第162話 罪の果てに
ここは東京にある難民施設。
普段は違法に入国した他国の難民などを収容している施設で、稀に異能によるワープで移民が日本にやって来た場合は確保し次第、ここで待機させるのだ。
そのためこの施設は転移異能が絶対に使えないように厳重な警備がされている。
そんな殺風景な施設の一室に彼女は居た。
豊かな金髪に端正な顔立ち。しかし、彼女の顔は暗い。
その少女、ジャンヌ・ルノワールはフランスに送還されることが決まった。
彼女は紛うことなき違法入国者であり、正式な手続きが完了した時点で直ちに日本を離れることになる。
部屋の中からうっすらと見える太陽の光をジャンヌは見る。
彼女がいる部屋にはネズミでも通れない程の小さな換気口があるだけだ。
「パパ⋯⋯」
ドン・ファーザーは死亡が確認された。
もう自分を育ててくれた父は居ない。その事実がジャンヌの心に影を落とす。
すると、ジャンヌがいる部屋の扉を誰かがノックする。
そして外から誰かが入って来た。
「ナオト!」
「間に合ってよかった。君に渡したいものがある」
現れたのは直人だった。
彼が大会を欠場してまでここにやって来たのには訳がある。
彼女がフランスに強制送還になるという話を聞いた直人は、大会の場を離れてこの施設を訪れていた。因みにマキが裏で根回ししたことで手に入れた許可証と、これまたマキが作った別人のマスクを使って直人はここに侵入することに成功した。
すると直人は、ジャンヌに古びた古紙を一枚ポケットから取り出す。
そこには手紙のように長文が書かれていた。
「これは?」
不思議そうに紙を見るジャンヌに直人は言った。
「とある人から、自分の代わりに君に渡してほしいって言われたんだ。俺もこれが何なのかを良くは知らない」
その言葉は半分嘘、もう半分は本当だった。
古紙を受け取りそこに書かれた内容に目を通すジャンヌ。すると彼女は叫ぶ。
「この筆跡はパパの字だわ!」
そう、この字はドン・ファーザーのものだった。
それは言うなら、彼がジャンヌに遺した遺書といえるものだろう。
では何故、直人がそんなものを持っているのか。
それは彼が昨晩の死闘を終え、自身が宿泊している部屋に戻った時のことだ。
部屋の玄関に辿り着いた直人が見たのは、古びた一枚の紙。
それを拾う直人。するとそこには表面と裏面にそれぞれ英語とフランス語で、全く異なる内容が書かれていたのだ。
幸い両方の言語に心得がある直人はその手紙に目を通す。
するとすぐに直人はその古ぼけた紙がとんでもないモノであることに気が付いた。
「ドン・ファーザーが持っていた『ラミアの予言』か!?」
行方が分からなくなっていたもう一つの予言。ドン・ファーザーが盗み出したと言われていた予言が落ちていたのだ。
だが一体誰がそんなものをここに置いたのか。持っていたのはドン・ファーザーだったのだから、当然ここに持って来たのも彼のはずだ。
「そういえば⋯⋯」
ここで直人は思い出す。
一度だけドン・ファーザーがここにやって来たことがあった。そしていくつか直人と言葉を交わした後に、彼はここを去っていったのを思い出した。
直人は気づく。
もしやあの時にドン・ファーザーはこの部屋に予言書を置いたのではないか。
そもそも彼は、予言書を直人に託すためにここに来たのではないかと。
恐らく予言書には非常に高度な認識阻害異能が仕掛けられていたに違いない。
だから直人でも、意識していない状況ではその存在に気が付かなかった。
だが異能力が解除され、明確な実体として現れた。それはつまり術者が異能を解いたか、完全に生命機能を停止したかのどちらかだ。恐らく今回の場合は⋯⋯
「死んだから⋯⋯か」
そして直人は予言の裏面を見る。
達筆なフランス語で何かが書かれているが、内容は予言とは関係がなさそうだ。
内容を読み進める直人。そして全てを読んだ末に彼は全てを理解した。
