イクスザース~Xs~

叶 遥斗

群像】イクスザース 過去の欠片の物語【短編

世界に恋した話



「王族でもないくせに。俺たちの税金で贅沢三昧かよ」



 そんなふうに言われてショックだったのだろう。以来食欲が一切わかなくなった。


 母親は城のメイド。身分は平民だが城の敷地内に住み、衣食住何不自由ない暮らしを続けてきたので、こどもの自分にとっては当たり前だと思っていたが。


 痛烈な批判を浴びて、はじめてそれが特別なことだと認識できた。国民が国に税金を納めることも、王族が税金で暮らすことも、城で与えられるすべてはそうしたものからなることが、ようやく、何となく、少しずつ理解できた。


 母親は働いているので対価だとして。自分は何もしていない。まさに穀潰しだ。そんなふうに心のどこかで思ってしまっていたのかもしれない。


 それでいつしかひょろひょろに痩せ細り亡霊のようにふわふわとそこにいるだけの存在になった。自分の存在そのものが無価値で無意味で無気力で無駄で、何のためにいるのかわからなかった。


 そんなある日だ。


 何か嗅いだことのない香りがして、後ろから声をかけられた。



「城の食事はお口にあいませんか」



 他に誰もいなかったので、自分に言われたのだろうかと振り返ると、そこにいたのは女神か天使か妖精か。白く輝く肌に美しい薄化粧。線の細い女性が微笑みを浮かべていた。


 青い瞳。心臓を掴まれたかのように息が詰まった。



 会ったことはなかったが、それが誰かはすぐわかった。返事すら出来ないでいると、微笑みを絶やさず手にした盆を差し出してきた。白いハンカチがかけられた下に何か食事があるらしい。



「私が作ったのです。食べてみてください」



 たとえそれが毒であろうとも断る理由はなかった。


 震える手でハンカチを摘まむと黒い何かが現れた。


 はじめて見るものだったから何かはわからない。ただ優しい香りが鼻を擽る。



「食べてみてください」



 やんわり繰り返される優しい強要。食べ方もわからない。形状から手で直接持って口へ運ぶのだろうか。同じ形に調えられた黒いそれが3つ並んでいる。


 1つ掴んでじっと見る。しっとりとした感触。絶対美味しい。そういう臭いに唾液が分泌される。ずっと食欲なんてなかったはずなのに急激に空腹感に襲われた。身体が要求する。胃が活動を始めたのかキュルキュルと痛む。でも食べて大丈夫だろうか。最近は口にしたものを吐いてしまう癖がある。自分は死んでも構わないが、この女性が不快に思うようなことは一切あってはならない。



「王妃様」


 声が震えた。足も手もそうだ。


「私にも何か仕事をお与えください」

「わかりました。あなたには特別な仕事を私が用意いたしましょう」


 悪戯な笑みを浮かべた幼げな目許がわくわくと見つめてくる。他の大人たちにはいつも、こどもに任せられる仕事などないと軽くあしらわれてきた。


「本当ですか」

「本当ですとも。私は王妃ですよ? そうですね、あなたは将来私の近衛騎士におなりなさい。たくさん食べてしっかり体を作らなくてはなりませんよ」


 近衛などなりたくてなれるものではない。そんな軽々しく身分もない平民のこんな貧相なこどもに、しかし王妃は微笑むのだ。


「だから、さあ」


 もう何も心配せずにお食べなさい。力強い眼差しが語る。


 王妃が直々にその手で握ったのだという黒い食べ物は、今まで食べたどんなご馳走より美味しくて、それは甘じょっぱい涙の味のようだった。号泣しながら食べたせいかもしれない。王妃が後頭部を撫でながら笑う。



「近衛は大変なお仕事です」


 大の大人でも血ヘドを吐くという。


「特に私の近衛はなおのこと」



 その言葉の本当の意味を理解するのはもっとずっとあとのこと。



 ◇◇◇


「世界が私を許してくれたあの日から、私は騎士として生きることを決めました。あなたが産まれるずっと前から。私はあなたの騎士なのですよ」




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