Wraith

神威

第1話 幽霊は死んだ

 町外れの切り立った崖の上に、初老の男と青年が住んでいた。

 満月の夜、旅立つ青年に初老の男は張り詰めた表情で声をかける。


「本当に行くのか?ここでの暮らしはそんなに退屈だったか」

 青年は口元を少し緩めて穏やかに答える。

「モーガン。まさかあんた寂しいのか、柄にもないこと言うんだな」

 モーガンは呆れた表情になり、青年へ愚痴をこぼす。

「生意気な小僧め、白の国で拾った時のお坊ちゃまの面影が一切ないな。あの頃は―」

 説教が始まる予感がして、青年は煩わしそうに会話を遮った。

「ああもう…こんな時まで小言かよ」

 背を向けていても分かる。

 きっと哀れむような目でこちらを見ているのだろう。

「オレは傭兵として旅に出て復讐をするんだ」

「そんな事の為に剣を教えたのではないのだぞ」

 だいたいお前は―と、二言三言次々に説教が飛び交う。

 無視を決め込んだ青年の背中に、モーガンは深いため息をついた。

「…いくら言った所で無駄だな。少し待ってろ」

 モーガンは説教を止め、何かを思いつき家の中へと入っていった。

 これから今生の別れになるかもしれないというのに、変わらぬ調子のモーガン。

 青年は苛立ちを覚えつつも、崖から望む水平線へ過去の情景を思い浮かべていた。


 七つの頃に両親を宗教都市の紛争で失い、かつて傭兵として旅をしていた男に拾われてから十三年。

 衣食住を共にし、力がなくては身を守れまいと戦う術を請い、親子のように過ごしてきた。

 失った物を埋めていくかのように、平和な日々だった。

 それでも青年の心の内のどこかで、かつての光景が繰り返され続けていた。


 雨のように落ちていく砂と瓦礫。

 冷たい床に横たわる、家族の無残な死体。

 返り血の如く赤い髪の人影。

(きっと殺せる、今のオレなら…)

 青年は拳を強く握り締める。


 少し時間が経ち、初老の男は一本の剣を抱えながら家から出てくる。

 腑に落ちない顔で『餞別だ』と放り捨てるように青年へ渡す。

「おい、ちょっと!なんだよいきなり」

 渡された剣を食い入るように見るが、とても喜べる品とは言えなかった。

「…ボロボロじゃないか。片方の刃が潰れて、剣身も曲がってるぞ」

 柄に巻かれた糸が、少し解れてしまっている。

 どこまで使い込めばここまでひどい錆が付くのだろうか。

「なんというか、汚いな」

 モーガンは驚いた顔をしたあと自嘲するような笑みを浮かべた。

「はっはっは!『汚い』か、上手い事を言うじゃないか」

 上手い事を言ったつもりなど青年にはこれっぽっちもない。

 何がそんなに面白かったのか理解はできず、軽く流した。

「それと町に着いたらこの手紙を読んでくれ」


 二人の間に、気持ちの良い夜風が通っていく。

「モーガン、今までありがとう。また必ず戻ってくる」

「元気でな、ルーク…」

 ルークは後ろに向けて軽く左手を振ると、町の方へと足を踏み出す。

 モーガンは彼の背中をほこり顔で見送るのであった。




 ルークはさっそく町に着くと懐から手紙を取り出す。

 別れを惜しむような内容でも書いてあるのだろうか。

 あるいは人生への訓示だろうか?胸を躍らせ、封から紙を取り出す。

『この剣で酒場のツケを払ってくれ。渡すときに幽霊は死んだと伝えるように』

「は?」

 呆れ果てて物も言えないルーク。

 今生の別れかもしれない相手に贈る文だろうか。

 これならまだ説教が書かれていたほうが幾分かましだ。

 ルークが抱えた復讐の炎に身を燃やす人生としてこれからの不安。

 自ら捨てた安息の日々への後悔など諸々、この手紙一枚で茶化されたような気分になった。

 さすが『我が道を行く』を体言するモーガンだと苦笑いして酒場へと向かった。


(あの堅物にツケがあったなんてなあ)

 ルークが夜の街を歩くのは初めてのことだった。

(思えば夜は全然外に出られなかったな、モーガンは家を空けてばっかりだったし)

