王と器

@213s

第1話

 広大な緑が広がり、季節ごとの花が咲き乱れる。その花々は美しく手入れが行き届き、そこに集まる虫や鳥たちまでも美しい。まるで一つの絵画であるかのような場所。そこは、かの建国の王が造り上げた宮殿、緑宝宮である。


 そんな麗しい宮殿に似つかわしくない騒々しい足音は、ある部屋に向かっていた。その後ろからは

「お待ちください~!」

 と、これまた騒々しい女官たちの声。騒々しい足音の主は

「お前たちは、ゆっくり来れば良かろう。」

 と、女官たちの忠告など全く聞かない様子である。

「お待ちください!カヤ様は、お支度中との事で…」

 はあはあと、息を切らしながら先頭を走っていた女官は続ける。どうやら彼女は女官たちの長であるようで、何としても追いつこうと長い着物の裾を翻しながら必死に走っていた。距離が離れていく女官たちに向かって、足音に交じりはつらつとした声が届く。

「母上は、長旅でお疲れであろう。俺が挨拶に参った方が、良いではないか。」

それに答えるように、女官の長は声を出す。

「後で挨拶に伺うまで…若様のお部屋にて…お待ちくださいとの伝言でしたのよ…はあはあ…」

 そう言い終わる頃には、すでに呼び掛けた相手は過ぎ去ってしまっていた。

「はあ~~」

 女官の長は、肩で息をしながら膝に手を付き、大きく溜め息をついたのだった。


 緑宝宮の南側には、二代目の王の子や妻が暮らす部屋がある。部屋といっても一つ一つが独立した建物であり、中には寝室や書斎、お付きの女官の寝泊まりする部屋があり、それぞれが家の様な造りになっている。

 現在の王である二代目の王の妻カヤの部屋は、小さな庭を設けており、桃などの果樹に混じりスミレや蓮花のような野の花も植えられていた。仰々しい花々が多く美しいと評判な緑宝宮のなかで、可憐な草花が多いこの場所は、ホッとできるような雰囲気を醸し出している。王の妻カヤは、そんな小さな庭が表しているのような穏やかな女性なのだ。


 密集して小さく咲いているスミレの花が、大きく揺れる。揺らしているのは、先程女官に止められていた王子、クム。彼の足が素早く大きく踏み出される度に、可憐な花が波のように揺れる。そんなことはお構いなしに、母上として慕うカヤの部屋へと急いだ。


「お待ちください!クム様!!」

 クムが出入り口の扉を開けると、数人の女官が目を丸くしながらクムを止めに入った。しかし、クムはズンズンとカヤが居るであろう奥の部屋へ進んでいく。カヤの部屋の女官たちは、クムへの伝言がされていると安心しきっていたので、クムの来訪に面食らった様子である。

「立場上、母上から挨拶に参るのは分かっておる。だが、堅苦しい挨拶は無しで良いと、俺が言っているのだから、良いではないか。」

うろたえている女官たちを軽くあしらいながら、クムは勢いよく扉を開けた。

「お久しぶりです!母う…え?」

 クムの目に飛び込んできたのは、母上と慕うカヤの笑顔ではなく、透き通るような白い肌の背中。その背中の主は、長い豊かな髪を片側の肩にまとめて、手で押さえている。その脇には、数人の女官が色とりどりの着物や簪を持っていた。その着物は、クムが部屋に入ってきた瞬間、一度腰の辺りで止まっていたが、次の瞬間にはサッと肩まで上げられた。一方、予想していなかった事態に驚いたのか、簪を持っていた女官は、それを床へと落としてしまう。カシャンという音が部屋に響き、その後事態を把握した女官たちの「キャー」と言う悲鳴が響く。この一連の光景を、何が起こっているのか理解できない様子でぼぅっと見つめるクム。


「クム?!」

 聞きなれたカヤの声でクムは、我にかえった。着替え中だったのだ!そう理解し部屋に背を向け出ようとした瞬間、ぐっと腕を掴まれる。反射的に掴まれた方を見ると、腕を掴んだのは、カヤでも女官でもない。目に怒りを貯めた女だった。


「おい!着替えを覗いたのに、謝りもしないのか?!」

 腕を掴んだ女は、男の様な言葉使いでクムをどやす。王子であるクムをどやす事にも驚いたが、女の格好にもっと驚く。着替えの最中であったため、女はあと少しで胸が見えてしまいそうなくらい緩く着物を合わせているだけなのだ。あと少し動いたら着物が緩み、はだけてしまいそうだ。そんな状態なので、クムは反射的に目を女から逸らしてしまう。

「お…お前!その口のきき方は、何だ?!」

 どもりながらクムが応戦すると、女はハッと呆れた様に溜め息をつく。

「女の着替えを覗くのと、私の口のきき方と、どちらの方が重要なんだ?」

 クムが言葉に詰まるっていると

「お止めなさい。」

 と、カヤの澄んだ声が二人の間を割った。


 カヤは王子と女の間に入り、クムを掴んでいる女の手を握る。そして、その手をカヤがぎゅっと一回握ると、それが何かのサインであるかのように女は手を放した。カヤは、深々とクムに向かって頭を下げる。

「クム王子、大変失礼致しました。」

「王子?」

 女は、クムの身分を知らなかったようだった。クルリとした大きな瞳をさ更に大きくして、まじまじとクムを見つめた。

「さぁ、貴方も着物を整えてから、王子に謝りなさい。」

 促され、女は自分があられもない姿だということに気付いたようだった。パッと顔を赤くし、はだけた着物の前を素早く合わせた。

「恥じらいは、人並みにあるようだな。」

 女が赤くなった様子に、クムは思わず言葉をこぼす。その言葉に、カヤはにっこりとクムを見た。カヤの目は笑っているが、雰囲気は「もう黙りなさい」と言っているような無言の圧力を感じる。それとは対照的に、女はじろりとクムを睨み付け、嫌悪感を隠そうともしていない。


 納得のいかない様子だが、女はカヤに促されるまま頭を下げた。

「王子とは知らず、無礼をはたらきました。すみませんでした。」

 そして言葉を続ける。

「私にも恥じらいはありますので、ご挨拶は後程でもよろしいですか?」

 遠回しに「出ていけ」と言っていることに気がつき、クムは眉間にぐっとシワを寄せた。

「お前っ…」

 嫌みの一つでも返そうかと、クムが口を開いた瞬間、カヤが屈みこんだ。その手には落ちた簪が握られている。簪は銀で作られており、小さな珊瑚があしらわれている。傷が無いことを確かめるように簪の珊瑚をゆっくりと撫でると、カヤは言い聞かせるように話した。

「クム王子。本来であれば、こちらから挨拶に伺わなければならないところを、失礼いたしました。また後程この子を連れ立ってご挨拶に伺いますから、お部屋にお戻りになって。積もる話は、そこで致しましょう。」


 クムがカヤの部屋から外へ出ると、クムのお付きの女官が、やっとカヤの部屋へたどり着いたようだった。肩を大きく揺らし呼吸を整えながら、クムに訊ねる。

「クム様!やっと追いつきましたよ!カヤ様は、お部屋で待つようにとおっしゃっていたのですが、もしかして、もうお会いになりました?」

「それを早く言え!!」

 クムが大きな声を出すと、女官はビクッと驚く。

「すみません!でも、私、クム様にお伝えしようと…」

「もう良い!」

 クムは女官の言葉を遮ると、再びスミレを揺らしながら足早に自分の部屋へと戻っていくのだった。



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