遺跡の街

月暈シボ

第1話 序章

 1

「食い止めろ!ここが突破されると後が・・・」

 隊長の怒鳴り声はレイガルの耳には届いていなかった。こちらに目掛けて迫る騎兵を前にしては、それどころではない。兜で敵の顔は見えないが、張り詰めるような殺気と狙い澄まされた槍の穂先から相手が自分を串刺しにしようとしているのが理解出来る。乗り手と馬の体重、そして速力が加わった槍の一撃は計りしれない威力を備えているに違いなかった。

 既に仲間達の多くは先鋒と思われる騎兵部隊に蹴散らされている。寄せ集めの傭兵で構成された歩兵に、大地を震わせながら迫りくる騎兵に対処する力はない。最初の突撃を生き延びた者も自分の命欲しさに逃げ出していた。金で雇われて戦列に加わる傭兵の士気などその程度の代物に過ぎないのだ。

 レイガルがその中に加わらなかったのは、彼が特別に軍規に忠実だったというわけはではない。単に機動力で劣る歩兵が、騎兵から無策に逃げるのは逆効果であると知っていただけだ。だとしても全速力でこちらに迫り来る騎馬を前にして、その場に留まるという行為は用意なことではなかった。レイガルはこれまでの経験と持前の度胸で恐怖心を抑え込むと、改めて剣を握る手に力を込める。死にたくなければ迎え撃つしかない。

「うおお!」

 圧倒的な力が込められた槍が突き出される寸前レイガルは身体を左側に反転させると、その穂先を間一髪で避ける。更にすれ違い様に雄叫びを上げると、騎手の太腿を狙って長剣を振るう。その攻撃は敵の脚甲に阻まれるが確かな手応えを彼の腕に伝えた。

 反撃を浴びた敵騎兵は、そのまま味方の本陣を目掛けて駆け抜けると思われたが、レイガルの予想に反して馬を回頭させると再び彼を目掛けて突撃を開始した。

「馬鹿かこいつ!」

 相手の愚かさを呪いながら、レイガルは改めて騎兵に向かい合う。彼は左翼の後続部隊に所属している。認めたくなかったが、その部隊が敵の騎兵に翻弄されているという時点で戦況は絶望的と思われた。まともな頭を持つ者ならば、壊滅しつつある左翼は無視して敵の中枢を目指すだろう。この騎兵は本陣よりもレイガルへの報復を優先させたということだ。

 それでも先程の失敗から学んだのか、敵騎兵は突撃の速度を落としてレイガルに迫る。威力の向上よりも槍捌きを優先させた判断だ。その二度目の攻撃をレイガルは再び直前まで引きつけてから避けようとするが、すれ違う寸前に槍の穂先が左に修正されて彼の右頬を微かに切り裂いた。

「ぐぅ!」

 あと少しでも遅れていたら顔に穴を開けられて絶命していただろう。焼けるよう痛みに悲鳴あげるレイガルだったが、敵に三度目の機会を与えるつもりはなかった。駆け抜けようとする騎馬の後をレイガルは全速力で追う。装備の重さに弱音を上げそうになりながらも、彼は回頭するために速度を落とした騎馬に辿り着くと鞍上の騎士に向かって飛び掛かった。まさか徒歩の歩兵が馬に追いすがってくると思っていなかった敵は、この体当たりを受けてレイガルに組み伏せられながら大地に落ちた。

 落下の衝撃で目を回しそうになりながらも、レイガルは敵の頭部を兜の上から大地に叩き付ける。それを三回ほど繰り返したところで腰から短剣を引き抜くが、騎兵は糸が切れた操り人形のように力なく横たわっていた。

「はあ・・・はあ・・・」

 自分の勝利を知ったレイガルは激しく息を吸い込むが、直ぐに状況を思い出すと周囲の確認を行う。個人としての戦闘には勝利したが、大地のあちこちにかつて仲間達の死骸が転がっている。今頃は左翼を突破した敵の騎兵部隊が本陣を横から突いているに違いない。そして彼の予想を裏付けるように駆け足で迫る大勢の足音に気付く、勝利をより確実にしようと敵の後詰が迫って来ているのだ。

 自陣営の敗けを悟ったレイガルは目の前が真っ暗になるように感じた。このままでは敗残兵として過酷な結末が待っているだろう。だが、絶望の沼に陥ろうとする彼の視界に、主人を失って近くをうろつく軍馬が映る。先程までは恐るべき敵だったが、今では、その見事な体躯と艶のある毛並は頼もしく思える。レイガルは馬を捕まえて鞍に飛び乗ると戦場とは逆方向、東を目指して逃げ出すのだった。

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