入れば判断に揺らぎが生じます。だから長である私は他のフレンズ達と一歩距離を置いた存在でなければならないのです」

 これこそがあの作戦を経て博士が手にした結論であった。

「だからと言ってあまりに極端なのでは――」

「二度は言わないのですよ、助手。ダメなものはダメなのです」

 二人の間に重苦しい空気が漂った。

 やがて助手は小さな声で「失礼します」と言うと図書館を飛び立っていった。



「やっぱり私は最低なのです」

 助手が去っていった後で博士は独り言ちた。

「それでも私は同じ過ちを繰り返すわけにはいかないのです。たとえ助手にどう思われようともです」

 博士は聞く相手のいない独白を続ける。さながら異形を前にして「お化けなんて嘘さ」と唱える者のように。

「今回の件を解決すれば私はきっと理想の長になれる……いえ、なってみせるのです。――私情に囚われず、冷徹で、賢く、強く、完全無欠な、あの日から私が思い描き続けた理想の通りの長に……」

 顔を両手で覆っていた博士。

 その指の隙間から見える瞳は妄執に染まっていた。

 その時コンコンと扉を叩く音が耳に入った。

「来ましたか――」

 ハッとした博士は表情を普段通りの状態に戻した。

「入るのですよ」

 博士が促すと三人のフレンズが図書館に入ってきた。

 セルリアンハンターたち――ヒグマ、キンシコウ、リカオン――である。

 博士は三人に告げる。

「まだるっこしい前置きは要らないでしょう。さっそく会議を始めるですよ。議題は飛行型セルリアンの討伐についてです」

 飛行型セルリアンとは、現在パークに出没しているセルリアンに博士が付けた呼称である。

「サイズもさることながら、やはりあの飛行能力は問題だな」

「そのせいで何度も捕り逃がしてしまいましたしね……」

「このままだとさらに犠牲者が増えてしまうかもしれません……」

 ハンターたちの表情からは焦燥の色がうかがえた。

「ふむ、やはりヤツが逃げられないように策を講じる必要がありますね」

「博士、何か手立てはありませんか?」

「ないことはないのですよ」

「ほ、本当ですか!?」

 色めき立つリカオンを落ち着かせると博士は作戦を語った。

「やることはいたってシンプルなのですよ。ヤツを図書館の中に誘導し、機動力を封じた上で叩く。それだけなのです」

「確かにそれならヤツを逃さずに仕留めることができる。しかし……」

「ええ、危険が伴うことは百も承知なのです。加えて作戦の性質上、直接的な参加者は二人に限られるのです」

「そんな……ただでさえ危ないのにどうしてなんですか?」

「確実にセルリアンを誘導する、室内で立ち回る、この二つの要素を踏まえ二人が限界だろうと判断したのです」

 一度博士は言葉を切った。

 ハンターたちに異論を唱えるものがないと判断すると博士は再び口を開いた。

「それでは役割分担についてですが、まず図書館に入ってきたセルリアンを迎え撃つ者が一人要るのです」

「それは私が引き受けよう」

 名乗りを上げたのはヒグマだった。

「ヤツの動きが制限される室内でなら私は一撃で確実に仕留めてみせるぞ」

「よろしく頼むのですよ」

 博士としてもヒグマに任せるつもりであった。

 三人の内でヒグマが一番力が強く場数も踏んでいたからである。

 そして――。

「もう一人。セルリアンを図書館へ連れ込む囮役、これは私がやります」

「なっ……!?」

 博士の宣言により、ハンターの間に動揺が走った。

「博士本人が囮役をやるなんて危険過ぎます!一度考え直すべきです!」

「そうですよ!囮役ならスタミナがある自分が……」

「空から強襲してくる相手に囮役が務まるのは同じく飛ぶことのできる私だけだと判断したのですよ」

 博士はキンシコウとリカオンの反論をにべもなく跳ね除けた。

「ですが……」

「言いたいことは分かった」

 なおも食って掛かる二人をヒグマが制した。

「だったら囮役は助手がいいんじゃないか?」

 ヒグマの鋭い目線が博士に注がれた。

