第35話 私のヒーロー

 結局、俺は桃の提案に乗って、外に出る事にした。どうやら桃は話す場所まで決めているようで、俺はそのあとを着いて歩いていた。


 家を出るときは降っていた雨も、歩き始めてしばらく立つ頃にはもうほとんど止んでいた。元々今日の天気予報では夜は晴れるといっていたから、それが当たったのだろう。


 そんな事を考えながら歩いていると、前を歩く桃が立ち止まってこちらを振り返った。


「着いたよ、新!」


 桃の背後には小さな公園があった。住宅地の真ん中にある、ほとんどなにもない公園だ。俺が卯崎と出会ったあの公園と比べると、公園とすら呼べないような場所。

 けれど、その公園には見覚えがあった。


「ここ、覚えてる?」


「……ああ、俺たちが昔よく遊んでた公園、だよな」


 ずっと昔、多分小学校低学年くらいの頃だろう。その頃はよくこの公園で桃や、他の同級生たちと一緒に遊んでいた。

 年を重ねる毎にもっと楽しい場所がある事を知って、いつからかここには来なくなってしまったが。


「元々ブランコと滑り台しかなかったのに、ついこの間滑り台も撤去されちゃってね。寂しくなっちゃったんだよ」


「そうなのか……詳しいな」


「今でも時々来るからね」


「そんな熱心になるようなものなんてなにも無いだろ」


「あるよ。……ここには、私の大切なものがいっぱいあるの」


 そう言った桃の瞳はどこか切なげに揺れていた。


「ね、覚えてる? 新ってさ、この公園で遊んでる頃から、『将来は正義のヒーローになるんだ』って言ってたよね?」


「そんな昔のこと掘り返さないで……」


「でさ、よく二つ年上くらいの人たちと喧嘩して、いっつも負けてた」


「……あの、人の話聞いてます?」


「それで……私は、たくさん助けられてたの」


 そう、ゆっくりと言葉にした桃の表情があまりにも優しくて、俺はつい顔を背けてしまう。


「……いや、それ話つながってないだろ」


「そんなことないよ。私が年上の人に場所開けろって怒鳴られてたときも、ブランコの立ちこぎが上手く出来なくて皆から馬鹿にされてたときも、初対面の人と上手く話せなくて気まずくなっちゃったときも……いつも、新が助けてくれた」


