「人間を出せ!」
@koheima1
「AIに仕事を奪われた日」
「お電話ありがとうございます、TRSモバイルお客様サポートセンターでございます」
オフィスの中を、キーボードを叩く音と電話のコール音が鳴り響いている。
その合間に響くのは、様々な声だ。男、女、老いも若きも電話の向こうの顧客に対して語りかけている。ここは、どこにでもあるコールセンターだ。
その一角に、一人の男が腰掛け、電話を取っていた。
名をKという。
年齢は30代後半。背は低く、顔は10人並み。
その表情は苦り切っていた。
コール音が鳴ると、Kは机上の電話機の「MANUAL IN」のボタンを押す。
こうする事で顧客と通話が繋がる。本当なら、電話機のハードウェアを直接使用する「ハードフォン」方式ではなく、通話システムをソフトウェア化した「ソフトフォン」方式が業界では主流だが、Kがいるコールセンターのシステムは旧式だった。
ボタンを押すと、ヘッドセットの向こうから聞こえてくる声に耳を澄ませる。
旧型のシステムでは、顧客がどの部署に繋いだのかをオペレータにウィスパーボイスで通知するようになっている。
「カイヤク」
聞こえてきたのは「解約」だった。
まただ。分かりきっていた事だが、Kの内心は重苦しかった。
その表情は苦り切っていたが、その発する声は「笑みを含んだ声」
業界用語で言う「笑声」だ。
「本日は、私Kが担当させていただきます」
「あのさ、解約したいんだけど」
「かしこまりました、それではまずお客様の情報を確認させていただきます。
失礼ですが、今お電話頂いているのはお客様ご本人様でしょうか?」
おきまりの本人確認を経て、いつものヒアリングに入った。
「今回解約をご希望されるご理由についてお聞かせ願えますか?」
「あんたんとこのサービス、全然電波入らないからね。だからよそにする事にしたよ」
またか、Kは思った。これもまたいつものやつだ。
クライアントのモバイルISPは設定価格が高すぎ、競合他社に価格で負けている。その結果、解約を希望する顧客が後を絶たない。
そのため、クライアントは解約をインターセプトするよう厳命していた。
「さようでございますか。でしたら、現在私どもでご用意している特別なキャンペーンがございまして、今の月額料金よりお安くなっておりまして」
「そういうのはいいから!解約させろよ」
————ああ、やっぱりな。
Kのインターセプトは即座に失敗した。
そりゃそうだ、とKは思う。いらないサービスに金をかけたいと誰が思うだろう。
解約したくて電話してきているのだから、そのまま解約だけすればいいのに。
しかし、インターセプトはKが勤めている派遣会社とクライアントの間に交わされた契約事項の一つであり、疎かにすれば注意を受ける可能性があった。
「かしこまりました、それでは解約のお手続きに移らせていただきます」
ここから先は単調な作業だった。
解約の日時を指定し、解約の際の注意事項を説明する。
そこで問題になるのが、契約解除料金だ。
「お客様の契約は2年契約でございまして、今解約をすると1万6千円の解除料金が発生いたしますが、ご了承頂けますでしょうか?」
「えっ!?あんたんとこのサービス電波入らないんだよ?そっちが悪いのに金取るのかよ!?ふざけんな!」
「申し訳ございません、ですがご契約時に最低利用期間内の解約は契約解除料金が発生する旨、ご了承のうえご契約頂いておりますので……」
「電気屋で契約した時は、店員が住所調べて『大丈夫です』って言ったから契約したんじゃねえか!それでもお前んところは金を取るのか!」
———ああ、その通りですよ。
Kは内心で顧客の言い分に同意したい気分だった。
クライアントは新規契約を電気量販店で行なっていた。
しかし、クライアントの扱うモバイルサービスは場所によっては電波の入りが悪い事で有名だった。ここで、モバイルサービスの宿痾とも言える問題が発生する。
電波は人間の目には見えない。