「助手には今回の件は伝えていませんし、これから伝えるつもりもないのです」

「ワシミミズクである助手は飛ぶのも上手いし体力的にも優れている。この作戦には最も適役のはずだ」

「私では力不足だと?」

 博士は羽根を広げてヒグマを見返す。

 その双眸そうぼうはさながら凍土のようであった。

「私の方が助手より経験の面ではるかに優れています。私は永らくセルリアンの討伐に関わってきたのです。――知らないだなんて、言わせないのですよ」

 声を荒げるようなことはしなかったが、その冷たい声音の裏には煮えたぎるような怒りがありありと窺えた。

「……分かった。博士の言う通りにしよう」

「では、残る二人には図書館に他のフレンズを近づけないよう「けもの払い」を頼むのですよ」

「分かりました」

「オーダー、了解です」

 作戦決行の日時を決め、その日は解散となった。

「それでは失礼します」

 図書館を後にするキンシコウとリカオン。

 しかし、ヒグマだけはその場を離れようとしない。

「どうしたのですか?言いたいことがあるのならはっきり言うのですよ」

「それなら一つだけ言わせてもらおうか――」

 ヒグマが口にしたのは博士にとって思いもよらないことだった。



 作戦決行日の朝、博士は自分を呼ぶ声で目を覚ました。

 声の主は悪夢にうなされている様子だった。

「――博士を……返すのです!……お前だけは、絶対に、許さない……!」

「助手……」

 彼女に作戦のことは一切伝えていない。

 それ以前に博士は飛行型セルリアンの存在自体をできるだけ秘匿するようにしていた。

 しかし、知る由がなくともフレンズとなってなお残る野生が告げる何かがあったのかもしれない。

「助手……助手。目を覚ますのですよ」

 博士は助手を揺り起こした。

「う……はか、せ……」

「良かった、起きましたか」

 博士はひとまずほっと息をなでおろした。

「大丈夫ですか助手、ずいぶんとうなされていたのですよ」

「……」

 このまま予定通り作戦を決行して良いものか。

 博士の心に迷いが生じた。

「……今日はこうざんちほーに生えている薬草を取ってきてもらいたいと思っていたのですが、気分が優れないようなら私が行くですよ」

「いえ、大丈夫です。行けます。別に具合の悪いところもありません」

 そう言って助手は図書館を飛び立っていった。

 ――「作戦が終わった後でもいい、助手と向き合ってあげてくれないか。彼女のために時間を割いてやってほしい」

 ヒグマの言葉が脳裏に浮かんだ。

「ああ、私はとんだ卑怯者なのです」

 博士は嘆息する。

「いっそひと言休めと言ってやるべきだったのです。だというのに私は、なんて中途半端な……」

 博士は「理想の長」と「一人のフレンズ」の間で揺れ続ける自分が恨めしく思えて仕方がなかった。



 作戦は予定通り実行されることになった。

「――ヤツです。見つけたのですよ」

 博士はセルリアンの前に降りたった。

 ソイツは図書館の図鑑で見た「翼竜」と呼ばれる生物とよく似た姿をしていた。

 セルリアンのガラス細工のような目が博士の姿を捉えた。

「さあ、ついてくるのですよ」

 博士はセルリアンにそっと手招きをすると――。

 次の瞬間、飛翔した。

 セルリアンもすぐさま翼を広げ、逃げる博士を猛追する。

 セルリアンから逃げながら博士はヒグマに言われた言葉を思い出していた。

 

――作戦会議が終わった後のことだった。ヒグマはこう話を切り出した。

「作戦が終わった後でもいい、助手と向き合ってあげてくれないか。彼女のために時間を割いてやってほしい」

「……」

 正直なところ話の意図が分からなかった。ヒグマの方もそんな博士の様子を察したのかこう言った。

「以前助手から言われたんだ、「お前のことが羨ましい」って。理由を聞いたら「お前の方がより博士のことを詳しく知っていて、博士からも信頼されているから」だとさ。正直私は自分の耳を疑ったよ」

