第25話 朝食抜かれて超ショック


 天気は快晴。容赦ない陽射しが降り注ぐ。

 歩いているだけなのに汗が出るのは、暑さだけが理由ではなかった。未知の敵を目前に、緊張感が高まっている。


 永柄の指定した場所までは、電車で二時間弱かかった。今は駅からの道のりを歩いているところだ。


 オトハは汗をまったくかいていない。涼しそうな顔をしている。

「暑くないのか?」

 気を紛らわせる目的も兼ねて質問する。


「私たちフェリク人は、体の表面に薄く膜を張って外界の気温や湿度の影響をほとんどなくすことができる」

 なんだそれ。羨ましい。


「人間にもその機能つけてほしいんだけど」

「フェリク・ステラで人体改造すれば実装できるんじゃないか?」

「やっぱやめとくよ」

 体のいたるところに穴が空きそう……。


「ここだ」

 それから数分もしないうちに、地図に示された地点へとたどり着いた。


「関係者以外……立ち入り禁止?」

 腰の辺りに張られたロープと立て看板が、俺とオトハの行く手を拒んだ。

 周りには人の気配はない。


「敵が元々立ち入り禁止だった場所を拠点にしたか、拠点にするにあたって立ち入り禁止にしたか、だな。どちらにせよ、私たちはこの先に進まなくてはなならない」


「ああ」

 ロープの下をくぐって、前に進む。


 縞模様の断層のむき出しになった土の壁が四方を囲んでいる。中途半端に荒廃した空間。何か大きなテーマパークを建設するための工事を中断したかのような、そんな雑然とした場所だった。

「ここに永柄が……」


 人間より大きな岩が、いくつか地面に点在している。数本の灌木かんぼくが端の方にひっそりと生えていて、それ以外に緑はほとんど見当たらない。


 それは何の前触れもなく、突然のことだった。

「うっ!」

 俺は衝撃を受けた。比喩ではない。文字通り、わき腹に衝撃を受け、地面を転がったのだ。


「健正!」

 クソッ、敵の能力ブレスか!


