買主飄々

 翌朝また水沢から伊刈の携帯に連絡があった。

 「ゆんべも無線聞いてたんだけどよ、ほんとにダンプが工業団地に向かってたらしいな。ところがよ、杭が打たれてるってんでUターンしたってよ。ざまあみろだな」

 「ほんとですか」

 「ここらのダンプ屋ならみんなもう知ってんよ。嘘だと思ったら誰にでも聞いてみな」水沢の情報がほんとうだとすれば大規模現場の再開を水際で食い止めたことになる。大きな借りを作ったなと思ったとたん、これが水沢の狙いだったのかと気付いた。

 その日の午後一番に、おかしな人物が環境事務所に伊刈を名指しで電話をしてきた。

 「俺は網代って言いますけどね、犬咬に土地を買ったのに入口に杭が打たれちゃって入れないんですよ。打ち込んだのはそちらなんでしょう。これから行ってもいいですかね」飄々とした声だった。杭が打たれた不法投棄現場は他にもある。しかし、昨日の今日だ。小磯工業団地裏の捨て場のことの違いなかった。

 「いつでもどうぞ」

 「そうすかあ。じゃあ二時までには行きますから」

 事務所に現れた網代は電話の声の印象とたがわない人懐っこい小柄な男だった。海辺の生活が長いせいか漁師特有の鰹節のような肌をしていた。季節外れの七分袖の上着は刺青隠しに違いなかった。ガラは水沢ほど悪くなかった。

 「杭を打たれた土地ってのは小磯のことですか」面接テーブルで応対した伊刈が尋ねた。隣席には長嶋が陣取り、網代をマルB(ヤクザ)と見立てて無言でじっと睨みつけていた。

 「なんとかならないすかねえ。電話でも言ったとおりね、あそこは俺が買ったんすよ」網代は長嶋に睨まれても飄々とした態度を崩さなかった。場慣れしているなと伊刈も感じた。

 「誰から買ったんですか」

 「それはちょっと言えないけど買ったのは間違いないから」

 「土地の名義は変えたんですか」

 「名義はそのままですよ。抵当に入っているからおいそれと変えられませんよ」

 「不法投棄現場として監視中だから何もできませんよ」

 「ヨットの保管場にするつもりなんですよ。産廃なんかやるつもりは毛頭ないですよ。漁港とか河岸とかにヨットがいっぱいあるでしょう。あれ不法係留なんでしょう。ここなら海から近いし保管場にして貸せば儲かると思うんですよ。高い船はやっぱり陸揚げしたほうが傷まないですからね」

 「ヨットやられるんですか」意外な顔で伊刈が聞き直した。

 「俺はやんないけどダチがけっこうヨットマンなんですよ。あれは金がかかるからね、あぶく銭がないと続かないからねえ」

 「プレジャーボートの不法係留問題は以前県庁で担当したことがありますよ。陸に上げておかないと船底に貝がついてスピードが出なくなるんですよね。マリーナは数が足らないし保管料がバカ高いですからね。月に何十万とかでしょう」

 「そうそう。わかってんなら話が早いや。俺は月十万で預かってやろうと思ってんだ。絶対儲かると思いますよ」

 「金儲けを考えるのはかまわないけどあそこはだめですよ」

 「どうして」

 「不法投棄現場は産廃を撤去するまでだめです」

 「どう使おうと地主の勝手じゃないんすか」

 「権利を主張する前に産廃を撤去する義務を果たしてください」

 「俺が捨てたんじゃないのに撤去しなければ土地を使っちゃだめなんてそんなの聞いてないよ。もう買っちゃったし、どうしてくれるんすか。だいたい撤去ってどれくらい出せばいいんすか」

 「二十万リュウベくらいでしょう」

 「そんなのムリじゃないですか。何十億もかかかるでしょう。市が片すってことはないんすか」

 「どっちみち撤去費用は地主や不法投棄に関与した人に請求しますよ」

 「俺にも請求するの?」

 「土地の所有者なら」

 「俺は地主じゃないよ。ほんとは買ったっていうより借りたみたいなもんだから。そんなことなら金輪際名義は変えませんよ。上のほうだけちょこっと使わせてもらうだけなんでゴミには触りませんから、ちょこっと杭を抜いてもらうわけにはいきませんか」