「……今では私と一番長い付き合いなのはお前なのです。当然でしょう」

「だとしても、だ。普段あなたのそばにいるのは他ならない助手だろう。だというのにあなたは自分のこともろくに話していなかったんだな」

 ヒグマは突き刺すような視線で博士を見ていた。

「私の心の内なんて、話したところで余計な気苦労を増やしてしまうだけでしょう。知らないままの方が助手にとっても幸せなはずなのです――」

 そう言って博士がヒグマから目を逸らそうとしたその刹那。

 ダン!!という音が響いた。

 見るとヒグマの拳が図書館の壁にわずかにめり込んでいた。

「あんたは――」

 反射的に後ずさりしてしまった博士をヒグマは睨みつけた。

「あんたは助手がどんな気持ちでその言葉を吐き出したのか想像もできないのか?」

「……」

「博士を除いて前の助手の最期を知っているのはもう私だけだ。だから言わせてもらう」

 視線を外したい。その思いとは裏腹に博士はヒグマから一ミリも目を逸らせなかった。

「今のあなたの目には前の助手しか写っていない。助手の方もそれに気づいているから苦しんでいるんだ」

「お前は私に過去を捨てろと言うのですか?助手を犠牲にしてしまったのを悔やむことすら許さないと?」

「過去を悔やむことは間違いじゃない。私だって仲間の最期の様子は今も目に焼き付いている」

 あの日博士が味わった感情をヒグマはその後も何度も経験していた。

「過去に囚われず、現在と向き合い、そして未来に向かって進む。それこそが私たちが去っていった者たちにできる唯一の弔いなんだと私は思っている」

 ヒグマが立ち去っていった後も博士はしばらくの間その場に立ち尽くしていた――。


(きっとお前の言っていることは正しいのでしょうね)

 博士は意識を回想から引き戻す。

(ですが今の私はまだ過去の清算が終わっていないのです。そちらを優先させてもらうのですよ)

 それなりに早く飛ばしているつもりなのだが、それでもセルリアンは隙あらば博士を捕えようとしてくる。

「とろくさいヤツならば私一人で倒してやろうとも思いましたが、なかなかそうもいかないようですね」

 セルリアンの攻撃をかわしながら博士は分析する。

「それならば――」

 博士はせわしなく上下左右にコースを変えて飛び、セルリアンに揺さぶりをかけた。

 セルリアンは躍起になって――セルリアンに感情があるかどうかは疑問だが――博士の後ろ姿を追いかける。

 空中でのデッドヒートはやがて終盤に差し掛かった。

(図書館までの距離は300メートル……200メートル……150メートル……今ッ!!)

 博士は一直線に急加速した。

 するとセルリアンもすぐさま加速した。

「――――ヒグマッ!!」

「ああ!!」

 ヒグマは手にした熊手に力を込める。

 次の瞬間博士が、続いてセルリアンが図書館に飛び込んでくる。

「石は背中なのです!」

「よし来た!一撃で仕留めて――」

 ヒグマがスタンプを振りかざし、セルリアンに飛びかかろうとしたその瞬間。

「……!!」

 セルリアンが突然暴れだした。

 その力はあまりにも凄まじく弾みで本が棚ごと吹き飛ばされた。

 博士は天井へと飛び上がり辛うじて難を逃れた。

 だがヒグマはそうはいかなかった。

 スタンプの柄の部分で何とか食い止めようするものの、彼女の努力を嘲笑うかのように次から次へと本棚が倒れかかってくる。

「ぐっ……クソッ……!」

 抵抗むなしく、ヒグマは膨大な本の山に埋もれてしまった。

「ヒグマッ……!?」

「博士!私に構っている場合じゃない!」

 近寄ろうとした博士に対し、首から上だけを出したヒグマが吼える。

「しかし――」

「問題ない!野生解放を使えば脱出でき――――――――ッ!?」

 本棚と本の山から脱出しようともがいていたヒグマの目とセルリアンの目が合ってしまう。

 小柄な体躯を活かして図書館内を自由に飛び回る博士と未だ身動きを取れずにいるヒグマ。

 セルリアンからしてみればどっちがより狙いやすい獲物かどうかはあまりにも明白であった。

 セルリアンは口を開いて猛然とヒグマの方へと突進する。

「くっ……」

 残念ながらヒグマはおそらく助からない。

 作戦を完遂させることを第一に置くならば彼女がやられる隙を突いて一撃を浴びせるのが正解だろう。

 そんな思考を置き去りにして博士の体は動いていた。

「博士!?何をやって――」

 気づけば博士はセルリアンの目の前に躍り出ていた。

 その脳裏に浮かぶのは助手の最期の姿だった。

「ああ……そういうことでしたか……なるほど、お前もそうだったのですね……――」

 ようやく腑に落ちたと博士は笑みを浮かべると――。

 その体はセルリアンの体内へと飲み込まれた。

 同時に一切の音が途絶える。

 セルリアンの体内は水の中のようであった。

 違いがあるとすれば、もがく力すら奪われていくことと、博士の体内からサンドスターの輝きが流れだしていくことだった。

 徐々にぼやけていく博士の視界に、目に野生解放の輝きを宿しながら立ち上がるヒグマの姿が映った。

 博士はなけなしの力を振り絞って口を動かす。

(ヒグマ……頼むのですよ……)