そのため、受信が有効であるかどうかは実際に試してみなければ分からないのだ。
例えば、電波のエリアを簡易的なマップで表示しようと、それは企業側が作り上げたシミュレーションの結果にすぎない。そして、目に見えない電波を視覚的にシミュレーションすることは現在の技術では難しく、販売店で提示できるマップなど全くアテにならない。
無論、その問題を回避するために、契約に提示される約款にはこう書いてある。
「電波の通じない地域も存在します」と。
しかし、新規契約を請け負った販売員は常にこう言う。
「大丈夫です」
「使えます」
顧客に約款を超スピードで説明した後でだ。
その一言に安心した顧客は、モバイル端末を家に持ち帰り、自身の判断が誤りだった事に気づく。その結果、現在Kが対応しているようなクレームが絶えず発生する。
無論、そのクレームを回避するための方策は一応ある。
2016年に総務省によって「消費者保護ルール」が制定された。
これにより、通信事業者と契約した消費者は、契約から8日以内であれば、いかなる理由であっても契約をキャンセルする事が可能となっていた。
電気通信業界では、「契約時の説明と違う」と言う問題の発生に苦しんでいた。
どのプロバイダも、同じような無謀な新規契約を行なっておりいわば自業自得とも言える結果であった。
しかし、そう言ったルールがあったとしても問題は全て解決しない。
契約前にそのルールを説明しても、顧客がそのルールを覚えていない場合は。
「お前んとこのサービス詐欺じゃねえか!」
「大変申し訳ございません」
Kは型通りの謝罪を繰り返す他なかった。
「まあいいや、よそのサービスが違約金肩代わりしてくれるからな。あんたみたいな詐欺には二度と関わらん事にするから、解約しろ」
「かしこまりました」
それからあとは作業だ、解約日を指定し、日割りの料金を説明し、端末の返却が不要である事を告げ、最後の解約の取り消し可能時間はセンターの営業時間内である事を告示する。その間、PCのモニタに開いたツールに、顧客の情報を淡々と入力していく。
「以上でございます、他にご質問はございませんか?」
「あんたの対応最悪だったわ、名前は?メールで会社に伝えとくから」
「Kでございます」
「あっそう、二度とあんたんとことは契約しないから。じゃ」
電話が切れた。
Kは通話が完全に切れた事を確認してから、小さくため息をつく。
手元にあったペットボトルの水を飲み、手を上げた。
「解約です!」
Kの周囲を歩き回っていた上席の一人が、画面を確認する。
Kは基幹システムで解約作業を実行した。
「ありがとうございます」
Kは上席にそう告げる。これで、一連の作業が完了した。
Kは電話機を見た。
電話機に「作業中」を示すランプが点灯している。
電話機のボタンを押して「待機」状態に変更した時点で、また電話は鳴るだろう。
そして、その時のウィスパーボイスもまた「カイヤク」のはずだ。
全く嫌になる。
Kの上席は、Kの解約の受信優先度を上げていた。
だから、何度電話を取っても解約が鳴るようになっていた。
本当に、嫌になる。いつからだろうか、こんな風になったのは。
Kは顔をしかめて、ボタンを押す。
再び電話が鳴る、Kはさらにボタンを押す。
「カイヤク」
まただ————
再び、一連の作業に戻る。
今度は比較的穏やかな顧客だった。
Kは必要事項を案内し、ツールに情報を入力した。通話が終わった。
通話の所要時間は3分で終わった。
手を上げて上席を呼び、手元確認の上解約作業完了。
これも数分で終わる。
Kは、一日で何十件もの電話を取っているが、その8割は解約だった。
作業にも慣れきっており、時間もかからない。
だが、Kはこの作業に倦み疲れていた。
いつもはこんなんじゃなかった、数年前までは。
Kは、オペレーターの仕事をもう14年もやっている。
Kの会社は国内最大手の人材派遣会社であり、様々なクライアントのサポートセンターで、Kは業務に取り組んできた。