 ルークは酒場に入るとカウンターにいる店主に声を掛けた。

「店主さん、モーガンのツケを払いに来たんだけどこれを渡してくれって」

 店主は少し驚いた顔でカウンターの上に置かれた剣とルークを交互に見た。

 ルークはその様子を見て、モーガンに騙されたかと思い剣を引っ込めようとした。

「…やっぱりこんな剣じゃダメだよな。いくらなの?」

 すると店主はとんでもないと言わんばかりに大げさなくらい首を横に振った。

「むしろ釣りが返ってくるくらいだ。何か伝言とかはなかったか?」

「嘘だろ?そういえば…『幽霊は死んだ』と伝えてくれって」

 店主はあごに手を添えて、思考を巡らしている。

「そうか、先に釣りを渡しておこう。モーガンさんには世話になったしな」

 ちょっと待っててくれ、というと店主はカウンターの奥へと引っ込んでしまった。


「ツケ払いに着たのに金貰っちゃったよ。幽霊ってなんの事だ?」

 やりとりを見ていたのか、隣のテーブルに陣取っていた男達がルークを笑った。

「ガハハ!おめえ知らねえのか?さては他所もんか」

 むせそうな程の酒の臭いがこちらにまで届いてくる。

 ルークの反応などお構いなしに、男達は幽霊について語り出す。

「ガキの頃は親から『夜道を歩くと幽霊に連れて行かれるぞ』ってよく言われたもんだぜ!」

 

 そもそも『幽霊が死んだ』とはどういう意味なのだろうか。

(幽霊は死んでからなるものだろ)

 ルークが伝言の真意を探っているうちに店主が戻り、手紙を渡される。

「南の町外れにある墓守の家にこの文書を届けてくれ。観光でも有名なあそこだよ」

「またお使いかよ!夜に墓地に行けだなんて、本当に幽霊に出くわしそうだ」

 ルークは愚痴をこぼしながら文書を受け取る。

 店主に理由を尋ねようとした、その時だった。

「きゃあああー!」

 突然、酒場の外で女の叫び声が響く。

 ルークは驚いて外に飛び出した。



 外に出てみると横たわる男を震えた手で抱え、嗚咽を漏らす女がいた。

 追い討ちをするように、派手な鎧を着た男が二人を蹴飛ばしていた。

「おい駐屯所に通報してくれ!あいつを止めてくる!」

 ルークは近くの野次馬に声を掛けるが、男は首を横に振った。

「やめとけやめとけ…あれはエルム領の騎士だ。止めたらオレらがしょっ引かれちまうよ…」

「だからって…この状況でほっとくのか!」

 野次馬はその場を見ているだけで止めに入ろうとするものは誰もいなかった。

「あらぬ罪を我らに着せるとは愚か者め」

 女はおぼつかない足で騎士に近づき、泣き叫ぶ。

「私達の息子は…あなた達に…殺されたのよ!立派な騎士になって帰ってくるって言ってたのに!」

「邪魔だ」

 騎士は女を跳ね除け、ゆっくりと剣を引き抜いた。

「これ以上醜態を晒すのであれば、その口を二度と開けぬようにしてくれる」

 騎士が女目掛けて剣を振り下ろそうとした瞬間―



 突風が巻き起こった。

 あまりの風の強さに騎士や周囲の野次馬達は目を瞑る。

「なんだ!?」


 少し遅れて石畳の床に、金属が落ちる音。

 風が吹き止み、騎士が再び目を開く。

 

 空に浮かんでいた満月が雲に隠れていく。

 辺りには黒い霧が不気味に漂い始める。

 

 突然軽くなった自分の得物への違和感。

 おそるおそる騎士は手元を見やる…

 剣が、根元から折れている。

 騎士は動転し、額に一筋の汗が流れる。


「弱い者いじめるのが騎士の仕事か?」

 声の主を探して、体を動かすと首筋につめたい感覚が走る。

 剣が突きつけられていると騎士は一瞬で理解する。

 得物を失い、身動きの取れない騎士。

 姿の見えないルークに向かって、忌まわしい声を上げる。

「卑怯者め…その声、絶対に忘れんぞ」

 そう言い放ち騎士は柄のみとなった剣を投げ捨て、走り去っていった。

「自分のこと棚に上げてよく言えるな」

 しばらくすると黒い霧は晴れ、再び満月が夜道を照らす。

(晴れたな、なんだったんだ…?)


 ルークが剣を収め二人の男女に近づく。

 座り込んだ二人は生気を失ったような顔で絶望していた。

「どうせならあいつを殺してくれればよかったのに!!」

 女は命を助けてもらった感謝よりも憎しみを露にして我を失っていた。

「なんてことをいうんだアンナ、私達は殺されていたかもしれないんだぞ…」

 全身あざだらけの男は、ふらふらと立ち上がりルークに頭を下げる。

「あなたのおかげで助かりました、本当にありがとう」

「…事情は知らないけど、あんまり無茶な事すんなよ」

 

 その場を立ち去りながら、ルークは考えさせられる。

 鬼のような形相で、自分の安否よりも相手を殺してくれと迫る姿。

 自分もあのような顔をモーガンに向けていたのだろうか。


 気分の晴れないまま、ルークは墓地へと足を進めるのであった…



 酒場には活気が戻り先ほどの事件はまるで無かったかのよう。

 喧騒が飛び交う中、店主は新聞を見て一人で呟く。

「『幽霊は死んだ』か。若返ったの間違いじゃねえか」

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