 声にならない声が届いたのか。

 ヒグマはスタンプを握る手に力を籠めて跳躍した。

 鋭く振り下ろされたスタンプがセルリアンの背中の石をしたたかに打ち据え、砕き割った。

 セルリアンの体が四散し、博士の体が解放される。

 ヒグマは落ちてくる博士を腕で受け止めた。

「ありがとうなのですよ、ヒグマ」

 博士の感謝の言葉に、しかしヒグマは口を固く閉ざしたままであった。

「ヒグマ……?」

「……」

 ヒグマは口を開こうとしない。

 彼女は黙ったまま未だ体からサンドスターが溢れ続けている博士を見つめていた。

「……私はもう、助からないのですね?」

 それは質問ではなく、確認であった。

「……すまない。」

「ふふっ……全くお前は正直なヤツですね」

 なんとなくそんな気はしていたのです、と博士は笑う。

「ではヒグマ、私の最期の頼みを聞いてもらえますか?」



 そこは図書館の二階。

 おそらくかつてはヒトが使っていたであろう寝室で博士は一人椅子に腰掛けていた。

 この部屋で一人、最期の時を迎えさせてほしいというのが博士の頼みであった。

 名残惜しくなってしまうかもしれないと思い、ヒグマには運んでもらったついでに部屋に誰も近づけさせないよう頼んでおいた。

 思い返されるのはこの島の長として過ごしてきた日々。

 長になったばかりの頃は自分が何の動物なのか分からないと泣きついてきたフレンズのために動物図鑑を片手に助手と相談したものだった。

 慣れてくるにつれてあまり判断に迷わないようになり、図鑑を開く頻度も少なくなっていった。

 お茶の入れ方を調べ、二人でアルパカに手ほどきをしてやったこともあった。

 セルリアンハンターの再編成を博士が提案した時には助手がパークを飛んで回り、適任と思われるフレンズを探し出してくれた。

 ヒグマを博士と引き合わせたのも助手であった。

 無骨ではあるが実力は高く、リーダーシップもあるヒグマは博士にとっても頼れる存在となった。

 そして忘れもしないセルリアン討伐作戦。

 博士の心に大きく影を落とすこととなった助手との別離。

 再び助手と出会った時、博士は彼女を守り切ることを心に誓った。

「理想の長……結局、なれませんでしたね……」

 その口ぶりとは裏腹に博士の表情は憑き物が落ちたようであった。

「今度はお前を巻き込まずに済んだのですから、なんとか及第点としてもらいたいところですね……」

 その時、階下で何かが飛び込んできた音がした。

 やがて階段を駆け上がる音が耳に入ってきた。

 ドアを開け放って部屋に飛び込んで来たのは助手であった。

「助手、帰ってきたのですね」

「――ッ!博士、そのお姿は……」

「自分の消えていく姿なんて見せたくなかったのですがね……」

 誰も部屋に入れないようにヒグマに頼んでおいたのですがね、と博士は苦笑する。

「セルリアンなら何とか倒せたのですよ……ですが、これが私の長としての最期の仕事になってしまいましたね」

「そ、そんな……嫌なのです……まだです、まだ何かしら手立てが……」

「今から火山に行ってサンドスターの塊でも採ってきますか?それとも私を火山まで連れていきますか?いずれにせよ結果は同じでしょうが」

 博士が淡々と語る間にもサンドスターの流出は容赦なく続いていた。

「でも……だって……そんなのあんまりです……。あんまりにも、ひどすぎます……」

 助手は俯いて声を震わせた。

 こらえきれなかった涙が彼女の頬を伝って落ち、床に斑点模様を作っていく。

「どうして――どうして私のために涙を流すのですか?私は助手のことをないがしろにしていたというのに」

「それでも……私はあなたのことが大好きだったんです!」

「なっ……」

 博士の手から杖が滑り落ちた。

「ずっとあなたの力になりたかった……!あなたに頼られたかった……!私はまだ何もできていないのに……っ!」

 博士は涙ながらに訴えかける助手を呆然と見つめていた。

 目の前の助手とあの日の自分が重なって見えた。

 博士は重大な事を見落としていた。

 長の務めを果たすことを考えていた。

 助手を危険に巻き込まないことを考えていた。

 しかし、その結果自身が先立つことが何を意味するかは考えていなかった、いや、無意識の内に考えるのを忌避していたのだろう。

 冷たく接しようとも助手は自分の役に立ちたいという想いを捨てることはなかった。

 だからこのままでは助手は絶望してしまうだろう。

 あの日自分が背負った闇を今度は助手が背負ってしまうことになる。

(コノハ……これがお前の望む結末ですか?違うでしょう。ならば考えろ、目の前の最愛の助手ともを少しでも救う手立てを……!)