 そこで桃は言葉を切ると、公園の中へと歩いていった。

 それについて行くように俺も公園の中に足を踏み入れると、桃は滑り台があったのだろう場所で立ち止まり、もう一度、くるりと俺の方を振り返る。


「だからね……だから、新は、ずっと、私のヒーローなの」


 何かをかみしめるように、そう口にした桃は、俺に少し照れたようなはにかみ笑いを向けた。


 その笑顔は、今までみた事もない桃の表情で、俺にはとても魅力的に映った。

 だから、俺はそのことを悟られまいと桃から目を逸らしたまま否定の言葉を重ねる。


「……別に、お前だけを助けてたわけじゃない」


「うん、そうだね。学年が上がっていく度に新はどんどん凄くなっていって、いろんな人を助けて、いろんな人のヒーローになっていった」


「……」


「そのことが私は凄く嬉しかった。でも、どんどん新が遠くに行っちゃってる気がして、少し寂しかったの」


 そうやって語られる彼女の心情は初めて聞くものばかりで、俺はどう返せば良いのか分からずただ口を閉じてその言葉を聞いていた。


「でもね、最近気づいたの。ちょっと寂しくても、それでも、私はやっぱり誰かのために一生懸命になって、いろんな人を助ける新の方が……好きだな、って」


 好き。その言葉に何か別の意味が含まれているわけでもないのに、その言葉に俺は自分が酷く動揺しているのに気づいた。


 そんな俺の動揺などお構いなしに、桃は言葉を続ける。


「だから、さ。桜ちゃんのこと、助けてあげられないかな?」


「……聞いたのか」


 卯崎が桃に話した事に驚いて、思わずそう聞き返してしまった。


「うん。日曜日、桜ちゃんが私の家に来たときにね。お世話になるんだからきちんと説明しておきたいって」


「……そうか」


 真面目な卯崎の事だ。その様子には納得出来る。あるいはそれも、桃の性格によるところがあるのかもしれない。


だが。


「悪いが、それには答えてやれない」


 俺の回答はすでに決まっていた。


「……どうして?」


「俺じゃ力不足だからだ。俺じゃあこの問題を解決できない」


「そんなこと……」


「あるんだよ。俺にはこの問題の解決策も、卯崎の両親と正面切って話し合えるだけの理性もない。……なにより、俺は部外者だ。ましてや誰からも頼まれてないこの状況で俺が卯崎を助けようと動いたって、逆効果になりかねないんだよ」


 つぼみさんはあの時、俺を拒絶した理由を深くは言わなかった。だが、恐らくこれがそうなのだろう。


 結局、俺は、俺の助けは誰からも望まれていないのだ。自分の善を振りかざす自己満足の救いは、他人の家庭事情に踏みいる理由には決してなり得ない。そんなもの、相手にとっては良い迷惑だ。


 つぼみさんの言っていた、正しいだけじゃどうにもならないこと、と言うのはそういうことなのだろう。俺のやり方で救えるものもあれば救えないものだってある。今回は後者だった、それだけの話だ。


 だが、俺の言い分は桃には受け入れられなかったようで、桃は俺の言葉にふるふると首を振った。


「そんなのおかしい……おかしいよ」


「……いや、別におかしくはないだろ」


「ううん、おかしいよ。だって新は、いつも自分には無理だとか、出来ないとか、そんな事考えないで助けようとしてるもん」


「それは昔の話だろ。……今は、違うんだよ」


 昔はそれで良かったのかもしれない。なにも考えずに、ただ目の前の人を助けようとするだけで何とかなっていたのかもしれない。

 でも、それだけでは足りないのだ。それでは結局、無意識のうちに人を傷つける事になってしまうと気づいたから。


「今も昔も変わらないよ。だって、だって――」


 それでも、そんな俺の言葉に、桃はさらに否定を重ねる。


「いつも、自分が正しいと思うことに、それ以外に何の理由もないのに真正面からぶつかっていって、それで結局みんなを救っちゃう。……それが、私のヒーローなんだから」


「……」


 その言葉は酷く主観的で、とても説得力などありそうもない言葉だった。

 それなのに、その言葉に俺はなにも言い返せないでいた。


 私のヒーロー。その言葉は、とても重い響きに感じて、それを聞く度に胸の奥から熱のようなものがわき上がってくるのが分かる。


 そして、それが俺に問うてくるのだ。お前はそれで本当にいいのかと。


「それにさ、さっき新は誰からも頼られてないって言ってたけど、それは違うよ。……だって桜ちゃん、きっと無理して笑ってるから」


 その言葉に息を呑む。

 そうだ、ここ数日の卯崎の微笑みは、全てを隠して自分のうちに秘めてしまおうという、初めて会った頃の、あの微笑みだった。


 それにも気づかず、こんな所まで引きずってしまった自分に嫌気がさす。


「桜ちゃん、ほんとは言いたいけど我慢してるんじゃないかな。きっとここで新に迷惑はかけられないって思っちゃってるんだよ」


 その桃の言葉は俺を納得させるのに十分だった。あいつはそうやって、肝心なところで人に頼る事が出来ない。だからそれが出来るようになりたいと言っていたのだ。。


「……だから、あとは新がどうしたいか、だけだよ」


 なら、俺がその背中を押してやらなきゃいけない。


 桃の言葉への答えは決まっていた。


「すまん。ちょっと行くところが出来た」


「……うん」


「それと、悪いんだが卯崎にお前の家に来るように伝えておいて欲しい」


「分かったよ」


「……すまん。助かった」


 それだけ言い残して、俺は思い出の公園をあとにした。

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