裏に書かれているのは、ドン・ファーザーのジャンヌへの遺書だと。
そんな経緯があった末に直人は、ジャンヌの元を訪れていたのだ。
因みに今回直人がジャンヌに渡したのは正確には予言の原本ではなく、予言の箇所を削除した予言書の精密な複製だったりする。
その一連の細工をしたのはマキだった。
「俺はそれを渡しに来ただけだ。それじゃ⋯⋯」
そう言って部屋を出ようとする直人。彼にはまだ行くべき所があった。
しかしそんな彼の腕をジャンヌの手が掴んだ。
「ここにいて」
腕はかなり強い力で握られている。
そこからジャンヌの強い希望の意志を感じた直人。
「⋯⋯分かった」
もしかしたら、直人にも内容を聞いてほしいと思っていたのかもしれない。
するとジャンヌは手紙を読み始めた。
『恐らくお前がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にいないということだろう。だが私の死はあの時、私が悪の道に進んだあの瞬間から既に決められていた未来。それでも私はお前には、お前にだけは私と同じ道に進んでほしくなかった。だから私は、この日本という極東の地で命尽き果てる道を選んだのだ』
更に読み進める。
『日本には私が知る限り最も強く、そして私を狙う組織に対抗しうる唯一の存在が居る。彼を除いて適任は居ない。悪の手がお前に迫った時、きっと彼なら私の代わりにお前を守ってくれるだろう』
その間、ひたすら俯く直人。
ジャンヌの顔を直接見てはならないような、そんな気がしていた。
『ジャンヌ。お前には謝らなければならないことがいくつもある。もし私の口からそれを言うことが出来れば、思い残すことは何もなかっただろう。だが遂にそれを言うことは出来なかった⋯⋯私は愚かで弱い、情けない仮初めの父だ』
直人は、既に手紙を読んで真実を知っていた。
さらに彼の端末には、マキが何日もかけて調べたドン・ファーザーの知られざる過去の詳細も届いている。だがそれを直人がジャンヌに直接告げることは出来ない。
『私にはかつて愛しい妻がいた。公的に認められた妻ではなく、愛人のような存在だったが間違いなく本物の愛が彼女との間にはあった。そして私には妻との間に娘もいた。何という神の悪戯だろうか。私はかつて娘をこう名付けたのだ。お前と同じジャンヌと』
手紙はまだまだ続く。
『だが、幸せな時間はある日突然奪われた。妻と娘は突如現れたDBに喰われ、そして私は孤独の身になった。そして怒り狂った私は妻と娘を殺したDBを倒して彼らの仇を討ったが、それでも心に空いた穴を埋めることなど到底叶わなかった。そして何もかも嫌になった。誇りだったはずの騎士王の座もだ』
彼には、公にされていない空白の時間があった。
それは彼が騎士王だった時期と、ドン・ファーザーとして再び表に現れるまでのおよそ数年の時間である。
その空白の時間のことがその先に記されていた。
『私は仕事も友も捨て、一人で欧州を彷徨った。失った心の隙間を埋めるためのアテの無い旅は何年も続き、気が付けば私は自分が何者なのかも分からなくなっていた。
そんな時、私の元に奇妙な子供が現れたのだ。両目を赤と青に光らせる子供だった』
その時、直人はジャンヌが手紙の端を強く握るのを確かに見た。
彼女もそれが誰なのかは知っている。
『今思えば私は愚かだった。その子供は言葉巧みに私を騙し、そして気が付いたときには私は幻惑の鎖に縛られていた。意志も感覚も何もかもがあやふやで、夢の世界に閉じ込められたような感覚は一体何年続いたのかも分からぬ。覚えているのは、私の体の主導権を奪われ、ずっと命令に従い続けていたことだけだ』
そして、ここから話はジャンヌと交わり始める。
それは彼がDBを使ってジャンヌの家族を襲った時の記憶だった。
