第42話 矛盾に潜む純粋
「永柄」
俺は、地面に座って上半身だけを起こした状態の永柄に近づいた。こうしてみると、純粋な子どものようにも見える。彼はまだ、俺より一つ年下の高校一年生なのだ。
「……負けたよ。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
暴言を吐くでもなく、憎悪の眼差しを向けるでもなく、永柄はどこかさっぱりした様子で言った。
俺はどう反応していいのかわからなくなり、黙りこくってしまう。
永柄を警察に突き出したところで、何も意味はない。日本の司法でどうにかなるような問題ではないだろう。かといって、俺が永柄に対して何かをするのも違うと思う。それではただの私刑になってしまう
とにかく、起きるかもしれなかった大災害を防ぐことはできたのだ。目的はすでに達成されたと言ってもいい。
しかし永柄からしてみれば、まだ何も解決はしていないのではないか……。
「僕も暁さんも、魔物に憑りつかれていたんだ」
「宮城!」
俺が釈然としない気持ちで考えていると、後ろから、永柄の仲間である宮城が近づいて来た。
「憎しみとか妬みとか、そういう類の魔物にね」
この男も永柄と同じように、俺には理解の及ばない苦悩を背負っていたのかもしれない。
「もちろん、それを言い訳にするつもりはないよ。でも、きみにブレッサーを壊されたとき、少し心が楽になったんだ」
「……」
永柄は、宮城の言ったことに同調こそしなかったが、否定することもなかった。頭が空っぽになってしまったかのように、ただ黙って何もない空間を見つめていた。
世界を信じ、世界に裏切られ、世界に復讐をしようとしていたその男は、抜け殻になってしまったように見えた。
気の毒、とはちょっと違うかもしれないけど、これ以上責める気にもなれなかった。もちろん、永柄の今までの行いを許せるわけではない。
罪を憎んで人を憎まず……みたいな感じだろうか。
彼もきっと、楽になりたかったのだろう。一時的な強い感情に身を任せていたら、いつの間にか戻れないところまで来てしまっていたのではないか。確たる証拠はないけれど、そんな気がした。
俺と永柄の戦闘が始まる少し前。
――いまさら引き返せるか!
レミナスの呼びかけに対し、彼はそう答えた。自分のしていることに、彼自身も疑問を持っていたのかもしれない。
前回に戦ったときも、違和感があった。
永柄が最初から戦闘に参加すれば、俺たちは負けていたはずなのだ。それなのに彼は、自ら戦いに加わらず、二人の
誰かが自分を止めてくれる展開を、心のどこかで期待していたのかもしれない。
優しさが報われない世界など、壊れてしまえばいい。けれど、自分がしていることが間違っていることも理解している。そんな矛盾の中で、永柄暁はもがき苦しんでいた。どこまでも純粋な彼は、二つの矛盾した気持ちに折り合いをつけることができなくなっていた。というのは、俺の考えすぎだろうか……。
「レミナスから、俺の母親の話を聞いたみたいだね」
上半身だけを起こした状態で、永柄が口を開いた。
「ああ」
「母さんはあのとき――笑ってたんだ。信じてた人間に裏切られて、身体も心もボロボロで、そんな絶望の中で笑ってたんだ。そしたら、生きてることが馬鹿馬鹿しく思えてきて……」
俺は何も言えなかったし、安易に相槌を打つことも躊躇われた。彼の感じた痛みも苦しみも、彼にしかわからない。黙って話を聞くことしかできなかった。
「わけがわからなかった。まだ十五年くらいしか生きてない俺でも、その状況が人生のどん底だってことは明らかだったのに。……それなのに、なんで笑ってんだよ」
永柄の顔は、悔しそうに歪んでいた。
「それは――」
それは、お前がいたからだ。真っ暗な絶望の中でお前の母親が笑ってたのは、大切な人がいたからだ。そうじゃないのか?
根拠はないけど……。でも、母親ってきっと、そういうものなんじゃないのか?
