第115話 戻ってこい

ここは榊原家の総本山こと、『田園』である。

あの一件が終わり、彼らには国内外から連絡が殺到した。


といっても、『連絡』とは良い意味も悪い意味も両方である。

時間爆弾のプログラム構成を教えて欲しいというアカデミックな趣旨の内容、またいくらでデータを譲ってくれるかなどの金銭的交渉。またある人は、人の命を何だと思っているんだという趣旨の、道徳的観点に対する猛烈な苦情。


しかし、榊原家はその全てを完全に無視した。

何故ならそのプログラムを組み込んだモルモットは奪われたのだから。そして、厳重に保管しておいたはずの時間爆弾のプログラムの原本に至っては⋯⋯


「我らの異能研究に協力していた研究員たちは、全員記憶を消された状態で発見されました。また開発に使われた機器も、全て破壊されており⋯⋯」


そんな李靖の報告を、血走った眼を開いて聞く龍璽。

その様子をみる李靖は、長い付き合いであるにも関わらず身の危険を感じていた。

胸に抱えるストレスを全て発散できるならたとえ身内であろうと殺してしまいそうな、そんな鬼気迫るものを今の龍璽に感じていたのである。


「長年かけて、異能を作り続けてきたのだぞ!?」


実の娘を実験台にし、莫大な金をかけてS級異能を作り上げた。


払った犠牲と資金は限りなく大きいが、それでもこれをきっかけに榊原家の地位名誉の向上を達成できるなら何の問題もないと龍璽は思っていた。


だが残った物は使い物にならなくなった研究員と、壊された機器という名の鉄屑。

一体誰がこんなことをしたのか。もし下手人が誰なのかを知ることが出来るなら、龍璽には何億でも払う準備はあった。そして犯人を見つけだし、想像の及ぶ限りの苦痛を与えてやろうと彼は考える。