『命令は単純だった。『一家を皆殺しにしろ』という命令、私はそれを忠実にこなすだけのはずだった⋯⋯お前が目の前に現れたあの時までは。自分自身の意識などとっくに消え去ったはずなのに、お前の顔を認識したその時に私は雷に打たれたような衝撃を覚えた。お前の顔は殺された私の娘、ジャンヌと生き写しだったのだ』
隠し持っていた端末で、マキからの報告データを見る直人。
そこにはかつてドン・ファーザーとその愛人の間に生まれた娘と、幼少期のジャンヌの写真がある。その二人の顔は、まるで双子のようにそっくりだった。
『あの子は私の娘の生まれ変わりなのではないか。そう思った時私の体はあの悪魔、ザラキエルの支配下から逃れていた。魔眼の力を何故打ち破れたのかは私も未だに分からない。だがジャンヌ、間違いなくお前が私を救ってくれたのだ。しかし私は既にお前の両親を殺してしまっていた。例え魔眼の影響を受けていたとしてもその事実だけは永久に揺るがない。お前の両親を殺したのは、私だ』
ジャンヌの手が震えている。
一体何の感情が彼女をそうさせているのか。
『気が付いた時私はDBを殺し、お前を連れてあの悪魔の元から逃げていた。それを罪滅ぼしなどと言う気はない。ジャンヌよ、私がお前の両親を殺しお前を孤独にしてしまったあの瞬間から、私はお前を育てるために全てを捧げると神に誓った』
そこからは、彼とジャンヌとの束の間の思い出が綴られていた。
そして何度もザラキエルの送ったゾンビを倒し、そのたびに自分の血塗られた過去とそれをジャンヌに知られてしまうことが恐ろしかったとも書かれていた。
だがそれはまるで、かつての娘との失われた時間を取り戻したようであったとも綴られていた。そして手紙は終わりに近づいていく。
『しかし何年経とうと、お前の両親を殺したことは私の心の中でずっと重くのしかかっていた⋯⋯だから私は全てに終止符を打つことにした。ジャンヌが一人前の16歳になったその時に私は命を捨てて奴を殺すと決め、予言を盗みそしてザラキエルに勝負を挑んだ』
それがフランスで起きたザラキエルとドン・ファーザーの一騎打ち。
そしてその結末は⋯⋯
『私はザラキエルに敗北した。私は奴に胸を貫かれ、そこで絶命したはずだった』
ここで直人は初めて伏せていた顔を上げる。
そして手紙を彼自身の眼で見つめた。
その眼光は今までのそれとは違う鋭い光を放っている。
『だが私は生きていた。なぜ生きているのか、死ぬことがなかったのかは分からない。恐らく私が真実を知ることは無いだろう。唯一覚えているのは虹色の光り輝く光のみ。そして私は胸に穴が開いてもなお生きる『半ゾンビ』の姿で蘇生を果たした。ジャンヌよ、願わくばこの時の謎をいつか私の代わりに解き明かしてほしい』
直人は静かに視線を宙に向けた。
この時ドン・ファーザーが見たのは何なのか、それは直人にも分からなかった。
直人すらも知らぬ誰かが動いているのかもしれない。そんな気がした。
『そして生き残った私はもう一度ザラキエルに勝負を挑むと決めたが、同時に私の中である恐怖が芽生えた。もし私が再び奴を仕留め損なえば、今度は奴の毒牙がジャンヌに向くだろう。その可能性を考えるだけで私は恐ろしかった。だから私は、この世で最も強い男のいるこの国で全てを終わらせると決めた。もしものことがあれば私の代わりに彼があの悪魔を倒してくれると信じて⋯⋯』
そして最後は、臥龍がザラキエルに大ダメージを負わせる形で勝負は決した。
事の顛末に関しては、これで終わりだった。
そして手紙は末尾に近づいていく。
『お前が私の未来予知を好ましく思っていないことも、未来をかき乱す存在に強い興味を示していることも私は全て知っている。例え血が繋がってなかろうと、私はジャンヌの父なのだ。それくらいのことは全て分かる』
ここで僅かにジャンヌから伝わる魔力が変わったのを直人は感じた。
自分の心の内が見透かされていたことに対する動揺だろうか。