その長い間に覚えた仕事は、技術的なサポートと情報処理だ。
主にやっていたのは技術的なサポートだった
今のクライアントの下でも、それは変わらなかった。
しかし、3年ほど前から様子が違ってきた。
技術的なサポートから、情報処理へと仕事を帰られた。
名目上は技術サポートと情報処理の両方を行う事にはなっていたが、徐々に仕事のバランスは情報処理へと傾いて行った。
情報処理の仕事は、サービス内容や料金請求の内訳の説明、オプションの解約等々だった。解約を請け負う事はほとんどなかった。解約専門のセンターが、別に存在していたためだ。しかし、ある日その解約専門のセンターが業務を終了した。
そして、Kのいるセンターに解約業務が大量に流れ込んできた。
その結果、Kは今解約の電話を取り続けている。
どうしてこうなったのかは分からないが、これはK自身の責任でもあった。
コミュニケーション能力に劣るKは、職場でも孤立気味だった。
恐らくそれが原因なのだと、Kは思っていた。
誰もやりたがらない仕事を、上は自分に押し付けているのだと。
実際それで精神を病み、鬱を患った。
鬱の原因は仕事の内容だけではなく、職場いじめも原因の一つだとKは考えていた。
Kは身長が低く、容貌も決して秀麗とは言えない。だから、からかいの対象になった。Kの身長を揶揄する声がセンター内に満ちていた。
我慢できなくなったKは、必死にそれを上長に訴えたが全て無視された。
「自意識過剰」と諭され、あるいは「それはお前の幻聴だ」と言われた。
Kはそれを未だに恨んでいる。仕事をしていても、絶えず殺意が脳裏に浮かんでくる。だがそれでも電話は鳴る、それを取る、取り続ける。
Kには分かっていた。自分はもうこの仕事しかできないと。
長くオペレーターの仕事を続けてきたせいで、もう、つぶしが効かない。
仕事の利便性を考えて、センターのある街に引っ越しもした。
だが、Kの収入は安かった。今現在さらに引っ越しをできるほどの資金はなかった。
今の会社を辞めるにしても、どのセンターも収入は同じようなものだった。
だから、薬を飲みながらこの仕事を続けている。
同僚に無視され、クズだゴミだと陰で言われながらも続けるしかなかった。
そして、Kは今日も解約の電話を取り続けた。
淡々と、感情を込めず、機械のようにそれを実行した。
本当に、機械のようだと自分でも思った。
ふと、Kはある広告を頭に思い浮かべた。
それは、2014年ごろにネットにばら撒かれた記事だ。
タイトルは「あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」」だったか。
2020年頃ににAIに代替される職種の一覧を列挙したもので、その中に電話のオペレーターが存在した。Kは、内心でこの広告に恐怖を覚えていた。
自分はこの仕事以外はできない、でもその仕事がなくなるという。
仕事がなくなったらどうすればいい、首でも吊るしかないのか。
だがその反面、その広告には一理あると思った。
自分がやっている電話の仕事は、決められたトーク・スクリプトによって成り立っている。スクリプトとは要するに台本の事だ。電話が鳴って挨拶をする文言は最初から決められていて、それを自分は喋っている。そして、顧客の要望によってスクリプトは変化するが、それらも全て定型化している。
必要な事を、定められた台本通りに喋っているのと同じだ。
それなら、自分のようなオペレーターをAIによって代替する事は決して難しくないのではないか、実現可能なのではないか。Kはそう考えた。
それはKにとっての具体的な不安として顕在化することになった。
いつか、自分はAIに仕事を奪われるかもしれない。
その不安を抱えながら、Kは電話を取り続けた。
そして、その不安はある日的中した。
「Kさん、契約更新面談をお願いします」
ある日、Kは上席に呼び出された。
いつもの契約更新面談だった。
マネージャーの席に移動し、型通りに面談を受ける。
