第246話 毒

日付は変わって翌日の山宮学園本校舎、2-2クラスにて。

今日も変わらず授業が始まり、授業が終われば課題の山を片付ける作業がやってくる。そして実地訓練を想定した異能演習を受けるまでが流れだ。


しかし、レベル1クラスだった面々は午後にもなれば既に余裕の色など消え失せ、演習では涼しい顔で課題をこなす他の面々に大きく差を付けられている。


その中でも特に出遅れが顕著なのは新とひかりだ。

異能演習では二人共に事実上のリタイアという形で途中退場し、演習の代わりにレポートを書くことで何とか場を凌ぐことになった。因みに、直人は異能を使えないことは周知の事実になっており、異能演習は代替のレポートで処理するのが日課だ。


そして今日も満身創痍で走り抜ける一日のカリキュラムが終わった。


「もうダメだ、おしまいだあ⋯⋯」


ホームルーム終了後の教室でそんなことを言いながら伸びている新に下敷きをパタパタと扇いでいるのは瀬尾真理子。しかしそんな彼女もギリギリの状態だった。


「辛いですね⋯⋯山宮学園の本当の怖さを見た気がします」


そんな真理子にふと新は言った。


「思ったんだけどさ。去年までの工藤って、もしかして俺達を守るためにレベル1クラスの担任をやってくれてたのかな?」


「工藤先生が?」


「だって俺達が受けてた授業ってレベル1クラスのために用意されてたんでしょ? 噂で聞いたんだけどさ、去年までのレべル1の授業ってクラスを担当している担任が全部一から作らないといけなかったんだって」


今新たちが受けている授業が本来の山宮学園のカリキュラムだが、昨年までのレベル1クラスはそれより遥かに難易度を落としたものだった。新はその授業の内容も全て雪波が考えて作っていたものだったのではないかと思ったのである。


「教室も校舎の隅にあるボロい教室だったけどさ、あれも他のクラスの奴らから引き離して、俺達を守るためだったんじゃないかって気がするんだ」


「確かに⋯⋯そうだったのかもしれないです」


そう頷く真理子。

すると新はか細い辛うじて聞こえるくらいの声量でポツリと漏らした。


「⋯⋯帰りたいな」


その場に居る元レベル1クラスの面々、真理子、健吾、直人はそれを聞いて彼の言いたいことは自ずと理解した。去年まで脱出したいと思っていたはずのレベル1クラス教室すら”帰りたい場所”になるほど新に取って今の環境は辛いのだ。


だが、その声を嘲笑う様な何者かの声が聞こえてきた。


「そんなに苦しいんなら帰れば? お前らにお似合いの底辺にさ」


やって来たのは大本淳だ。

見ると男女数人の連れもいる。彼らは皆レベル4クラスのメンバーで、この教室の中でもリーダー格になっている集団だった。


「でももうその底辺もないんだよな。じゃあいっそ退学すれば?」


ポケットに両手を入れて肩をゆらゆら揺らしながら新に近づく淳。

その行動は新にとっては威圧的に映ったようだ。新は少しだけ身を引く。


「マジでさ、君たちいつまでここにしがみついてるつもりなの? 真面目に上を目指してる俺達にとって君らはハッキリ言って邪魔なんだよね」


淳のその言葉にムッとするのは健吾。

健吾は返すように言った。


「僕たちだって上を目指してるよ!」


健吾が返したそれに淳が返したのは、腹も千切れんばかりの大爆笑だった。

彼だけでなく取り巻きの面々までもが愉快痛快とばかりに笑う。それは言わずもがなレベル1クラスの面々に対しての侮辱そのものの行動だった。


「お前らが!? 上を目指す!? 笑わせんじゃねえよ!! もう選別はとっくの昔に終わってんだよ!! 俺らは勝者で、お前らは負け組! 俺らはエリートDHになって、お前らは永遠に俺らのお茶汲み係!! お前らはもう上を目指す資格なんか失ってんだよ!! 自分らの現状も分かんないのかよカス共!!」


