第29話 洗礼

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 第五層で新たに発見した下層への階段を下り終え、平行に伸びる通路を前にしたところでエスティはこれまで以上に、上質のエメラルドを思わせる緑の瞳でその先を値踏みしていた。メルシアが杖の先に灯した〝灯り〟によって数十歩先には第六階層に繋がる扉が見える。

「なんか、怪しいのよね。この通路・・・」

 前方から視線を外さずにエスティは呟く。これまでは何事もなく順調に進んで来られたが、何かが彼女の盗賊、あるいは冒険者としての勘を刺激したようだ。もっとも、レイガルにはこれまでと同じ整然とした石造りの通路にしか感じられない。

「皆、不測の事態に備えて!前衛はあたしとレイガルで!メルシアは援護を、マイラは後ろで待機!」

「・・・わかりました!」

 その言葉にマイラが率先して反応する。彼女は寝ているコリンを背負っている。戦うには彼を降ろす必要があった。そして、レイガルとメルシアに至ってはリーダーの言葉を信じて無言で頷くだけだ。準備が整うと、エスティは目配せをしながら、こんな時のために用意している小石を通路に向かって投げつけた。

 小石は乾いた音を響かせながら二度ほどバウンドすると何事もなく動きを止める。通路は再び静寂が支配し、微かに聞こえるのは自分と仲間の呼吸音だけだ。

「・・・何もなかったわね。あそこだけ石の置き方が単調だから何か・・・」

 当てが外れて、照れ笑いを浮かべるエスティだったが、言い終わらないうちにその整った顔を引き攣らせる。あろうことか、それまで硬い石床と思っていた通路が、まるで時化の海原のように激しくのたうち始めたからだ。やがて床から軟体生物の足を思わせる複数の触手が生えだすと、投げ付けられた小石を目掛けて攻撃を行う。

 それは奇妙でおぞましい存在だったが、疑似的な知能は宿しているのだろう。自身の縄張りに入った獲物が小石に過ぎないことを知ると、もっと手応えのある敵を探すように触手の先端を震わせながら周囲を警戒する。そして、何かしらの方法でレイガル達を察したのか、飢えた狼の如き速さで襲い掛かった。

「気味が悪い!」

 悪態を吐きながらエスティは攻撃を交わし、レイガルも盾で触手を弾きながら同時に剣の切っ先で反撃を与える。流体化した石のように見える敵の身体だが、それに相応しい重い手応えを彼に伝えた。やったことはなかったが、固めた土の柱に斬り掛かればこのような感触を得るのかもしれない。

 予め備えていただけに初撃をやり過ごしたレイガルとエスティだが、本格的な反撃には躊躇していた。状況からして迂闊に飛び込むのは危険と思われたからだ。

「〝火球〟を使います!」

 メルシアの警告が耳に届くと同時に二人は弾かれたように後方に飛び退いた。更にレイガルは身を屈めて盾を前面に突き出して爆発に備える。エスティが彼の影に入ると同時に激しい炸裂音が鼓膜を襲い、一瞬遅れて熱波が身体を包む。効果の範囲外のはずだが、余波だけでもそれだけの力があった。初めて出合った頃に比べると格段にメルシアの〝火球〟は威力を増していた。

 耳鳴りを無視して身を起こしたレイガルは、千切れかけた触手が緩慢にこちらに迫る姿を目にすると止めを刺すために剣を振り上げた。

「皆、よくやったわ!特にメルシア。でも、魔力は大丈夫?」

「・・・ええ、何とか。今のはフロアイーターと呼ばれるミミックの上位種とされる怪物です。擬似的な命を与えられた魔法生物で、大きさからしてかなりの耐久力があったことでしょう。火球を使うのが最も効果的と判断しました」

 通路に擬態していた謎の怪物を倒すとエスティはメルシアを労わる。口では平静を保っているが、彼女の表情には疲労の色が強く出ている。先程の〝開錠〝でかなりの魔力を消費していたはずなので、無理をしたに違いなかった。もっとも、メルシアの尽力はパーティーに計り知れない恩恵となった。あの直面で火球の援護があったからこそ、大きな被害もなく敵を倒すことが出来たのだ。そして、仮初めの命を絶たれた通路は元の硬く冷たい石造りの通路に戻っていた。

「二人も大丈夫ね?」

「はい。問題ありません」」

「では、行きましょう。もうこの通路は安全よ!」

 更にエスティは起き出したコリンの世話をするマイラに出発の確認を行う。

「なんだ、俺のことは気にしてくれないのか?」

 レイガルが戯けた調子で問い掛けるが、エスティは柳眉を下げながら鼻で笑うと彼の胸元をやんわりと叩く。どうやら、下らないことを聞くなという意思表示のようだ。

 こうして第六層の洗礼を受けたレイガル達は更に奥、未知の領域へと向かうのだった。

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