第5章-5 桃瀬、仕事に支障が出始める(別の意味で)

「さ、今夜は眠れるかな」

 今日は仕事帰りに睡眠改善薬を買ってきた。これで眠れなければ心療内科か榊に相談だろう。

「夕食に安眠を誘うたんぱく質は取ったし、ぬるめのお風呂にも入ったし、ラベンダーのハーブティーと買ってきた薬も飲んで、アロマディフューザーでラベンダーも焚いている。よし! 寝よう」

 灯りを消して、アイマスクも付ける。わずかな光も眠りを妨げる要因かもしれないからだ。ここまでして眠れなくてはさすがにまずい。

 しかし、いつもと違い、今回はすっと眠れた。どれが効いたかわからないが、成功したらしい。



「主任、なんですか? こんな所に呼び出して」

 さいたま管理事務所の地下一階。ここはボイラー室や物品庫などが並び、あまり人が入らない場所だ。

 榊が無言で近づいてくる。

「主任?」

 桃瀬が急に近づいてくる榊を警戒して後ずさるが、壁に当たってしまった。

 そのまま榊は腕を伸ばして桃瀬の横に手を当てる。つまりは壁ドンという奴だ。

「な……何をするんですか!?」

 桃瀬がたじろいで声を上げるが榊は無視して桃瀬の顎を持ち上げる。いわゆる顎クイと言う奴だ。

(な、なんで急にこんなことを!?)

 次の瞬間、キスをされた。

「むぐっ!?」

(いきなり何を!?)

 戸惑う間も無く、次の瞬間、桃瀬は押し倒されていた。

「きゃあああ!」

 悲鳴を上げるが、ここは人気の無い場所。叫んでも誰も来そうにない。

 そのまま作業服を脱がされそうになる。

「や、止めてください!」

 しかし、男性の力は強い。抵抗しようにもなかなか抗えない。

(やだ、どうして? なんで? 抵抗しなきゃ!)

 そのまま胸をまさぐられる。乱暴だから雑に触られて痛い。

「いやあああ!」


 がばっと桃瀬は飛び上がるようにして起きた。辺りは真っ暗。自分の部屋のベッドにいて、ルームウェアはびっしょりと汗をかいて張り付いている。

「ゆ、夢」

 状況からして今のことは夢だったと理解した。そう安堵すると共に、何故こんな夢を見たのか恥ずかしくなる。

(自分、そういう気持ちがあったの? いや、だとしても壁ドン辺りで止まるよね。それに、なんで榊主任なんだろう? それに感覚とか生々しい)

 新しい下着とルームウェアに着替えて再びベッドに入ったものの、再び悪夢を見るのではという恐怖感と何故相手が榊だったのか悶々として、結局朝までろくに寝付けなかった。


「おはようございます……」

 朝の調査当番のため、早めに来ていた柏木は桃瀬の姿を見てぎょっとする。

「お、おはよう。桃瀬ちゃん、昨日より更にグロッキーになってない?」

「うーん、夢見が悪くて」

 行き掛けに買ってきたカフェイン強めの栄養ドリンクが入った袋を置きながら疲れたように席につく。もはや一杯や二杯のコーヒーでは眠気覚ましが効かなくなっていた。

「夢? どんな夢さ?」

「うーん、何というのか……」

「どんな夢だ?」

 後ろから榊の声がした。

「きゃあああ!」

 思わずビクッと跳ね上がるようにして桃瀬が叫んでしまった。あんな夢を見た朝だ。なんだか警戒してしまう。

「え?! そんなに驚いたのか?」

 予想以上に驚かれたものだから、榊は何かしてしまったかとうろたえた。

「あ、す、すみません。う、後ろから声がしたものだからびっくりして」

「そうか。で、話は聞いてたがどんな夢だ?」

 まさか、本当のことは言えない。目の前にいる上司に押し倒された夢だなんて、後々の仕事に支障が出まくるし、柏木もいる手前、恥ずかしくて言えるわけがない。

「え、えっと、う、うめえ棒の『ガキ大将の手作りシチュー味』を大量に食べさせられる夢ですっ!」

「ああ、そりゃ、悪夢だ……」

 榊からそれをもらって食べたことがある柏木が納得する。


 うめえ棒史上、二大ワースト味の一つと言われた『ガキ大将の手作りシチュー味』。

 あまりのまずさに子供が悶絶して救急車沙汰になったとか言うまことしやかな噂が流れ、全国各地のゴミ捨て場にはそれを食べて気絶したカラスが目撃され、社会現象にもなった代物だ。一時はうめえ棒の本社の事務室まで売れ残った在庫があったという。

「あれ、結構旨かったけどな?」

 榊がしれっと答えるから、事務室内の空気が凍った。

「……主任、だから好みが普通と違うことを自覚してくださいよ。あれが今もあればアルプ・ルーフラ退治が一発でしたよ」

「実はメーカーに欲しいと電話したらどうぞどうぞと、ただで三箱くらい郵送された。まだ賞味期限前だからいくらか家に保管してあるぞ」

「「絶対に持ってこないでください! あれ、化学処理班が出動しますよ!」」

 二人がものすごいスピードで後ずさった。

「そんなに拒絶しなくても……」

(もし、主任の部屋に行くことがあったらそれが出されるのか。恐ろしい。でも、よ、良かった。なんとか誤魔化せた)

 ションボリする榊を見つつ、話題が反らせたことに安堵する桃瀬であった。

(これは相当深刻だな。うつ病の初期は不眠症とも言われるし、コロポックルの外回りが終ったら面談するか)

 榊は榊で、桃瀬のウソを見抜いていた。

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