『私が未来をかき乱す存在が日本にいると感じた理由は、それだけのことが出来るであろう存在が私の中で一人しかおらず、その人物が日本にいることを知っているからだ。その者の名は臥龍といい、今もなお世界の頂点に立ち続けている』
直人は、絶対に崩れることのないポーカーフェイスを貫き続ける。
そしてジャンヌの後ろに立つ直人は、彼女が今どんな顔をしているかは見えない。
『彼には私亡き後のジャンヌを頼むと言ってある。きっと彼は快く引き受けてくれるだろう』
それを見た直人は声には出さずに『初耳だぞ』と口を動かした。
すると手紙は遂に結びの文に近づいた。
『ジャンヌ、願わくば私の罪を許さないでほしい。私のことは忘れろ、骸も投げ捨てていい。私という存在に囚われることなく自由の翼を持って思う存分生きて欲しい』
それは彼の胸に長く抱え続けた葛藤が現れた一文だった。
そして手紙は末文に辿り着く。そこには簡潔にこう書かれていた。
『ジャンヌ、お前は私の全てであり誇りだ。お前を永遠に愛している』
そんな言葉を最後に、遺書は終わった。
何も言わないジャンヌ。それを見た直人も声を出すのは憚られた。
数分ほど、静寂は続いた。
だがその後にジャンヌはポツリと呟いた。
「忘れられるわけ⋯⋯ないじゃん」
ジャンヌは涙声になっている。
「パパはいつまでも私のパパなんだから! 忘れていいなんて言わないでよ!」
手紙を胸に抱え号泣し始めるジャンヌ。
どんな過去があろうと、それでも彼女にとってドン・ファーザーは大切な父なのだ。
一人で泣き続けるジャンヌにどう接しようかと直人は一瞬迷う。だが数秒ほど間を置いた後にゆっくりとジャンヌに彼から歩み寄る。
「貸すか?」
手を広げる直人。
ジャンヌは間髪入れず直人の胸の中に飛び込んだ。
彼女の心臓の鼓動が伝わるのを直人は感じる。
胸の中でもなお泣き続けるジャンヌの肩を不器用に抱くと、ジャンヌが落ち着くまでの間直人はぴったりと彼女の傍に身を寄せていた。
もしかすると1時間くらいかもしれない。
ようやく泣き止んだジャンヌはゆっくりと直人から離れる。
とはいえ彼女が明らかに泣いていたのは30分ほどで、残りの30分は彼女が直人と一緒に居たいから顔を伏せて身を寄せていたということに直人は気づいていない。
「それは臥龍が俺に渡したものだ。彼はまあ⋯⋯『困ったことがあったら相談にのるよ』とか言ってたような気がする」
それだけ言うと、直人は部屋の入口に向かう。
すると直人と入れ違いになるようにして、フランス大使館の関係者と思わしき人影がこちらに歩いてくるのに気が付いた。
『お迎えに参りました、マドモアゼル』
どうやら出国準備が整ったらしい。
これから彼女は大使館の車に乗って空港まで向かうことになる。
だがジャンヌはここで突然直人に言った。
「臥龍ってナオトのことでしょ?」
しかし直人は半ば作業的に言う。
「違う。俺は臥龍じゃない」
「そんな分かりやすい嘘つかないで。だって全部見てたから」
ピタッと、直人の足が止まる。
ジャンヌは言葉を続けた。
「私とツバキを助けてくれたのはナオトなんでしょ? 私、知ってるから!」
するとその瞬間だった。
カッと一瞬だけ直人は自分の目を見開く。それはまるでジャンヌの心を強制的に見通すかのように。それを見たジャンヌは一瞬直人の迫力に気圧される。
そして数秒ジャンヌを見た後に、彼は元の直人の様子に戻った。
「臥龍は俺じゃない。何度言ってもそれは変わらない」
「うう⋯⋯」と声を漏らす彼女の様子を見て、直人はそれが彼女が咄嗟に言ったブラフであると確信した。
実際には、直人は五大体術のサグリとココロの技術融合によって、相手の心の中を読む高度な応用技を使って真偽を見通したのだが、直人はそれを彼女に言わなかった。
そして直人はそのまま彼女から去っていく。
心を閉ざし、ジャンヌに一切振り向かないまま。
「でも⋯⋯!!」
遠く去り行く直人を追いかけるように、ジャンヌの声が木霊した。
「それでも私はナオトが好き!!」