 償うには時間があまりにも足りない。

 しかし何もしないなどという選択肢は無かった。

「顔を上げるのですよ、助手。その気持ちだけで私は十分なのです」

 それでも動けずにいる助手に博士は腕を伸ばし、優しく抱きしめた。

 感覚の薄れゆく体に助手の温もりが伝わっていく。

「博士……」

「もっと早く、こうしてやるべきだったのです……」

「ごめんなさい……何もできなくて……!」

「助手は何も悪くないのです。助手の言葉に聞き入れなかったのも、一人で事を片付けようとしたのも他ならぬ私なのですから」

 そう言って博士は助手の頬をそっと撫でた。

 その手も次第に分解が進んでいく。

「どうやらこうしていられる時間ももう長くはなさそうなのです」

「そんな……!博士がいないと私は……」

 今度は助手が博士をギュッと強く抱きしめた。

「……痛いのですよ」

「あっ……」

「このままで結構なのですよ」

 ハッとした様子で腕を離そうとする助手を博士は引き止めた。

「助手、聞くのです。お前にはこれからはもっと自由に生きてほしいのですよ……私のように悲しみや無力感に自分を縛ってほしくはない――それは自分と周りを不幸にする行為なのですから。それからもし――」

 もしもですがと博士は言い添えて。

「次の私が博士としてここへ訪れることがあれば、その時はまた同じ過ちを繰り返さないように助手、お前に導いてほしいのです」

「分かりました……約束、しますから……」

 助手の返事を聞いて博士は満足そうに目を閉じた。

「ありがとう、助手が優しくて本当に良かったのです。ミミちゃん……願わくば次もお前と……一緒……に……――」

 そう言い残すと博士の体は塵と消えていった。


 ――「ここは……?」

 気がつくと博士は暗いトンネルの中にいた。

「博士、こっちですよ」

 光が差し込む方向から呼びかけてくる者がいた。

 他に行くあてもないので博士はその声に従って歩いていく。

 するとその先には。

「とうとうお見えになりましたか、博士」

 見慣れた図書館の中で助手が佇んでいた。

「あの日以来ずっとお待ちしておりました。お久しぶりですね、博士」

「あの日……?ひさしぶり……?」

 一度は助手の言葉に首を傾げた博士だがすぐに得心が行った。

「なるほど、ここは死後の世界なのですね。そしてお前は……」

 博士は表情を曇らせた。

「お前には本当に悪いことをしてしまいましたね」

「セルリアン討伐作戦の時のことですか?アレは私自身の意思でやったことなのです。博士が謝ることではないのですよ」

「そのことだけでなく、私は長としてもフレンズとしても道を踏み外してしまいましたから……お前には合わせる顔が……」

「博士のことはずっと遠くで見守っていましたよ」

 助手は優しく微笑んだ。

「博士がみんなの為に長としての務めを果たそうと頑張っていたのはよく知っているのです。だから全部が全部上手く行ったわけでないとしてももっと自分を誇っていいのですよ」

「……ずっとお前に労ってもらいたかったのです。本当にありがとうなのですよ、助手」

博士は胸につかえが消えていくのを感じていた。

「ほっとしたらなんだか疲れが湧いてきたのです。そういえばここにはいつまでいて良いのでしょうか?」

「もちろんあなたが居続けたいと思っている限りずっとです。ここはそういう場所なのです」

そう答えながら助手は棚からティーポットを取り出した。

「ちょうどよかった。博士、ひさしぶりに私のお茶を飲んでくれませんか?」

「ありがとう、喜んでご馳走になるのですよ」

 博士は助手からティーカップを受け取るのであった――。


 ――ここで彼女の物語は終わる。

 しかし時を経てジャパリパークの図書館ではまた新たな物語が始まろうとしていた。

「助手、面白い本を見つけたのですよ」

「博士、一体何が載っているのですか?」

「ヒトが作って食べていたとされる料理というものなのです。ジャパリまんもそろそろ食べ飽きていたのでヒトが来たらこれを作らせるのです」

「素晴らしい考えです、博士。しかしどうやってヒトを判別するのですか?」

「問題ないのです。既にいくつか考えがあるのですよ」

 そこではフクロウが2羽、野望に燃えていたのであった。

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