第17話 言えない秘密、知らない秘密

 つぼみさんの車は遠くから見てもよく目立つ、メタリックブルーのスポーツカーだった。え、毎日この車に乗って仕事行ってるのこの人? なんかすごいかっこいいんですけど。


「新君ってお家はどの辺なの?」


 つぼみさんに促されて助手席に座った俺が自分の家の場所を簡単に教えると、「うわっ、ほんとに遠いね。ていうか隣町じゃん!」とテンション高めに言葉を返された。そんな興奮するようなこと言ってないと思うんだが……。


「……なんつーか、かっこいい車に乗ってるんですね」


 俺の家に向けて車が走り始めてからしばらく。親睦を深めたいと行ってきた割には機嫌良く鼻歌を歌いながらハンドルを握っているだけのつぼみさんに俺はそう話しかけた。


「お。この子の良さが分かるとは、君、なかなか良いセンスしてるね。おねーさん気に入ったぞ」


 つぼみさんはまっすぐ前を向いたまま冗談を飛ばしてくる。


「あはは……ありがとうございます。こういうの、趣味なんですか?」



「ん、まあね。ちっちゃい頃からかっこいい物好きだったんだよね、私」


「確かに、ファッションとかも、だいぶかっこいい系ですよね」


 つぼみさんが着ている系の服って、女性だと上手く着こなせる人は少ないような気がする。それでもこの人はしっかり似合ってるんだけど。


「ま、家族にはあんまり受け入れてもらえてないんだけどね。そんな男勝りな趣味だからいつまで経っても恋人の一人も出来ないんだー、ってね」


「でも、つぼみさんってモテそうに見えますけど。いやお世辞とか下心とかそう言うのじゃなく」


「うん、まあ、私はそれなりにモテてると思うよ?」


 変わらずまっすぐ前を見たまま、つぼみさんはためらいなくそう言った。


「今までそれなりに告白もされてきたし、何より美人だしね、私」


「ず、ずいぶん自信満々に言うんですね。まあ事実だとは思いますけど……」


「でも私は今まで誰とも付き合った事は無い。何でだと思う?」


「……好きな人がいるから、とかですか?」


「ぶっぶー。ざんねーん、はずれ」


 つぼみさんは楽しそうに笑ってから続けて口を開いた。


「今の私は仕事が恋人だし、何より、桜がいるからね」


「卯崎、ですか」


「そ、あの子を引き取ったのは私の希望だからね。だから見捨てるわけにはいかんのですよ」


 引き取った? どういうことだ?


「あ、あの、つぼみさん。卯崎を引き取ったって」


「ねえ、新君」


 俺がつぼみさんにその言葉の意味を聞こうとしたのを遮って、つぼみさんは俺の名前を呼んだ。


 そして、その口から紡がれた言葉は。


「恋愛の定義って、なんだと思う。君は、恋愛に善悪はあると思うかい?」


 俺と卯崎が出会ったあの日、卯崎から聞いたあの問いとほとんど同じものだった。


「……さあ。善か悪かなんて、俺一人の裁量で決められることじゃないですよ。人にはそれぞれ、価値観ってもんがあるんですから。恋愛の定義なんてそれこそ、俺には分かりかねます」


 俺はあのときと同じような答えを返した。


 俺のその答えを聞いたつぼみさんは静かに微笑んだ。その笑い方は、どことなく卯崎のあの自然な微笑に似ていた。


「……そうだね。私もそう思うよ。恋愛は感情だからね。感情は言葉では表現しきれない。曖昧なものなんだよ。けどあの子は……桜はそれを許容しない。あの子は、恋愛は確固とした善か悪か、そのどちらかでしか無いと思っている」


「そうみたいですね」


「私は桜の保護者だから、桜が何をしているのかは大体把握してるつもりだ。本人は気づいていないと思っているみたいだけどね。……ねえ新君。君は桜に付き合っていろいろ手伝ってあげてるみたいだけど、それはどうしてなんだい?」


 つぼみさんは車に乗ってから初めて、横目で俺を見ながらそう尋ねた。


 俺は心の中で、やはりこの人は卯崎に似ているな、と感じながらこう答えた。


「……なんというか、成り行き、みたいなもんですかね」


「ふーん、そっか。優しいんだね、新君って」


「いや、そんなんじゃないですって」


 つぼみさんの言葉をはっきりと否定する。大体、俺が今卯崎に付き合っているのだって、卯崎に脅されたから仕方なくやっているだけに過ぎない。


 しかしつぼみさんは、俺の言葉をさらに否定するように言葉を発した。


「いや、あえて言うよ。君は優しい。いっそ残酷なくらいに。しかも君はその残酷さをよく理解している。そして理解しているが故に、板挟みになって身動きがとれないでいる。……そういうところに、きっと桜は惹かれたんだろうね」


「いやいや、身動きとれないところに好意を抱くって、それどんな変人ですか」


「それはちょっと違うかな。あの子が君に抱いているものは好意じゃない。あれは多分同族意識とか、そう言う類のものだ。同族だから、自分の秘密を話しても良いって思えたんじゃないのかな」


「……同族、ですか。共通点なんてないように思えますけど」


「それは桜が上手く隠してるからだ。……本当にあの子は隠し事をするのが上手くなった」


 つぼみさんは一瞬寂しそうに笑うと、気を取り直したようにハンドルを握り直した。


「さて、そろそろ新君の家も近くなってきたことだし、最後に一つだけ、おねーさんから特別にプレゼントをあげようじゃないか」


「プレゼント、ですか。何をくれるんでしょう」


「卯崎桜の秘密」


「なっ……」


 つぼみさんの言葉に、俺は絶句した。


「といっても少しだけだよ。プライバシーに関わることだからね。それに一度しか言わないからよく聞いておくように」


 何も言えないでいる俺にそう忠告したつぼみさんは軽く息を吸うと、これまでに無いほど真面目な声音で、話し始めた。


「今から一年前の四月のある日、桜の両親は同時に蒸発した。それ以来どちらとも連絡は取れないまま、桜の面倒を誰が見るかで親族同士かなり揉めて、結局いとこの私が引き取ることにした。……それから、あの子は貼り付けた薄っぺらい笑顔ばかり浮かべるようになってしまった。今みたいに『恋愛』にこだわるようになったのもその時からだ」


 つぼみさんが一息で語ったのと同時に、車が俺の家の前で止まった。


 車から降り、つぼみさんに軽く礼を言った後、去って行く青いスポーツカーを見送る間、俺の頭の中でははさっきの言葉がぐるぐると回り続けていた。


 俺が卯崎に話していない秘密があるように、卯崎にも俺に話していない秘密がある。


 そんな当たり前の事実を、俺は今更思い知ったのだ。

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