蒸気幻想譚 - V.E.0XXX - 記述士の手記と蒸気発明王

kinomi

手のひらの夢

01_蒸気演説と美味しい紅茶と

:蒸気は人を乗せる。人の夢を乗せる。

:然しその摂理は全て人知の裁断を経た。頼もしき根源、盤石なる礎と成り果てた。

:隣人よ。黄昏の向こうを見た愕然たる賢者たちよ。

:先へ進め。最果ての先へ進め。際限無く貪欲な、好奇指針の自動機械であれ。


 希代の発明王、ジルベスタル=メタスチーム。その激励演説はあまりにも強烈に世界を鼓舞した。蒸気機関の枝分かれしたパイプその隅々にまで圧力が行き渡るかの如く、世界に熱気が吹き込まれたのだ。



 一度文字をなぞるのを止めて頭に浮かんだ映像を遠ざける。少し深く息を吸って吐いて、また文字を追う。感嘆符を用いないこの記事でさえ文字になったメタスチームの言葉の端々から気迫が伝わってくるようだ。その声は重く低いが、初老の男らしからぬ明瞭さ力強さで存分に聴衆を惹き付ける。決して大柄ではない体躯から沸き上がる覇気は忽ちに皆の魂を掴み取る。


「……です、……あら?」


 しまった、集中していた。


「大丈夫ですか? なんだか怖い顔をしていましたよー」


 一人掛けの椅子に座る私の顔をふわりとした優しい雰囲気の表情が覗く。彼女はこの喫茶店を一人で切り盛りする女性だ。私に「新作の味見をして欲しい」と言って、可愛らしい焼き菓子がひとつ乗った赤銅色の薄皿がテーブルに舞い降りた。四角く層になったカステラ生地の上に、何の果物だろう、赤い半透明なペーストが綺麗に光を通している。断る理由は何一つ……。


「正直な感想をお願いしますね……!」


 真鍮色の細いフォークを手に取り、小さな宝石を慎重に扱うように口に運んだ。


(……!)


 美味しい! 果実の甘い香りが一気に広がり鼻を抜けていく。生地の柔らかな舌触りが芳醇に大波を立てるも……これは多分高級食材の卵だ、卵が押し寄せる感動を逃がさず包んで緩やかに余韻を……!


「良かった、もうお顔で分かります! 実はですね、軽く焼く時に……」


 同性だから話しやすいのか私なんかに話しかけてくれる彼女がとても眩しい。魔法のような焼き菓子の秘密は心を込めた丁寧な下準備から始まるようだ。

 素敵な紅茶やハーブティとお菓子を筆頭に、上質な癒やしを与えてくれるこの場所はとても貴重に思う。蒸気と油の満ちるこの世界では特に。明るくて優しい彼女の人柄もあって、工具を身に着けたままの逞しい男性から猫を追いかけてきたドレス姿の女の子まで、実に色々な人たちがここで時間を共有している。店内のテーブルや棚から食器の細部にまで行き届いた細かな気遣いと独特な雰囲気も相まって、賑やかな一階のスペースは虹色模様を織り成す。


「記述士さん最近よくここに来てくれますよね。あの、お名前を聞いてもいいですか?」


 向こうの男性が時々こちらを見ているのが分かったのか、少しトーンを落として聞いてくれた。彼女が私のことを記述士だと分かったのは私が『ペン印』の入った帽子を身に付けているから。幸いここではまだ私と同じ記述士に会っていない。私が自分の名前を伝えると、


「ナギサさん! 覚えましたよー! 知っているかもしれませんが、私はウノです!」


 抑えているけれど嬉しそうな声、誰とでも分け隔てなく接するウノさんが皆から名前を呼ばれているのは何度か耳にしていた。ちなみにこのお店には『ウノカフェ』と書かれた看板が付けられている。仕事用とは別の小さな手帳に彼女の名前を書き留めたが、“仕事とは別”の意味がどこまで伝わったかな。私の行動にお礼を言ってくれたウノさんに今度ちゃんと説明しよう……。


「いらっしゃいませー、……あ!」


 お店のドアが開く音と微かにウノさんを呼ぶような声がして、何やら笑顔の増したウノさんは私に一言挨拶をしてから二階席の階段を降りていく。お客様のところへ。

 お皿に絶品の宝石がもう半分と、私一人が残された。緑の差し色が綺麗なカップを手に取って紅茶を一口だけ飲む。良い香りが鼻を抜けて……短い溜め息が零れた。……えっと、そう、店内に散りばめられた独特の雰囲気の話。上手く言えないけれど“上品”とも“高貴”とも違う、流線金属細工が普段とは違う面持ちで、張り詰めがちな私たちの時間を紐解くために悠然とその場所にあるかのような。

 二階席には今あまり人がいない。元々ゆったりした空間を意識してテーブルの配置を疎らにしてあるらしく、今はジャケット姿の真面目そうな男性と赤いスカーフで本の世界に浸かる妙齢の女性だけがくつろいでいる。窓の向こうの屋根に猫の影が踊ったような気がして、蒸気の町へと意識が風に乗った。



* * * *



 意志を持った鉄の塊が唸りを上げた。駆ける風圧に押されながらも蒸気と噴煙が豪快に吹き出し続ける。強靭に組まれたレールは尚も超重量の車輪たちを受けて沈み、その長い身体が過ぎ去る一瞬を苦しそうに堪える。

 巨大列車は蒸気機関繁栄の一つの象徴だ。物を乗せ、人を乗せ、夢を乗せて荒漠な大地を突き進む。並みの山なら穴を開けてともすれば切り崩し、貧しい土地にさえ金属の直線が二本、また二本と刻み込まれていく。金属は豊富に生み出せる。権力者の欲は隠さずとも無限にある。走行の雄姿と汽笛の轟音は多くの市民に栄光を見せつけ奮い立たせた。


――メタスチームの言葉通りだ。


 首都『ブラステラギア』には、まだ生み出されて間もない巨大列車たちがよく足休めにやってくる。その多くは物資の移動のためだが、列車の中には行き交う金と権力に眉を顰め鼻を効かせる男たちや、外套にまで煌びやかな装飾品が目に付く富裕層の姿もある。しかしまだ善も悪も無いドレスを着た少女が一人、彼女もまた乗客だ、父親に手を預けながらステップを降りて、駅のホームに可愛らしい赤靴を当てた。

 蒸気と油が多様な金属に染み込むこの世界には今、発明家や権力者たちの指針が技術師を巻き込んで縦横無尽の航路を描き始めている。硬度純度の金属は富と武器に変わる。蒸気の力もこれに続く。発想勤勉の奇才は金と権力に問われる。蒸気の力は彼らを表舞台に引き上げる。


――版図の少し先はまだ誰の手にも目にも捉えられていない。



* * * *



「……美味しい……あ」


 思わず声に出してしまった。ジャケットの男性もスカーフの女性も気にしていないと思うけれど、少し恥ずかしくなって咳払いを一つ。身軽になって満足そうな赤銅色の薄皿が私に何か言いたそうにしている。

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