 「だめです」

 「そんな。参ったなあ」網代は頭をかきむしった。「今日は帰りますけどね、また来てもいいすか」

 「いつでもどうぞ」

 あまりしつこくせず引き上げる潮時を心得ているのか網代はあっさりと帰っていった。

 「あいつはどっからどう見てもテキヤあがりすね。ああ見えてあの手合いは食らいついたらしつこいすよ」駐車場に出た網代の後姿を見やりながら長嶋が言った。

 網代はその日から事務所に日参し、産廃は絶対に入れない、目立つ部分だけなら産廃を撤去してもいいと申し立てた。予想以上のしつこさだった。伊刈は一ミリも譲歩しなかった。現場のパトロールも毎日続けていた。気温が上昇するにつれて硫化水素臭がどんどんひどくなっていった。

 伊刈は保全班の大室班長と共同で環境調査と証拠調査を実施することにした。巨大なスタジアムにも匹敵する規模の現場はさすがに調査のしがいがあった。

 「表面から二十センチ下で廃棄物の温度が六十度まで上がってますね。火災の危険水準です」大室が伊刈に言った。

 「二十万リュウベの現場で出火したら木くず火災どころじゃないな」

 「ですね」

 「ガスはどうですか」

 「風下の硫化水素濃度は百~二百PPM、ただちに命にかかわるレベルじゃないです。もちろん風向きによって近隣の住宅に悪臭の被害は出るでしょうね。ガスの噴出孔で直接測るとガステック(検知管)が振り切れるところもありました。二千PPM以上ですから致死量の四倍です。直接吸引したら死にます」

 「それ住民に発表したほうがいいかな」

 「環境への影響は処分場の外周で計測した値で考えるのが原則なんです。噴出口で直接測ればどこでもそれくらい出ちゃいますよ。それを発表してたらきりがありません。ガス溜まりがあれば立入禁止にしたほうがいいと思いますけど、それもないようです」ベテランの化学技師らしくデータにいちいち動揺しなかった。

 「硫化水素の発生源はやっぱり解体物に混入した石膏ボードですか」

 「そうでしょうね。それが土壌中の硫酸細菌で分解されるときに硫化水素が出るんです。熱も出ますから火災の原因にもなりますよ」

 「やっぱり測定値は住民に発表したほうがいいですよ」

 「技監に相談します。これ以上温度が上がるようだと火災のほうが心配ですね」

 「どのあたりがとくに危険ですか」

 「事務所に帰ったら温度分布とガス濃度分布を作って危険か所をマーキングします。一般的には風が吹き込む方向から炎上するんです。冬なら北側、春なら西側、夏前は南東側の斜面に気をつけてください。浸出水もサンプリングしましたけど検査結果が出るまで一か月かかります。臭いをかいだところではVOC(揮発性有機化合物)の汚染はなさそうな気がします。もしも重金属汚染がひどいようなら下流の農地に被害が出ないようにする措置が必要です。もっとも休耕田みたいですね」

 「VOCとは?」

 「ベンゼンとかトルエンとかいわゆる有機溶剤ですよ。廃油が捨てられているところからは出ちゃいますね。ここにはドラム缶が埋まっているという噂もあるから心配してたんです。でも今のところ水質がとんでもなくひどいって感じではないです。詳しく汚染を調べるには三十メートルメッシュを切ってボーリングしないとだめですね」大室のコメントはベテラン環境技師そのものだった。