「李靖よ。榊原家総力を掛けて、我らの異能を破壊した奴を見つけ出せ!! そして犯人をここに連れてこい!!」


「はっ!! 了解いたしました!!」


龍璽の前で敬礼する李靖。

すると龍璽は机の下から端末を取り出した。


「だが最後に、私にはやるべきことがある」


そして彼は、ある人物に電話を掛けた。



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電話が鳴る。自分自身の端末の着信音だ。

そこに映る電話番号の主が何者か、彼女は直ぐに分かった。


一瞬手を止める彼女。だが、意を決して彼女は端末を手に取った。


「お父様。お久しぶりです」


すると電話の向こうの人物は、感慨に浸ることもなく淡々と言った。


「家に戻ってこい。これは許しであり、命令だ」


彼女はテレビを通して全てを見ていた。

そして悟っていた。あの少女に付加されたS級異能力は、自分に付加された未完成異能を元にして作られたものに違いないと。


「お前は許された。さあ、戻ってこい」


だが、彼女の口からは何も出てこない。

数か月前なら、何の躊躇いもなく『はい』と言っただろう。

しかし今、そんな簡単な言葉が彼女の口からは出てこない。


「⋯⋯お前は誰だ。私の娘ではないのか?」


そんな男の声に、彼女の胸がギュッと締め付けられる。

小さな声で、彼女は言う。


「私は榊原摩耶。お父様の⋯⋯娘です」


榊原摩耶。彼女は暗い下宿の隅で、一人端末を持って立っている。

マキもいない、直人もいない孤独な空間の中で彼女は一人だ。


「お前は役目を果たした。時間爆弾に有用な情報をいくつも我々に提供し、またあの電脳次元の魔女が住む魔境に潜入する『スパイ』としても有用だった」


『スパイ』


自分は実の父から、そんな言葉を掛けられるとは思ってもいなかった。


「お前は、電脳次元の魔女と過ごす過程で大きく成長した。それは我々の元に日々送られてきていたデータからも伝わっている」


今の摩耶は、追放される前の摩耶とは違う。

確実に力を付け、元より強烈だった魔力総量を更に増大させている。


「あの出来損ないと違い、お前には間違いなく我ら榊原家を偉大にするだけの才能がある。私はお前の内に秘めるポテンシャルをこれ以上なく高く評価しているのだ」


あの出来損ない。

摩耶にはそれが誰の事を言っているのかすぐに分かった。


「⋯⋯真司兄さんのことですか?」


すると龍璽は言う。


「そうだ。奴はどうしようもない凡人だった。そのくせ私には狂犬の如く何度も噛みつきおって、適当な形で処分できたのはむしろ幸運だったのだよ」


兄は交通事故で命を落とした。

そして名も無き無縁仏として塵と消えた兄のことを、龍璽は処分できたと言った。


「お前も、そう思うだろう?」


それは、肯定を前提とした問いかけ。

摩耶からは肯定を前提とした言葉が出てくると信じて疑わない言葉。


「⋯⋯どいです」


「何だと?」


だが、今の摩耶はそれを肯定できるほど非情にはなれなかった。


「酷いです⋯⋯私は、兄を愛していました⋯⋯!!」


幼い頃は当たり前だと思っていた兄の行動。

父からどれ程苛烈な仕打ちを受けようと、摩耶の前では笑っていつも遊びに連れて行ってくれていた。それがどれ程強靭な精神の元に行われていた行動だろうか。

そして摩耶の前に立っていた彼が、内心どれほど傷ついていただろうか。


上書きするように言われ続けた『兄は弱者だった』の言葉。

だが今なら言える。摩耶は龍璽に言った。


「兄は、世界で一番強い人でした!!」


その声は、端末越しにしっかりと届いていたようだ。

暫く間を開けた後に聞こえて来た龍璽の声は、隠しきれない怒気を含んでいた。


「お前は、自分が何を言っているのか理解しているのか?」


その声は、少しだけ震えている。

だがすぐに気を取り直すようにして、摩耶に言った。


「自分が間違っていたと私に言え。今なら、冗談で済ませてやろう」


しかし、今更そんな言葉で引き下がる摩耶ではない。


「間違っていません!! 間違っているのは私ではなく⋯⋯!!」


一瞬、グッと息が詰まる摩耶。

しかし彼女は一気に言い切った。


「お父様です!!」


それは、明確な自分の意志。

ずっと圧迫され続けた自分の隠しようのない本音が、彼女自身の口から飛び出した。


ピタリと龍璽からの言葉が止まる。

不気味な静寂と、嵐を告げる寸前のような予感が漂う。


しかし、すぐに摩耶の耳に何かが聞こえてくる。

龍璽から聞こえていたのは低く声を震わせた笑い声だった。


「ハハッ⋯⋯電脳次元の魔女め。私が目を離しているのを良いことに、お前に良からぬ精神操作をしたようだな」


精神操作と、彼は確かに言った。

つまり今摩耶が言った発言は彼女自身の物ではなく、電脳次元の魔女ことマキが精神を操ったことで無理やり言わせていると、彼はそう言ったのだ。


「お前をそこに居座らせたのは大失敗だった。おかげで、折角の最高傑作に余計な傷を付けられることになってしまったではないか⋯⋯!」


それを聞いて絶句する摩耶。


「やはり、私の行動は何も間違っていなかった。出来れば、自分自身の意志でこの家まで戻ってくるように仕向けたかったのだがな⋯⋯!!」


その瞬間である。

ドカーン!!という音と主に、バーの表から爆発音が聞こえて来た。


「私の言うことに従わないのなら、無理やりお前をここまで連れてくるまでだ。既にフォールナイトには榊原家の精鋭を何十人も送っておるわ!!」


その言葉を待っていたように、部屋のドアを蹴破ってスーツ姿の男女が入ってきた。前もって準備していたかのように摩耶を囲む一同は、その手に錠を持っている。


「心配せずとも、お前にかかっている精神異能は田園の術師たちに命じて解除させてやる。もう山宮学園に行く必要もない。田園で永遠に調教し続けてやろう!!」


そして摩耶に武装した一同が迫る。

最早会話の余地はない。逃げるか、捕まるかのどちらかだ。


「そんな⋯⋯!!」


