第20話 依頼去って、また依頼
なんとなく微妙な雰囲気になってしまった俺たちは、かといって何か会話をして空気を変えようとするわけでもなく、居心地の悪い時間を過ごしていた。
「そろそろ帰りましょうか」
そう卯崎が言ったのは下校時刻より三十分も前のことだった。それに対し俺は軽くのびをしながら答える。
「ああ、そうだな。今日はもう依頼者も来ないみたいだし」
今日は久しぶりに屋上で時間を潰そうかと考えながら鞄を持ってソファから立ち上がり、部屋を出ようとしたときだった。
コンコンと、ドアが叩かれる音。
「……どうやら、まだ帰れないみたいだな」
「そのようですね」
卯崎のどうぞ、という声とともにドアを開けてやると、そこにいたのは青のリボンタイをつけたショートカットの女子生徒。どうやら先輩、高三の生徒らしい。
「えっと、ここで恋愛相談を受けてるって聞いたんだけど……」
「はい、あってますよ」
遠慮がちに尋ねられた声に肯定で返す卯崎。
「あの、こういうのが恋愛相談って言うのかは分からないんだけど……」
それを聞いたショートカットの先輩は遠慮がちに、おどおどと自分がここに来た目的を話し始める。
「別れさせて欲しい人たちがいるの」
***
とりあえず落ち着いて話の詳細を聞こうと、先輩を中に入れ、ソファに座らせる。
「まず尋ねますが、三年五組の奥沢瞳先輩であってますよね」
「うん。あってます」
「誕生日は十二月三日。所属部活は陸上部、ただしマネージャー。同じく陸上部部長の宮本孝と幼馴染み」
「あ、あってる……」
そこまで把握されてるとは思わなかったのか、引きつった表情の奥沢先輩。でもこれで終わりじゃないんだよなあ。
「趣味は……」
「先輩が引いてるからその辺にしとけ」
俺は卯崎の暴走を止めてそのまま奥沢先輩に向き直る。
「それで奥沢先輩。別れさせて欲しい人がいると言うのは?」
そして本題――先輩の依頼内容についての詳細を聞こうと尋ねる。
「あ、ご、ごめんね。その言い方は正しくなかったかも」
「正しくない、とは?」
「正確に言うとまだ付き合ってるわけじゃないんだけど、たぶん両想いというか……」
「なるほど。つまりその二人の仲を引き裂いて欲しいと?」
得心した様子で言ったのはもちろん卯崎。相変わらずこいつはオブラートに包むというのを知らなさすぎる。
案の定奥沢先輩は存外だというように目を丸くした。
「え!? え、えっと、そこまでじゃないんだけど。そ、その、二人が付き合わないようにして欲しいというか……」
「ふむ……」
付き合わないようにして欲しい、か。これまでの依頼とはずいぶん毛色の違う内容だ。卯崎もどう扱うのか悩んでいるだろうと思いながらちらりと見やると、その予想に反して平然とした様子で奥沢先輩と向き合っていた。
「ちなみに、その相手というのはどなたなんですか?」
「……えっと、陸上部部長の孝、宮本孝と、副部長の三浦可憐ちゃん」
やや間があってから出された名前に、至極単純で俗な推測が頭に浮かんできてしまう。
「……念のために聞いておきたいんですが、どうして二人に付き合って欲しくないんですか?」
俺がそう聞くと、先輩は視線をこちらに合わせないまま話し始めた。
「その、二人とも陸上選手として凄い才能を持ってるの。全国も狙えちゃうくらい。もちろんマネージャーだからとか、二人の友達だからとか、そういうひいき目を抜きにしてね。それで、次の大会が三年生の最後の大会で、皆あの二人に凄く期待してるの。でも、最近二人ともあんまり練習に身が入ってないみたいで、それで……」
「その二人が恋にうつつを抜かしているのが原因なのではないかと」
先輩の言葉を引き継ぐように言ったのはまたしても卯崎。だが今度は先輩はその言葉を否定しなかった。
「……うん。少なくとも大会が終わるまではあの二人に付き合って欲しくないの。部のためにも」
そう言い切った眼差しはやはりこちらを見てはいなかったが、強い意志がそこにあることを感じさせた。
だが、この依頼は果たして受けても良いものなのだろうか。この場合の依頼対象は相談者の奥沢先輩本人ではないし、先ほど先輩自身が言ったようにそもそも恋愛相談と呼べるのかすらも怪しい。
どうしたものかと悩んでいると、卯崎はすでに結論を出したのか、先輩に向き直っていた。
「分かりました。その依頼、受けましょう」
「え? い、いいの?」
まさかいいと言われるとは思わなかったのか、驚いたように聞き返す奥沢先輩。
「ええ。宮本先輩と三浦先輩の恋慕が原因で陸上部全体に影響が出る可能性があるというのなら、それは恋愛関係が引き起こしたトラブルということ。立派に恋愛相談と言えます」
言い切って、俺を見る卯崎。
「先輩も、それでいいですよね」
「……どうせ俺に拒否権はないからな。卯崎がやるって言うなら付き合うよ」
「では、決定ですね。……奥沢先輩、この依頼、私たちが必ず解決します」
「……うん、ありがとう」
そう言って、奥沢先輩は俺たちに深く頭を下げた。
本音を言えば、俺は卯崎がこの依頼を受けるとは思っていなかった。正確に言えば受けて欲しくなかった、か。
たった二度だけだが、卯崎が依頼を解決しようと――相談者の恋愛を成就させようとするその姿勢は、少なくとも俺から見たら真摯で誠実なものだった。
だから、今までとは逆、誰かの恋慕を壊して否定するような依頼を受けるとは思えなかったのだ。
……いや、それも正確じゃないな。俺はそう思っていたのと同じくらい、心のどこかで卯崎がこの依頼を受けると確信していた。
『恋愛の定義って、何だと思いますか。恋愛は、善ですか。それとも、悪ですか』
一般的な話をするならば。世間では恋愛は美しくて正しいものだと信じられている。その正しさは証明するまでもなく正しいものなのだと、そう信じて疑わない。
ならば、その正しさを疑うと言うことは。それは恋愛は正しくないのだと、美しくないのだと、そう主張していると言うことなのではないか。
そう。卯崎桜はあの時、俺に聞くまでもなくその答えをすでに自分の中に持っていたのだ。
恋愛は悪だと、きっと彼女は俺と出会う前からそう信じていたのだ。
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