ヒャハハハハハハ!!と大笑いする淳。

と、その時だった。


「⋯⋯おい、もう一ぺん言ってみろ」


ゴトン、と椅子の動く音と人が立ち上がる音がした。

立ち上がったのは新だった。彼の白く変色した拳は力いっぱい握りしめられている。


「俺達だって⋯⋯」


「あ?」


「俺達だって⋯⋯!!!」


振りかぶった拳が宙を飛ぶ。

反射的に目を覆う真理子。蛮行の予感を察知し新を抑えようとしたが間に合わなかった健吾。頭に血の昇った新の怒りの拳が一切の手加減なく放たれた。


「立派なDHになりたいんだよ!!!!」


そして新の鉄拳が淳の顔に突き刺さる。

クラス中が騒然とする中、その一撃を浴びた淳は吹き飛んで地面に倒れた。潰れた淳の鼻からは滝のように鼻血が流れ、前歯は何本か折れているようだ。


「お、お、お、俺え⋯⋯!!」


すると淳は自分の腫れあがった顔に手を当て、手に付いた血を見るや叫ぶ。


「親父にもぶたれたことないのに!!!」


先程までの威勢は何処へやらその場で大泣きし始める淳。

対して新はアドレナリンで呼吸が荒くなり、淳を殴った時の衝撃で手から血が流れていることすら気付いていない。


だがそんな中、一人の声が教室中を木霊した。


「大本が殴られた!!!」


その声は淳が連れていた取り巻きの一人からのものだった。

彼はさらに続ける。


「殴ったのはレべル1の奴だ!!!」


すると教室だけではない。廊下側の教室外の方がにわかに騒然とし始める。

そして教室のゲートが自動で開き、外から和美を先頭にして声を聞きつけたと見える教員たちが次々と入って来た。


「ああーこれは大変なことになったねえ」


血まみれで倒れる淳を見てそう呟く中年男性は、今年も2年生の学年主任で2-3クラス担当の大吹博だ。そして2-4クラス担任となった白野マコに続いて入るのは、2-5クラス担任の工藤雪波である。彼女はその光景を見るなり新に言った。


「向井⋯⋯貴様大変なことをしでかしてくれたな」


額に青筋を浮かべる雪波を見て新はハッと我に返った。

倒れる淳と自分の拳を見て現状に気が付いたか、新は弁明を始める。


「ち、違うんだよ先生!! 全部こいつが挑発してきたのが悪⋯⋯!!」


「それでもお前が大本に怪我を負わせたという事実は変わらん!!」


新の声を遮る雪波の怒声。それに思わず怯えるように縮める新。

1年生の時に幾度となく雪波に怒られた彼だからこそ分かるのだろう。彼女の怒りは今までの彼を諭すようなそれではなく、本当に怒っているが故の言葉だと。


「ど、どうしますか大吹先生⋯⋯」


白野マコがオロオロしながら大吹に尋ねる。

すると大吹は彼女に言った。


「白野先生。取り敢えず大本君を治療してあげて」


マコは淳に駆け寄ると治癒異能を発動する。

流石に手練れの異能力者なだけあってマコの異能で淳の潰れた鼻はみるみる元の形に戻っていき、折れた歯は寸分狂わず接着されていく。そして30秒ほどで淳は完全に元通りになった。


「念のため大本君は医務室に連れて行きましょう。白野先生、大本君に付き添ってあげてください」


和美の言葉で教室の外に連れ出される淳。

マコ共々彼が外に出るのを見送った後、今度はドタバタと別の足音が表から聞こえてきた。するとそれを聞いた大吹は雪波に言う。


「どうやら他の学年の先生方まで来ちゃったみたいだねえ。工藤先生、外に出て対応してもらえる?」


「分かった。全く⋯⋯レベル1と聞いてやってくるとはハイエナのような奴らだ」


そうブツブツと言いながら彼女が外に出るや、防音仕様になっているはずの教室入り口のゲートを貫通するほどの大声で外の他学年の教員たちと雪波の言い争いが聞こえ始めた。どうやらやって来た教員たちは、上位クラスの人間がレベル1の人間に危害を加えられたことは学校の秩序に関わるため看過できないと主張しているようだ。


それに対してもうクラス別のレベル差はないと主張し、これはクラスの問題で学校全体の問題ではないと言い張り続ける雪波。だが議論は中々収集が付かなそうだ。


そんな中、和美は新に言った。


「向井くんは生徒指導室まで来てください。少しだけお話があります」


対して新は血の気が引いた顔で頷きもせず立っている。


「せ、先生⋯⋯俺、どうなっちゃうんですか?」


今にも恐怖で吐きそうな様子の新。

すると大吹が新に言う。


「下位レベルの生徒が上位レベルの生徒に危害を加えた場合は、これ即ち除名処分とする。これが去年までの決まりだったねえ」


青色を通り越して土色になる新の顔。

だが和美はそれに返した。


「今はクラスごとのレベル差は無くなっています。今回の一件もあくまで規則上は単なるクラス内での揉め事と見なされますから、重い処分にはならないはずです」


今回のトラブルの最大の争点は、今までのレべル差に言及して新を除名にする措置を取ろうとするであろう人間と、新しい規則に基づいて新を守る選択をする人間との間でどちらが勝つかの問題とも言えた。


すると大吹は新に言う。


「向井君。大道先生とのお話が終わったら、そのまま家に帰るんだよお」


「⋯⋯はい」


「それとお、後で君の処分の内容が分かるまで学校にも来ちゃダメ」


それは大吹の独断による停学措置にも等しいものだった。

和美が大吹に何か言いたそうに口を開きかけるが、それを見た大吹は言う。


「”結果”が出るまで向井君は学校には呼べないよお。だってこれに加えてまたトラブルが向井君絡みで起きたら、流石の僕らでも庇えないからねえ」


新の処遇が決まるまで彼を学校に来させない理由は、これ以上新に不利な条件を加えたくないためと主張する大吹。それは暗に今回の件について大吹は新に味方するという意思表示をしたようなものだったが、新はそれに気が付かなかったようだ。


「では向井君、私に続いて来てください」


荷物を纏め、意気消沈したまま外に出ようとする新。

だが教室を出る間際に健吾と真理子、そして直人に彼は言った。


「⋯⋯ごめん皆」


健吾は「すぐ学校に戻れるよ」と励ますように言い、真理子は「きっと大丈夫です」と言葉をかける。だが内心彼らも新に大きな不安を抱えていた。


そして教室を出ていく新。

いつになくその背中は力なく悲し気なものに映った。



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新の暴力事件は学校でも瞬く間に広まり、多くの人が知る所となった。

そして気になるのは新の処分の内容だが、それはすぐに行われる教職員会議の結果で決まるということになっていた。


「どうせ除名だよ。レベル1が暴力沙汰を起こしたときはいつもそうだったし」


「だよね。上位生を殴るとかレベル1のくせに馬鹿な奴」


「さっさと追い出せばいいんだよ。そいつだけじゃなくて、他のレベル1も全員さ」


山宮学園ではこういった意見が大多数を占め、生徒間で交わされている。

クラスをミックスされたことで一時的に抑えていたはずの”格差意識”が再び学校内で芽生え始めているのを直人たち元レベル1クラス生は実感せざるを得なかった。


しかしその最中、ある人間だけは周りの喧騒をよそに静謐な心持ちで佇んでいた。


その人間の心は無そのもので怒りも憎しみも感じない。それは幼い頃からの調教によって引き起こされる人工的な無であり、彼は全ての心の乱れを不要と捉え切り捨てるように教育されている。


緋原柊。彼はどこまでも空っぽな人間だった。

だがその真っ白な心に見合わぬ強さを併せ持っている人間でもあった。


だが彼には、彼自身もまだ知らないもう一つの秘め事がある。

それは彼の頭の中に電極が埋め込まれており、脳内を通じて思念信号を第三者が彼に向けて送ることが出来るというものだった。


『⋯⋯⋯緋原柊さん』


誰かが何かを言っている。空想ではなく確かな声として柊はそれを認識した。

だが実際は柊の頭の中にある電極が受信した信号が変換され、彼の脳裏に響く幻聴のような形で彼の中で聞こえているのである。しかし信号の主が誰かは分からない。


『貴方は強い。私が何年も前から”発注しておいた”貴方は私の望む通りに育てられ、ここまでやってきてくれました』


柊は言葉を返さない。

ただ、それを聞くだけである。


『山宮学園は変化の時を迎えています。貴方は、私が来るべき変化の時のためにずっと用意していた布石。学校の真の格差是正のための刺客なのです』


信号を送るその存在はそんなことを雄弁に語っている。

だが柊がその言葉の意味を理解することはない。いや、そもそも意味を理解する必要もないとあらかじめ教え込まれていた。彼はただ、声の主が誰なのかも気にすることなく声を聞くだけである。


『レベル5クラスを頂点としこの学校は5つのレベルに分けられています。しかし、所詮レベル5以外のクラスは『二番手以下』に過ぎず、トップではありません。つまりレベル4以下は例え上位クラスではあっても、”強者”になってはならないのです』


信号を通じて送られる声はなおも続く。


『にもかかわらずプライドだけが増長し、レベル4以下の多くは己が強者ではないにも関わらず神になったかのように下位クラスを虐げる者が巣喰っています。これは私の望む山宮学園の姿ではなく、何としても是正しなければなりません』


周りは有象無象がたむろする普通のクラスの光景が広がっている。

だが柊だけは、その全てに耳を貸さず脳裏の声に耳を傾け続ける。


『レベル4以下は皆等しく弱者。そんな当たり前のことを思い出させるためには、強力な毒薬が必要です。では誰がその毒の役を担うべきか⋯⋯そう、貴方です』


言葉は全て信号から音となって柊の頭に響く。

そして声は続く。


『毒は山宮学園だけでなく大和橋高校にも仕掛けておきました。もうそろそろ、あちらの”毒”が回り始めても良い頃ですね⋯⋯』


そんな声と共に掠れた笑い声が聞こえてくる。

先程まで男女の判別のつかない声に加工されていたが、今聞こえてきたそれは明らかに女性のそれだった。


『何を為すべきかは信号を通じて貴方に教えます。山宮学園をあるべき姿に変えるため、これから貴方は毒となるのです』


その言葉を最後に信号は途絶えた。

だが柊はただ一人佇み、”為すべき事"を知る。


「⋯⋯了解」


そして一人呟いた。

信号を通して彼は、自身の使命を全て理解したのである。


その一言を最後に何も話さなくなる柊。

内に隠し持った毒を誰にも見せぬまま、再び緋原柊はありふれた日常に溶け込んだ。

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