異能を使って逃げるか、全員を倒すか。

しかし、その時だった。


「俺の部屋をぶっ壊すんじゃねえよクソ共」


銃の発砲音と共に、摩耶を囲む数人が一斉に吹っ飛んだ。


「誰かと思えばまたテメエらか。テメエらにゃ、マキがカンカンに怒ってたぜ」


気が付いた時、摩耶の目の前には一人の男が立っていた。

カウボーイハットを被り、煙草を咥えて手には銃が二丁握られている。


「久しぶりに家に戻ったと思ったら、何だこの有様はよ」


「あー、絶対こんな感じになってると思ったんだよね」


すると部屋の入り口には若いギャル風の白衣を着た女性が立っている。

因みに彼女の手には、首を締めあげられた男が二人握られていた。


「心配しなくてもいいよ、榊原摩耶ちゃん。このイケメンが全員倒してくれるから」


「おいコードワン。少しはお前も手伝え」


「嫌だもん。ウチ、乙女だし」


そう言ってクルリと踵を返すコードワン。

だが突然現れたそれを捕まえようと、榊原家から送られてきた男の一人がコードワンに手を伸ばした。


「ゴミ掃除は手早く済ませろとマキから言われてんだ」


しかし、銃口が火を噴くと同時に男はバタリと倒れた。


「おい!! 何をしている、早くあいつを捕まえて田園に連れてこい!!」


摩耶の端末から聞こえてくる龍璽の叫び。

そうやら彼は今の状況が分かっていないようだ。


すると現れた男は、突然摩耶から端末をひったくるとマイクに向けて言った。


「いろいろ言いたいことはあるが、取り敢えず一つ言っておくぜ」


その瞬間、片手だけに握られた拳銃が目にも止まらぬ速さで動く。

それと時を同じくして、周囲を囲む面々が一斉に吹き飛んだ。


「テメエの娘なら、ちゃんと娘のことは名前で呼べや!!」


バタリと倒れる面々を横目に見て、男は続ける。


「俺はブルース。お前のとこの時間爆弾のデータを消したのも、機器を壊したのも全部俺だ。殺しに来たければ、いつでもリベンジを受け付けてるぜ。ただしな⋯⋯」


するとニヤリと笑って、その男ブルースは言った。


「お前らじゃ俺を殺せねえよ。フォールナイトに殴り込みに来てもいいが、明日以降は俺より何百倍もヤバい奴がいるんでな。お勧めはしないぜ」


そしてブルースは、チラリと摩耶を見て言った。


「学校も同様だ。登下校中にこの子を襲いでもしてみろ、フォールナイトの戦力総出で田園を地獄絵図に変えてやる」


「ブルース⋯!?」と声を漏らす龍璽。

どうやら彼にはその名前に思い当たる節があるらしい。


「てことで、死にたくなけりゃ余計な手出しはしないことだな。電脳次元の魔女、記憶屋、情報屋、あと、アレ。これらを皆、敵にはしたくないだろ?」


「待て!!」と、言いかける龍璽の言葉は聞かずにブルースは端末の電源を切った。

恐らくこれ以上話をしても特に意味はないと判断したが故だろう。


「おみごとー! 腕上がってるね!」


「んま、こんなもんよ。じゃあこいつらを外に寝かしといてやろうぜ」


襲撃に来た全員は、気絶させられただけのようだ。

するとここで摩耶がブルースとコードワンに尋ねる。


「皆さんは⋯⋯マキさんのお知合いですか?」


するとブルースが言った。


「ああ、そうだぜ。マキが留守にしてる間は、お嬢ちゃんの警備をしておけってマキに言われてたんだよ」


するとブルースは荷物を手早くまとめると肩にリュックを掛ける。


「てことで、さよならだ。俺は明日にも海外で仕事があるんでな」


どうやらブルースは早くもフォールナイトを去るようだ。

すると去り行くブルースの背中に、摩耶は頭を下げる。


「助けて頂き、有難う御座いました!」


するとブルースは片手を上げて応える。

そしてそのまま、壊れかけのドアを足で蹴って外へと去っていった。


すると今度はコードワンが話し始める。


「で、ウチはコードワン。普段は情報屋をやってる」


「情報屋、ですか?」


「うん。ウチは世界中を旅していて、あまり日本に来ることは無いんだ。今回日本に戻ったのも、お仕事でDH協会に呼ばれたついでだし」


そう言って彼女も、部屋の隅に置いてある荷物を持つ。


「あと10分もしない内にマキは帰ってくるよ。ウチにはそれが分かるの」


すると彼女は摩耶の傍らに近づいた。

そして彼女の耳元に、口を寄せる。


「マキの言うことをしっかり聞いて、修行を積むんだよ。そうすれば摩耶ちゃんは、いずれ凄い異能力者になるから」


そして「バイバーイ!」と手を振ると指をパチンと鳴らす。

するとまるで煙のように、気絶している襲撃犯たちもろとも彼女の姿は消えた。


対して摩耶はポカンと口を開けて、呆気にとられた様子でドアを見つめている。


「私が⋯⋯凄い異能力者に?」


そう呟く彼女は、ふと自身の端末を見た。

履歴には父の電話番号が残るがそれを削除して彼女はネットサイトにアクセスする。


そこはパンドラの討伐に対する臥龍の功績を褒めたたえる記事で溢れていた。


「臥龍様⋯⋯やはり、凄い御方です」


どんな人なのだろう。

一度でいいから会ってみたい。


そう思う潜在的な欲求は、否応なしにも高まる。

何より死んだとすら言われていた臥龍が、こうして表舞台に戻ってきてくれたこと。それが何より摩耶にとっては嬉しかった。


「おーっす、舞姫ちゃん! 元気にしてるかーい!!」


すると表から、朗らかな様子のマキの声が聞こえて来た。


「うわあ、酷い有様ですね。掃除大変だなあ⋯⋯」


続いて直人の声も聞こえてくる。

どうやら外出していたマキと直人が帰ってきたようだ。


するとそれを聞いた摩耶は端末を置いて立ち上がる。


「お帰りなさい! 今日は私が夕食を作りますよ!」


「い、いや、舞姫ちゃん。君の料理はちょっとね⋯⋯」


一転してしどろもどろになるマキ。

そして直人が早くもボロボロになったバーの修理を始める。


そこにはいつもと変わらぬフォールナイトの日常が戻っていた。

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