 油断したつもりはなかったが、相手の姿も攻撃も、見えなければ避けられない。

 すぐに立ち上がり身構える。


「ふふふ。その程度かい?」

 背後の岩の陰から、長身の男が現れた。髪は明るめの茶髪。ぱっちりとした瞳に整った眉。お洒落な雑誌から飛び出してきたような男だった。

 首にブレッサーが下げられているのを確認する。臙脂えんじ色だ。


「誰だ⁉」

 永柄の仲間だろうか。


「ん? 君はあのときの……」

 男は俺を見ると、驚いたように目を大きくする。

「は?」


「ああ、いや。こっちの話だ」と勝手に納得したような顔。「でもまさか、きみが……ね。灯台元暗しだ」


「何を言っている」

 俺のことを知っているのか? そんなニュアンスの台詞だったが……。


「さあ、早く永柄を――」

 男の台詞は途中で切れる。視線は何もない場所を向いている。足がふらついた。様子がおかしい。

 そして次の瞬間、彼は地面に倒れた。


「お、おい!」

 突然のことに動揺しつつ、俺は倒れた男の元へ駆け寄ろうとする。


「むやみに近づくな」

 オトハがが言う。

「わかってる」


 ゆっくり、警戒しながら近づく。何らかの罠かもしれない。いつでも布団を出せるようにブレッサーを握り締める。


 しかし、手の届く距離まで接近しても反応はない。男の首から、そっとブレッサーを外しておく。


 呼吸はしている。気を失っているだけらしい。熱中症かなにかだろうか。しかし、そこまで気温が高いわけではない。


「おい、起きろ」

 肩を揺すってみる。


 結局、敵かもしれない能力者ブレストを、俺は起こすことにした。

 さっきこいつは『早く永柄を』と言った。もしかすると、永柄の仲間ではない可能性がある。


 うーん、という唸り声とともに、男は意識を取り戻す。すぐに状況を把握したらしく、険しい顔つきになる。

「どうやら気を失ってしまったようだね」


「お前は何者だ」

 その質問に、男は首を傾げる。

「キミは、永柄暁の仲間ではなかったのか?」


「違う。そっちこそ、永柄の仲間だと思っていたが」

「バカを言うな。あいつはむしろ敵だ!」

 立ち上がり、両手を大きく広げて、オーバーなアクションで答える。

 どうやら、俺とこの男は互いに勘違いしていたようだ。


「さあ、ブレッサーを返せ」

 男は俺の方に手を伸ばすが、すぐに力なく地面に座り込む。


「おい、大丈夫か?」

「ダメだ。何か食べ物を食べてもいいだろうか?」

 腹が減っているようだ。倒れたのもそのせいらしい。


「……ああ。まあ、いいんじゃないか?」

 予想外だったので、思わず許可してしまう。


「アルマ!」

 男が呼ぶと、先ほど男が隠れていた岩の陰から、新しく何かが飛び出してきた。

 もう一人いたのか。


 そいつは驚く俺の手からブレッサーをかっさらう。

「あっ⁉」

 すばしっこい。小学五、六年生くらいの見た目だ。


「うおー! 舞澄ますみぃー!」

 叫びながら、かなりの勢いで男の腹にダイブする。どうやらパートナーの天王レクス候補のようだ。


「グホッ!」

「よかった! 死んじゃったかと思ったぜ!」

 今のタックル、結構ダメージあったような気がする……。


「ははは。俺がこんなところでくたばるわけないじゃないか。さあ、おにぎりを」

「あ!」

 子どもが目を見開く。


「どうした?」

「おにぎりの入ったバッグ、電車に忘れてきちゃった!」

「何だって?」

 男が目を見開いて驚く。


「ごめん……。俺のせいだ」

 子どもの顔が、泣きそうにくしゃっと歪む。


 男は笑顔で、子どもの頭にポンと手を置いた。

「仕方がないさ。今度から気をつけよう」


「うええええん! ありがとな、舞澄ぃー」

 子どもは男の胸に抱き着いて泣き始めた。最近、よく泣くやつばっかだな……。


 グギュルルルルル。男の腹が盛大に鳴った。相当腹を空かせているみたいだ。うえええええええん! 子どもはまだ泣いている。


 腹の虫と子どもの鳴き声の合唱。俺はただ、それを黙って見ていることしかできなかった。俺は何をどうすればいいんだろう……。


「こいつらは何をやっている」

 オトハが呆れた目で男たちを見る。

「さあ」


「ああ、君、えっと……」

 男が俺に話しかけてくる。


「峰樹健正です」

「健正、さっきはすまなかった。俺の一方的な勘違いで攻撃をしかけてしまって」

 男はフラフラと立ち上がり、頭を下げて自身の非礼を詫びた。

 なんとなく、いいやつなのかもしれないと思った。


「や、そんな。大したダメージは受けてないから」

「それはそれで、俺の能力ブレスが弱いみたいでちょっと悲しいな」

 そう言って苦笑する。


「ああいや、そういうつもりじゃ」

 普通に痛かったし。一発だけで良かった。

「わかってる。冗談だよ」


「なあ。良かったら、コレ食うか?」

 ここに来る前に買っていた菓子パンを差し出す。


「いいのか?」

 男が目を輝かせる。

「ああ。それより、色々と聞きたいこともある」


 俺たちは、なるべく障害物の多い端に座って食事をとることにした。もちろん辺りを警戒することも忘れない。


「俺は小湊こみなと舞澄だ。こいつはフェリク人のアルマ」

「よろしく」

 アルマは、ミスを引きずっているのか、まだシュンとしている。


「ああ、よろしく。こんなに小さい子どもでも天王レクス候補に選ばれるんだな」

「俺は小さくない! 十六歳だ!」


天王レクスには、十六歳以上のフェリク人なら誰でもなることができる。それに、選考を突破してこの戦いまで進んでいるということは、こいつの能力はかなり高いはずだ」

 オトハが捕捉する。


「その通り!」

 アルマが胸を張る。とても十六歳には見えない、なんて言うとまた反論されそうだったので黙っておいた。

 そういえば、オトハって何歳なんだろう……。


「それで、最初の質問だが、どうして小湊は今まで食事をしなかったんだ」

 先ほどアルマは、鞄を電車の中に忘れたと言った。つまり、食糧がなかったわけではない。


 しかし、舞澄は倒れるほどに空腹だった。にもかかわらず、何も食べていない状態でここまで来た。それはなぜだ。


「俺の能力ブレスは【朝食抜かれて超ショック】だ。手から衝撃波を出す能力なんだが、午前中に少しでも何かを食べてしまうと、その日は一日能力ブレスが使えないんだ」

 舞澄の説明に納得する。

 能力ブレス自体は強力だが、発動に条件が必要ということか。


「永柄暁とはどういう関係だ」

 先ほどの様子から推測はできたが、一応確かめておく。


「あいつは……倒すべき敵だ」

 口調には怒りがこもっていた。

「どういうことだ?」


「永柄暁は、俺の祖母をさらって、人質にしている」

「人質……」

 汚いやり方だ。渥見哲矢のときと同じだった。


「健正も誰かを人質にされているんじゃないのか?」

「いや、俺は――」

 近所で渥見による強盗が行われていたことや、永柄の『世界に復讐をする』という不穏な発言のことを話した。


「そうか。とにかく、コロコロとアジトを変えるが、ようやくここまでたどり着いた」

 どうやら永柄は、何度か拠点を変えているようだ。


「なあ、一つ提案がある」俺は真剣な顔で小湊の方を見る。「本来なら、俺とあんたは敵同士だ。だが、今は永柄暁という共通の敵がいる。ここは共闘しないか?」


「奇遇だな。俺も今、そう提案しようとしていたところだ。悔しいが、俺の力だけでは心もとない。ばあちゃんを助けるため、どうか俺に協力してほしい」


「ああ。よろしくな、小湊」

「こちらこそ」

 俺たちは握手を交わす。

 敵の敵は味方。こうして、俺と小湊は一時的に同盟を結んだ。

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