だが直人はその言葉にも、最後まで振り向くことは無かった。
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そこから、さらに場所は変わる。
ここはとある病院の一室。そこにいるのは八重樫慶だ。
その前にいるのは、今まさに命尽き果てようとしている姉。
中央で眠る姉を囲むようにして、彼とその家族は立っていた。
「心拍数が下がりはじめています。お別れの言葉を言ってあげてください」
主治医がそう言っていることすら、彼には夢のことのように思えた。
衰弱していく姉の前で何を言うかなど考えたことすらなかった。全身の臓器が不全状態に陥り、もう助かる見込みがないと分かっていてもそれは変わらない。
「慶。お姉ちゃんに何か言ってあげなさい」
そう促す母の頬は涙で濡れている。だが、それでも彼の口は動かない。
何を言えと言うのだ。彼女はもう自分が何を言っても分からないというのに。
消えゆく姉の魂を前に何を言ったらいいのか。彼には分からなかった。
だが、その時奇跡が起こった。
「⋯⋯慶」
何かが聞こえる。
聞いたことのない声。いやその声がこんなにはっきりと何かを口にしているのを、もう何年も聞いたことが無かったのだ。
「まさか⋯⋯そんなまさか!」
驚く主治医と看護師。
周りを囲む家族に至ってはすでに号泣し始めている。
「優勝⋯⋯おめでとう」
頭上に飾ってある1年前のスターズ・トーナメント優勝トロフィーを見ながらそう口にするのは、もう何年も自我を失い続けていたはずの姉だった。
「奇跡だ! 絶対に理性を取り戻すことはないと言われていたのに!」
そう、まさに奇跡である。
重篤な呪いの異能力を受けていた彼女はもう回復しないと言われていたのだ。
だが彼女は死の間近に自我を取り戻したのである。もしそんなことがあり得るとするなら異能を無効化したか、術者が倒されたかのどちらかしかありえない。
すると彼女は何かに気付いたように口を開いた。
「それ⋯⋯懐かしい」
「懐かしい?」と尋ねると、姉は視線で軽く目くばせをする。
姉の視線を辿っていくと、何とそこには直人に渡したはずの髪飾りが置いてあった。
「何故これがここに⋯⋯」
その時表で乾いた足音が遠ざかっていくのが聞こえたような気がした。
その足音の主は誰なのだろうか。直人は大会に出場しているはずなのに。
「付けて⋯⋯」
だがそれ以上考えることなく髪飾りを手に取ると、姉の長い髪にそれを付けた。
すると彼の脳裏に思い浮かぶかつての姉の姿がまさに目の前に現れた。
「頑張った⋯⋯んだね⋯⋯」
何故だろう、目が熱い。何故こんなにも視界がぼやけているのか。
勉強のし過ぎで視力が落ちてしまったのだろう。きっとそうに違いない。
「ずっと⋯⋯見てたよ⋯⋯」
微かな彼女のその声を、確かに聞いた。
そしてゆっくりと彼女の瞼が閉じる。
ピーと電子音が響き、脈拍を刻んでいた数値がゼロになった。
次々と家族たちが泣き崩れる中で一人立ち尽くす。全てが終わり、彼女は逝ってしまったのだという現実は彼の明晰な頭脳でも受け入れがたかった。
顔を下げられない。下げたら目にある熱いものが零れてしまう。
いつもキラキラと輝いているトロフィーがぼやけて見えない。それが視力の低下によるものではないことなど、彼はとっくに分かっていた。
「姉ちゃん⋯⋯!!」
彼は、喉が張り裂けんばかりに慟哭した。
それは彼の18年の人生で初めて流す涙でもあった。
そして病院の出口に、髪飾りを届けた張本人が現れる。
その正体はジャンヌに会った足でそのまま病院へ向かった直人であった。
そして彼は引き返すことなく再び踵を返して去っていく。ホテルにはもう戻らない。本来の居場所であるフォールナイトに向けて、彼は歩き始めた。
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