言いかけて、俺は口をつぐんだ。
そんなことを言ったところで、理解はできても納得はできないと思う。それに、俺が言ったところで、説得力のないただのきれいごとだ。
いつか自分で気づいてほしいと思う。
「俺のしたことが全て許されるとは思ってないけど、今からまた、やり直せるだろうか……」
俺は答えなかった。きっとそれは、本人が決めることだ。
「一緒に、生きるのはどう?」
重苦しい空気の中で口を開いたのは、永柄のパートナーだったレミナスだ。真剣な眼差しで、一言一言を噛み締めるように発していく。
「私は、
「レミナス……」
永柄は元パートナーの真剣な目を見つめ返す。
「また前みたいな暁に戻ってさ、もう少し頑張ってみようよ。それでもダメだったら、そのときは……ダメだったねって、笑おうよ。暁のお母さんみたいにさ」
「もしダメだったら……」永柄は考え込むように言葉を切る。「お前も、一緒に笑ってくれるか?」
「もちろん!」
世界を信じ、世界に裏切られ、世界に復讐をしようとしていたその男は、再び世界を信じようとしていた。
「えっと」永柄が俺たちの方を向く。「きみたちには色々と迷惑をかけてしまった。言葉だけは足りないことはわかっているが、せめて謝らせてくれないか。本当に申し訳な――」
「ぎゃあああああっ⁉」
背後から、突然叫び声が聞こえた。その声の主はオトハだった。
シリアスで感動的な空気が、一瞬にして吹き飛んだ。
「どうした⁉」
「蜘蛛! 蜘蛛がいる!」
ああ、そういえば虫が苦手だったっけ。
オトハの視線の先には、五センチくらいの蜘蛛が地面を這っていた。
「誰か! その蜘蛛を焼き払え! 早く!」
その視線で焼き殺せるのでは……と思ってしまうくらい、オトハは蜘蛛を睨んでいた。
「オトハ殿……。あの
トーマが言って、それに櫻子がうなずく。どういうことだろう。
とにかく、オトハを黙らせよう。そう思い、
「その蜘蛛は、
永柄が呟いた。
六本木……。あいつか! 前回戦ったドレッドヘアの男だ。
「まだ、敵が残ってるのか?」
「ああ、いや。攻撃的な
永柄の説明にひとまず安心する。
そして……渥見哲矢から永柄のことを聞いた日、俺の家に蜘蛛が出たことを思い出した。オトハが騒いでいたので印象に残っている。
あの蜘蛛がスパイだったのか……。能力名に思い当たれば推測ができたことだ。
小湊が
「おそらく、俺が負けた時点で、あいつはどこかへ逃げたのだろう。忠誠心は高いが、それ以上に臆病だからな」
「そうか……」
これから先、蜘蛛には注意しなくてはならない。
「さて。一件落着ということでよいのか?」
さっきまで取り乱していたオトハが、何でもなかったかのようにまとめに入る。
小湊が「みたいだな」と答える。
「皆さん、本当にありがとうございました」
レミナスが深く頭を下げる。永柄はそれを見て、少し気まずそうにうつむいた。
こうして俺たちは、永柄暁のブレッサーを破壊することに成功した。彼がこれからどういう風に生きていくのか、それはわからないけれど、きっとそう悪いことにはならないんじゃないかと思う。
俺と姫歌、小湊に春風さん。四人は全員、ブレッサーを破壊されずに生き残った。
この戦いの中ではお互いに敵同士だったが、絆のようなものも生まれていた。この先も傷つけあうことはないはずだ。
最後まで残った場合、正々堂々と勝負することになるのだろうか。この先の戦いが厳しくなることは間違いないが、そうなってほしいと思っていた。
唯一の気がかりは、六本木
勝ち残って、オトハを
そして……。
――最後まで勝ち残った高校生は、何でも一つ願いを叶えることができる。
俺がもし、最後の一人になったとして、そのときには何を叶えるのか。
それはまだ、俺自身にもわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます