旦那様が私に手を出してくれません。

エノコモモ

旦那様が私に手を出してくれません。


「ふつつかものですが、どうぞよろしくお願い致します」


こんばんは。

私、今は伊月三葉いつきみつばと申します。

年齢は18歳。

ごくごく普通の小娘に他なりません。

さて、冒頭にてわざわざ「今は」と付けましたのには理由がありまして、つい先ほど名字が変わった為でございます。


「ああ。宜しく」


そして目の前で、布団に半分入っているこちらの男性が、その名字が変わるきっかけとなった御方。

先日無事に女学校を卒業致しまして、兼ねてから決まっておりました縁談が成立する運びとなりました。

18歳で嫁入りは早すぎる?

いえいえ、人生60年時代でありますから。

ええ、よく或る話でございます。


「じゃあ、寝るか。お休み」


さて、本日生まれて初めてできた旦那様はそう言って、洋灯の明かりを消しました。

そうしてこちらに背を向けて、本当に寝てしまうのです。

ええ、ええ。そうですとも。

こちらはよく或る話ではございません。






「おはようございます」

「…おはよう」


私の旦那様は、伊月鷹之助いつきたかのすけ様と仰います。

年齢は25歳。

こちらは自慢になりますが、大変素敵な殿方です。

切れ長な瞳に高い鼻はまさに美形と言うに相応しく。

すらりと伸びた背は高く、細過ぎず太過ぎずそれでいて程よく付いた筋肉。

私の卒業式にいらした時には、一体誰の婚約者だと話題になったものです。


「鷹之助様。目の下に隅があるようにお見受けしますが」


さて、そのような方と結婚し幸せ絶頂の私ではありますが、現在深刻な問題に出会しております。


「ん?ああ。…寝付きが悪くてな」

「さようでございますか」


つまりは旦那様は起きていたということです。

そういった日もお有りの事でしょう。

殿方と言うのは、色々と神経を磨り減らす機会が多いと聞いております。

問題は、隣に横たわる妻に、一切合切その手を触れぬこと。

起きていて、さらには暇をもて余していて尚、私に手を出さなかったということでございます。

由々しき事態ではありませんか?

少なくとも私の、三行半への断頭台は着実に迫ってきている気がするのです。






「と言う訳なので、協力してください」

「それ、義兄さんに姉さんとの夜の営みの話を聞けってこと?すごい嫌なんだけど…」


さてさて、こちらの根性無しの若輩者は、私の実の弟であります立花青葉たちばなあおば

この度は私の協力者として呼び寄せました。


「結婚して1ヶ月。鷹之助様は相変わらず麗しく優しいのですが、わたくしとしては不安なのです」


私自身、何の努力もしてこなかった訳ではございません。

あれは懐かしい女学生時代。

校舎脇に春本が捨てられる事態がありまして。

性に興味はあれど助兵衛女との烙印を押される事が嫌で、指を咥えて見ているしかなかった女性徒を押し退け、私は堂々と宝を手に致しました。

その事件をきっかけに“豪傑のミツバ”との異名を獲得した程の私でございますから、性に関する知識は決して少なくは無いのです。


「寝間着をほんの少しはだけさせたり、夕餉をすっぽん鍋にしたりと努力は惜しみませんでした」

「嫌だなそんな嫁…」

「ですが鷹之助様は相も変わらずわたくしの存在を無視されるのです。ほら、良いのですか!姉の一大事ですよ。万が一こちらが原因で離婚になった場合、わたくしは実家に出戻り貴方を逐一苛めますよ」

「う…」


青葉がたじろぎました。

これならばあと一押しでしょう。

我が弟ながら、なんと単純で扱いやすい。


「原因が分かれば対処法が分かります。私に何か問題があるのか、はたまた男色家なのか、原因を明らかにしない事には夫婦生活に支障をきたします」

「姉さんに問題は大有りだろ…」

「幸い今日は鷹之助様のお仕事はお休みですから、お酒を飲ませて聞き出してください」

「悪いことしてるみたいだな…。わ、わかった。やるけどさ…だいたい、男色家だってわかったところでどうするんだよ」


ならば私は髪を切り、男性の一物を股へ装着する所存でございます故、心配は要りません。

なに、青葉あたりが喜んで協力してくれるでしょう。


「嫌だよ!」






「義兄さん!良いお酒が手に入ったので遊びに来ました!是非飲んでください!」

「久しぶりだな。三葉、座敷を開けてくれ」

「はい」


さて、姉弟の謀略など知らず、鷹之助様が術中に嵌まりました。

我が弟の愛想の良さにおいて、右に出る者はおりません。

青葉は、私が嫉妬する程に鷹之助様と仲睦まじいのです。


「…腹が立ってきました。おっと。此処ですね」


今は私情は捨て置くべきです。

幼少時代、少々腕白が過ぎまして、親戚中で“野猿のミツバ”との通り名が付きました私の忍術が活躍する時が参りました。


「義兄さん、相変わらず良い男ですね!」

「やめてくれ。青葉こそ元気そうで何よりだ」


私が居るのは屋根裏でございます。

ここの板の隙間からほら、座敷の様子が見聞きできるのです。


「本当に何で姉と結婚したのか…あっ!いや、違う話をしましょう」


殺気を感じたのか青葉が黙りました。

お酒の進み具合を見る限り、そこそこ酔いは回っていらっしゃる様子です。

勿論鷹之助様は私が聞き耳を立てている事等ご存知ありませんから、これならば口を滑らせてくださるかもしれません。


「ところで、姪はどうですかね?あっ甥っ子かな?」


良いです。弟よ。

少々わざとらしい事が気になりますが、良い下世話さです。


「……その話は、未だ先かもしれないな」

「義兄さん…?」


鷹之助様の声が、一層低くなりました。

楽しそうに酒を飲んでいた手を止めて、深刻な顔をしていらっしゃいます。


「三葉に…お前の姉さんに問題があって」

「ああ…ですよね」


青葉は後で問い詰めるとして、鷹之助様にもそう思われていたとは。

何がいけなかったのでしょう。

鷹之助様のお姉様であるしずく様と殴り合いの喧嘩をしてしまった事を知ってしまったのでしょうか?

けれど、それが終わった後、鷹之助様を任せるに足る人物だと認めて頂き、雫様とは固い握手を交わしました。

漏れる可能性は低いのですが。


「三葉を嫁に取ってしまったのは、早計だったかもしれん」


ああ。

やはり私のような小娘では、鷹之助様とは釣り合わないのでしょうか。

覚悟していた事ではありますが、実際に御本人の口から聞く事が、こんなに辛く悲しいものだとは思っておりませんでした。


「その…三葉は少し、可愛すぎる」


…はて?


「義兄さん?」


青葉は呆然とした顔です。

私もきっと、同じ顔をしているのでしょう。


「初めて会った時は、見合いだったか。当時、俺はあまり結婚に乗り気ではなかったんだ」


ええ、覚えております。

覚えておりますとも。

鷹之助様に一目惚れをした私が、無理矢理漕ぎ着けた縁談でございました。


「だが桜の下に佇ずみ、こちらに微笑みかけてきた彼女を見て、俺は心臓を持っていかれたかと思った」


そうでしたか。

あの日、鷹之助様は仏頂面で私の事など見てもくださいませんでした。

やはり無理な縁談であったと落ち込んでおりましたから、是のお返事を頂いた時は舞い上がったものです。


「それから渋る義父さんを説得し、なんとか結婚まで持ち込めた所までは良かったが…。あれほど純粋で愛らしい三葉に、どうして手を出すことなどできようか」

「いや…純粋かどうかは確約できませんが」


何と言うことでしょう。

ずっと、私の片想いかと思っておりました。

鷹之助様は、仕方なく結婚の道を選んだのだと。

そして父と青葉は後日しばきます。


「目の前にいるだけで口から内臓が飛び出しそうになるのに、万が一触れたりなどしたら俺は恥ずかしくて死ぬと思う。もう少し心の準備をしてから、嫁に迎えるべきだったかもしれん」


よくよく考えてしまえば相当情け無い事を仰っているのですが、鷹之助様の表情は真剣そのもので、私の胸にも込み上げるものがあります。

ところが、溢れる涙を拭ったその拍子に体が動き、ミシリと音を立ててしまいました。

(しまった!)


「ん?屋根裏から物音が…」

「ウホッ、ホッホッホッウホホッ、キーキーッ!」

「!?なんだ!?南米辺りにいそうな猿の鳴き声が!」


この後、屋根裏を調べ始めた鷹之助様の目を掻い潜り、私は青葉と合流しました。

今日は本当に有難う。


「姉さん…確かに猿の鳴き真似は死ぬほど似てたけど、屋根裏にいるのはどう考えてもおかしいと思う…」


疲れたような顔をして、青葉は去って行きました。

あんな事を言いながらも、私の結婚式で貴方が大泣きした事、姉は生涯忘れませんよ。






「明日は朝からお仕事でいらっしゃいますよね」

「ああ」


日もとっぷりくれた、ふたりの寝室でございます。

相も変わらず鷹之助様は、本を読んでおり私の事など目もくれません。

ですが、よくよく見てみれば、確かに本は逆さまですし、手先は震えているようです。


「鷹之助様」

「…なんだ?」


きちんと正座をして、鷹之助様の瞳を見据えます。

真剣な雰囲気と察すれば、こんな小娘にも本を閉じ真っ直ぐに向き合ってくださいます。

私はそんな貴方が。


「貴方が好きです」

「え」

「大好きです」

「…!?!?」


鷹之助様が、明らかに動揺し身を仰け反らせました。

さあさあ、私の攻撃はこんなものでは済みません。


「宜しければ、貴方様がわたくしのことをどうお思いか、お伺いしたいのですが」

「は…!?いや、その…」


ずいずいっと鷹之助様に身を乗り出します。

何とか逃げようとする旦那様は、それはもう真っ赤。

まるで熟れた林檎のようです。


「明日は仕事だから、あ、遊んでないで…寝るぞ!」

「……」


ところが鷹之助様は、布団へ潜って私に背を向けてしまいました。

その耳は先まで赤く染まっておいでです。

これはこれで嬉しくはありますが、今まで散々悩まされて来たのです。

あとほんの少しだけ、この鬱憤を晴らさせて頂きましょう。


「ならわたくしは…明日から別の部屋で寝ることに致します…」

「えっ」


尋常小学校時代、数々の問題を起こしはしたものの、それを露見させることなく“女優のミツバ”と呼ばれました私の実力、とくとご覧あれ。

今回大切なことは、嫌味に聞こえないよう、あくまで可愛いお嫁様でいられるよう、被害者面をすることです。


「鷹之助様はわたくしに気を遣って今まで一緒に寝てくださっていたのですね…。だから睡眠不足だったと」

「え、いや、その…」

「旦那様のより良い就寝を手助けすることが妻の勤めにございます。ならば気を遣わせるなどもっての他。明日からは別の布団で眠りにつくことに致します」

「えっ?えっ?」


予想外の展開に、鷹之助様が布団から身を出しこちらを見ていらっしゃいます。

ですがこのミツバ、続けて畳み掛けますよ。


「鷹之助様にお嫌われていることに気付かず…申し訳ございませんでした」

「……」


頭を深々と下げ、いつもの旦那様と同じように背を向け布団に潜ります。

背後でもそりと、衣擦れの音が聞こえました。


「三葉」


旦那様は私に手を出してくださいませんが、気長に待とうと思います。


「む…無茶苦茶愛してるから、どうか一緒に寝てくれ」


私達、どうやら気持ちは同じようですから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る