業務で困った事はないか、マネージャーは聞いてくる。
————俺はあんたらを殺してやりたいよ。
内心でKはつぶやくが言葉にはしない。
だが、今日は様子が違った。
マネージャーが、妙な事を切り出して来たのだ。
「実は、業務改善の取り組みの一貫として、新しいフィードバックシステムが導入されました、ひいてはKさんの音声をそのシステムに組み込みたいのですが」
「はあ、新しいシステムですか」
「そうです。業務フィードバックで、自分の音声を聞く事はありますよね?このシステムは、オペレータ個人個人の音声を過去の履歴から全体的に分析して、対応品質向上に役立てるシステムなんです」
「そうですか」
多分、何か新しいデータベースのシステムでも作ったのだろうとKは思った。
しかし、その事をKに直接言うとはどういう事なのか、Kは不思議に思った。
「音声は個人情報に当たりますから、Kさんの同意が必要なんです。それで、この書類にサインを頂きたいんですが」
「それって、拒否権あるんですか」
「まあ個人情報ですからね、でも同意していただかないとこっちが不便なんですよ。今後は業務フィードバックもこのシステムを通じて行うことになりますから」
「……わかりました、それじゃあサインします」
「ありがとうございます」
Kは書類にサインした。
そして、いつも通りの3ヶ月更新を継続する事にも同意した。
さらに3ヶ月が経った。
マネージャーはミーティングで、センターの閉鎖を告げた。
突然の事に周囲の人間は戸惑いを隠せなかった。
しかし、センターの閉鎖は決定された。
Kもまた困惑した。
Kは派遣会社と契約を交わしてセンターで働いている。
だが、そのセンターはKの勤めているセンターは、派遣会社自体が運営しているセンターなのだ。様々な業種のサポートセンターが複合的に入っている施設だった。
つまり、クライアントが契約打ち切りを宣言したとしても、他のクライアントの業務に人員を回せばそれで済むようになっていた。
だが、今告げられたのは単なるクライアントからの契約打ち切りではなく、センターそのものの閉鎖だった。これは、明らかな異常事態と言えた。
しかし、Kはそれでもまだ安心していた。
Kの会社は国内最大手の人材派遣会社だったからだ。
このセンターがなくなったとしても、他にもセンターはある。
自分には長いキャリアがあるから、行くあてはある。
そう思っていた、その時はまだ。
今後の契約、他センターへの人材募集については追って連絡する。と言うのがマネージャー側の回答だった。多くの人間がマネージャーに詰め寄ったが、マネージャーは同じ言葉を繰り返すだけだった。マネージャーから書類を受け取り、Kは家に帰る事にした。
そして、一週間がたち、二週間が経った。
Kは会社に粘り強く連絡したが、会社側からの返答は「待機」だった。
仕方なく、Kは首都圏にある本社ビルの相談窓口に掛け合ってみた。
しかし、本社ビルには回答を待つ社員で溢れており、本社の回答は変わらず「待機」のままだった。
Kは、わけがわからなかった。
待機している人間の数が、あまりにも多すぎる。
自分のセンターだけではなく、どうやら会社が管理しているセンターの多くが閉鎖されたらしい。だが、契約自体は会社に残っていた。
Kは仕方なく、会社からの連絡を待つ事にした。
することもなく、Kは漫然とTVをみていた。
そして、Kは驚愕した。
「本日、国内最大手の人材派遣会社ATCが、AIの導入を決定しました。ATCの発表によりますと、ATCは多くのユーザーサポートを請け負っており、その規模は国内最大です。ATCは全てのセンターに対してAIオペレータの導入を既に完了し、明日にも稼働させるとコメントしています。これは、業界初の試みであり、また……」
Kの不安は、ついに的中した。
Kは、AIに仕事を奪われたのだ。
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