倒れた相手を討つ

 「伊刈さんお久しぶりでございます」電話口で慇懃に挨拶したのはレーベルの万年工場長だった。小磯工業団地裏の火災現場を鎮圧して以来だった。

 「どうしたんですか」

 「市庁に呼び出されているんです。帰りにちょっとお邪魔してもよろしゅうございましょうか」

 「また何か問題が起こったんですか」

 「いえそういうわけではございません。昔の問題を掘り返されておりましてね。お会いさせていただきご指導いただくことはできないでしょうか」

 「いいですよ」

 「恐れ入ります」

 それから三十分ほどで万年が環境事務所に現れた。以前よりいくらか痩せたように感じた。

 「あれから大変でございましてねえ。こうしてまたお目にかかれるとは思いませんでした」

 「レーベルを辞められたという噂も耳にしていました。そうではなかったんですね」

 「あの後不法投棄の責任をとらされる形で一度辞めました。ですがまた戻りました」

 「大蓮社長の信任を失ったということですか」

 「というよりは右翼のターゲットにされましてね。それを理由に社内の堂島と綾瀬に追い落とされました。しかし結局二人も辞めました。もう社長には心を許せる腹心はおりません」

 「新しい問題が起こったんですね」

 「不法投棄ではないんです。去年の暮れからのことなんです。本課の宮越さんからいろいろ書類の提出を指導されておるんです」

 「宮越にですか」

 「伊刈さんからどんな指導を受けていたかとか、事務所に提出した資料を市庁にも全部出せとか、それはもう厳しいご指導でして。今日もですね、マニフェストを二か月分お届けしました。事務所には内緒にするように言われているんですが今日はたまりかねてご相談にお伺いしました」いかにも宮越らしいと伊刈は苦笑した。

 「マニフェスト二か月分ですか。レーベルくらいの会社になると数千枚ですよね」

 「おっしゃるとおりでしてコピーするのに一か月以上かかりました」

 「断ればいいのに」

 「そうも参りませんよ。お役所のご指導でございますから」

 「マニフェストは紙が薄くて原稿送りが使えないから大変なんですよね。僕なら100枚以上のコピーは命じない。現場を知らないから何千枚でもコピーしろなんて言えるんだろうな。いやそんなこと考えるお役人はいないか。法律的には十万枚でもコピーすることになってるしね。ゼネコンだと軽くそれくらいの枚数になるでしょう」

 「コピーはまあやればいいことなんです。これはどういう意図のご調査なんでしょうか」万年は不安そうに尋ねた。

 「ほかにはどんな書類を提出したんですか」

 「提出書類の控えがございます」万年工場長が宮越にこれまで提出した書類はかなり大部で大型の紙袋に納まりきれないほどだった。伊刈は書類をざっと点検して宮越が何を立証しようとしているのか推理した。

 「狙いは再委託違反のようですね」

 「どういうことですか」

 「処理しきれない量の産廃を受注して未処理のまま他社に委託すれば再委託違反になります。許可取消に相当する違反です」

 「未処理のまま出すなんてことはしておりませんよ」

 「許可を得ていない処理方法では未処理と同じです。重機で揉んでるだけじゃ処理したことになりません」

 「選別はやってるんです」

 「土間選別や重機選別ではダメです。許可を得ている選別ラインを通していなければ処理したことになりません。一日の受注量はどれくらいなんですか」

 「今はいろいろ不祥事の影響もありございまして半分以下になってしまいました。ピーク時には四トン車で三百台くらいでしょうか」

 「それはいくらなんでも多すぎますね。レーベルの許可は一日四十トンです。四トン車に平均二トン積んでいるとして三百台だったら六百トンでしょう。許可の十五倍の受注ですよ」

 「だんだん多くなっちゃいましてね」

 「宮越が再委託違反による許可取消を狙っているとすれば免れるのは容易ではないでしょうね」

 「宮越さんはこのところこちらの事務所が撤去指導された業者を次々と呼び出して同じようなご指導をされているようなんです」

 「不法投棄に関係した以上、許可取消しはやむをえないですからね」

 「ですが私どもとしては許可を取消されたくない一心で撤去にご協力させていただいた面がございますから」

 「僕は撤去のデモンストレーション効果が許可取消しより大きいと思いましたから司法取引みたいなこともしました。宮越には宮越の考えもあるでしょうし法律的にどっちが正しいかというとね」

 「ですが宮越さんのご指導があんまりやり方が強引なもので、どの会社も不満のようでございます。伊刈さんのように理にかなった指摘をされ万事の事情を察せられ伏して協力を求めるというのとは大違いでして私どもも当惑しております」

 「これまで許可を取消された会社はありますか」

 「山代商店さんとくるみ工業さんですね。宮越さんが県の収集運搬業の許可取消しを促して、それが都の処分業取り消しへと連鎖したようです」

 「行政処分や他の自治体への通報は本課の権限ですし法律に従ってやっていることですから事務所ではどうにもなりませんね」

 「わかりました。宮越さんへの対応は社長と相談させていただきます」

 万年が帰ったあとでそれとなく本課の様子を探ってみると宮越が不法投棄に関与していた産廃業者に対して猛然と許可取消処分や刑事告発を開始していることがわかった。これらの権原は事務所に下りていなかったので宮越の独壇場だった。宮越に呼び出されていたのは、楽田ウェイスト、北関東物産、エコユニバーサル、オブチなど、伊刈が撤去指導した業者ばかりだった。それなら事務所に資料を要求すればいいのに、宮越は伊刈に頼みたくなかったのか一々新たに資料を要求していた。なかでも一番のターゲットがレーベルだった。伊刈は一抹の不安を覚えた。何事もやりすぎてはいけない。万年の慇懃な態度の中に本気になれば宮越一人くらいなんとでもなるという迫力が伝わってきたからだった。

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