第8話

クムは、コウに勧められるがまま、椅子に腰を掛けた。そして

「で、家庭教師とは?」

とコウに尋ねた。

「その前に、ご紹介しよう。こちらは、フェイ嬢だ。カヤ様の友人の子で、カヤ様が母代わりとして育てられているらしい」

コウは、フェイの紹介をした。

「先程、母上が挨拶に来られて、この娘の事は知っている」

そうクムが話すと

「そうか、そうか」

と相槌を打つコウ。黙って二人の話を聞いているフェイ。

「ならば話は早い。フェイの言葉遣いを直すために、一肌脱いでくれないかい?」

話をしながらコウは、空いている茶碗に茶を注ぐ。それをクムの目の前に置いた。


あまり長居をしたくないクムは、その茶をコウの元へ戻そうとした時、コウがクムの耳元で囁いた。

「カヤ様の猫は、随分と可愛らしい猫だね」

たちまちクムの顔が、かぁっと赤くなる。

「んなっ…!!どこで、それを…?!」

果たしてコウは、フェイとの事をどの程度知っているのだろうか?あの時、咄嗟に"猫"などと言わなければ良かった…。

そんなあたふたとしながら、考えを巡らせているクムの様子を、コウは笑いを堪えながら見つめた。


「どうしたのですか?」

クムが顔を赤くし、固まってしまったためフェイは、コウに尋ねた。

「いやいや。大丈夫だよ。な?クム」

コウは、パチッとクムに向かってウインクする。コウが、何をどこまで知っていようと、もう逆らえまい。クムは、腹を決めて椅子に深く腰を掛けなおした。そして、先程、戻した茶を引き寄せ、グイっと一飲みする。

「で、何をすれば良いのだ?」


コウの家庭教師の方法は、実に簡単だ。ただ茶を飲みながら、世間話をする。そして、フェイが言葉遣いを直せた度に、菓子をフェイに食べさせてやる。それだけだ。

「では、再開しよう」

コウはそう言って、次々とフェイに質問した。

「フェイは、もともとどこの出身かな?」

「カヤ様のご実家の近くと、聞いています。何しろ、幼い頃にカヤ様に引き取っていただいたので…」

「そうか。では、ご両親に関する記憶は、無いのだね?」

「はい。ほとんどありません」

「カヤ様とご両親は、どのような関係なんだい?」

「よく知りませんが、昔、私の父がカヤ様の幼馴染みであったと聞いています」

「お父上が、カヤ様と幼馴染みねぇ…」

コウとフェイの会話はすすんでいく。クムは、黙ったまま二人の会話を聞いていた。すると、コウはクムに会話を促した。

「クムも会話に入ってくれよ。皆で楽しく話をしよう」

会話と言われても、何を話して良いのか分からない。クムは、難しい顔をしてフェイを見た。するとフェイの不思議な色の瞳と、クムの瞳が重なった。思わずクムは言葉に出してしまった。

「不思議な瞳だな」

クムの言葉に驚くフェイ。そのフェイの様子を見て、自分が思いがけず言ってしまった言葉に付け足した。

「悪い意味では無いぞ。ただ、お前の様な色の瞳は見たことがないから…」

何か理由を付け足そうとしても、上手い言い訳が見つからないので、最後の方はもごもごと言葉が消えてしまった。

「そんなに不思議な瞳でしょうか?」

フェイは、クムに聞いた。

「私の周りに、私と同じ様な瞳の者が居るので、普通だと思っておりました」

「そうか」

クムがフェイの話に納得する。

「はいはい。ストップ!」

急にコウが会話を止めた。

「ここまで、キチンと言葉遣いが直っているから、ご褒美をあげないとね」

コウはそう言うと、クムを見て、目線を菓子が乗っている盆へと誘導する。まるで、お前が食べさせてやるんだぞと、言わんばかりだ。

クムは、それに目を大きくして答える。俺がやらなければならないのか、と言うように。

クムの表情を見たコウは頬笑むのみで、もう 目で会話をする気は無いようだ。そして、その微笑みは有無を言わせない雰囲気を漂わせている。

諦めてクムは、盆の上の菓子を眺める。黒塗りで、縁に花の装飾が施されている盆。その上には、数種類の菓子が並べられていた。季節の花を型どった落雁、小さな金平糖、赤と白の饅頭、色とりどりの飴玉…。クムは、少し悩み金平糖を一つ取った。


クムが

「これで良いか?」

フェイに聞くと

「はい」

と、素っ気なく答える。そして、気まずそうに、フェイは口を開けた。フェイは、恥ずかしいためか口を開けるのと引き換えのように、瞳を閉じた。その動作を見ていたクムは、ごくりと唾を飲み込んでしまう。美しいフェイがした、この一連の動作は妙に艶かしく感じたのだ。ただ、菓子を食べさせるだけなのに、心臓の鼓動が大きく速くなる。


気を落ち着かせクムは、さっさとフェイの口の中へ金平糖を入れようと思った。が、小さなそれは、しっかり口の中へ入れてやらないと落ちてしまいそうだ。

しまった!大きい菓子であれば、少し口元へ持っていけば、端を噛るだけで食べれたであろうに。なぜ、こんな小さな菓子を選んでしまったのだ!

そうクムは思ったが、フェイが口を開けて待っているのだから、後には引けない。仕方なく、口の中へ金平糖を入れる。その瞬間、クムの指先にフェイの唇が触れた。フニュっとした柔らかな感触。開かれる瞳。見つめ合う形になったフェイとクム。


一瞬の見つめ合う時間の後、扉の方から「はっ!」と、息を飲む音が聞こえ、クムは我にかえる。そして、自分が一瞬でもフェイの瞳に見とれていたことに気づく。その事実に恥ずかしさを覚えたクムは、パッと顔を背け、椅子から勢いよく立ち上がった。顔を背けた方向が扉の方だったため、先程息を飲んだ相手が誰だったのか、自然と知ることとなった。クムの部屋の女官である。

「すみません!クム様に、そのようなお方がいらっしゃるとは…」

慌てた様子で女官は言う。

「ま…待て!そのようなお方とは、どのような者のことだ!?」

なかば、パニック状態でクムは聞き返す。その様子をゲラゲラ笑いながら見ているコウ。フェイは、何が起こったのか、要領を得ていない様子で、口の中の金平糖をポリポリと噛むのだった。

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