 「あったあった」その間にも証拠を探している監視班のメンバーからは次々と証拠を発見した時の奇声が上がっていた。

 「ベールが来てるな」伊刈は崖の下で証拠収集を続けている遠鐘に近付いた。

 「どっかの処分場でプラを切って圧縮梱包したやつです。今長嶋さんが番線カッター買いに行ってます。何枚か証拠は見つけましたけどとっても手じゃばらせません」

 「東洋エナジアにあったのと同じか」

 「形が違います。あっちのはサイコロでしたけど、こっちのはキャラメルです」

 「なるほど形でべーラーが特定できるってことか」

 伊刈は奥の崖際で証拠収集をしている喜多に近付いた。

 「様子はどう」

 「見てのとおり薬のシートです。同じメーカーのばかりです。ゴミが崩れて出てきたんです」

 「帝慶薬品て知ってるか」

 「わりと有名なジェネリックメーカーです」

 「証拠は何点集まってる」

 「僕は十点くらいです。長嶋さんと遠鐘さんの分はわかりません。たぶん全部で三十点か四十点だと思います」

 「最低五十点、できれば百点集めようか」

 「そんなにですか」

 「ここが犬咬最後の穴になると思うよ。どうせなら派手にやろう。百点集めれば百台撤去できるんだ」

 「わかりました。でもガスは大丈夫なんですか」

 「大室さんが臭いくらいなら平気だって。ただ噴出孔に近付くと即死らしいよ」

 「脅かさないでくださいよ」

 長嶋が番線カッターを買って戻ってきたので場内に転がされていた廃プラスチック類のベール(梱包物)を四人総がかりでばらして証拠物を検索した。

 「これはオフィスごみっすね」長嶋が言った。

 「この封筒に住所がありますよ。サンライズシティって豊島区春日町にできたばかりの超高層ビルじゃないですか」遠鐘が言った。

 「これは東越電鉄のごみですね。この会社のオフィスがサンライズにあるってことですかね」喜多が言った。

 「サンライズでビンゴってことかもな。ほかのベールもばらしてみようか」

 「了解っす」

 長嶋が買ってきたアームが五十センチもある特大番線カッターの威力は絶大で場内に転がっているベールがつぎつぎとばらされていった。

 「班長ちょっといいすか」長嶋が伊刈を呼んだ。

 「どうした」

 「実は人がいるんすよ」

 「人?

 「ええ」

 「どこに」

 「ゴミの中にっすよ。一時間前から気づいてたんすが出ていく気配がないんで」

 「は?」

 「つまりホームレスっていうか」

 「ここに住んでるってこと?」

 「そうみたいなんすよ」

 ゴミの壁に横穴を掘って住んでいたのは十代のカップルだった。

 「おまえら何やってんだよ。ここがどこだかわかってんのか」

 「知ってますよ。不法投棄現場っすよね」

 「ゴミの中に住んで平気なのか」

 「意外とゴミってあったかいすよ。真冬だって暖房なんか要らないすよ。布団だって毛布だって棄ててあるしね、ここにあるものみんな拾ったものっす」

 「ガスが臭うだろう」

 「ちょっとはなあ」

 「毒ガスだぞ。よく生きてたな」

 「またまた冗談すよね」

 「おまえどこのもんだ」

 「おれは地元っすよ」

 「彼女は」

 「あたしあぎだ」

 「あんたいくつだ」

 「じゅうはじ、秋田高校じゅうだい」

 「ほんとか」

 「ほんとはばっくれたんだ」

 「家出か」

 「あはっ」

 「名前は」

 「三代川泉、白い水とけえていずみだ」

 「親御さん心配してんだろう。捜索願い出てんじゃないか」

 「でじょぶ。時々電話しでっかんね。結婚しだっつったら喜んでだよ」

 「ゴミの中住んで喜ぶ親がいるか」

 「それ親御に言うわけねえべよ」

 「おまえら身元確認すっから所轄まで来い」

 「なんもしてねえべよ」

 「ここはあんたらの家じゃねえだろう」

 「あんた口わりいべ」

 「いいから大事なもの持てるだけ全部持って出て来い。もうここには戻れねえぞ」

 「んな理不尽な」

 「五分待ってやる」

 「こっちのおばわりさんごええね」二人は結局持ち出す家財もなく手ぶらで出てきた。

 長嶋は未成年者の二人を所轄に連行し本部の少年課に身元を確認してもらった。二人とも捜索願は出ていなかった。男の名前は楓呂大器、確かに地元の出身だった。一家離散状態で親族の誰にも連絡がつかなかった。美代川泉の両親とは連絡が取れた。男と同棲しているところを補導したと伝えた。驚いたことに泉は十八歳ではなく十三歳だった。高校中退ではなく中学中退だったのだ。そんな歳でゴミに掘った穴で男と同棲していたとは信じがたかった。義務教育中だった泉は児童自立支援施設に収容された。施設で体を洗い清められた泉は見違えたようにチャーミングになった。しかし一週間後には施設を脱走し行方知れずになってしまった。

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