第2章ー6話 握手はまた、その時に 1
ドン! という効果音がぴったりな光景がテーブルの上で存在を主張している。
二人にしてはいささか広いテーブルには、所狭しと料理が並べられている。しかも、それらはすべて大盛かつ高価な肉料理。『木こり牛』の肉を使ったビーフシチューに、ワイバーンの肉の丸焼き。俺が解るのはそれくらいだ。それ以外は、あまり頼んだことのないお高い料理だ。
オレンジ色の照明に照らされた彼らの姿は、否応なしに食欲を掻き立てる。湯気を上げるその様は、何も言われなければこっそりとつまみ食いをしてしまうかもしれないと思うほどだ。
目の前にいるのが、彼でなければ。
「さあ、さあ、食べてください。ここは私の奢りです」
がばっと、舞台俳優かのようにレグ大尉が両手を広げる。
身なりに気を使っていませんと言わんばかりな、血の跡が染みつくコート。無精ひげを撫でながら、観察するように俺を見つめている。
このオーバーなリアクションを含めたその一挙手一投足、全てが胡散臭い。というよりも、何か裏があるような気がしてならない。この料理は、一体何のために用意されたというのだろうか。これを食べたら、何か大変なことに巻き込まれるような気がする。
「遠慮することはないですよ。あなたが今日受けた依頼数、依頼内容からすれば、腹が空くのも仕方がありません」
「……見てたんですか?」
「さぁ、どうでしょうね。勘ですよ。勘」
クツクツと、大尉は独特な笑い声をあげる。本当にどこまで見ていたのだろうか。確証はないが、俺が訊ねれば何をしていたのかも答えてしまうような気さえする。そうなると、彼はずっと俺のそばに張り付いていたということになるが……。
――いや、やめよう。
知らなければ知らないで気味が悪いが、知ってしまえばまた別の意味で鳥肌が立ってしまいそうだ。それについての思考を放棄することにして、目の前にある料理へと意識を移す。
「ちなみに、毒も入れていませんよ」
「やめてください。そう言われると食べにくいです」
あれほどあった食欲が、すっかりなくなっていた。それでも、腹が減っているということは解っている。諦めて、料理を口に運ぶ。それを見届けた後、大尉も料理に手を付けだした。
端的に言う。料理はおいしかった。
「それで、今日はどうしたんですか? 俺、何かやらかしましたか」
「ふふふ、どうしてそう思うんです?」
「軍の人――特にあなたが来るとしたらその可能性が高いかな……と」
「おやおや。私を一体何だと思っているのですか」
心底心外だとでも言わんばかりに、大尉は背もたれへと仰け反り体重を掛ける。そして、「違いますよ」と言葉を続ける。
「今日あなたを尋ねてきた理由はそんなことじゃありません。話したいことがあっただけです」
その瞬間、明らかにレグ大尉の空気が変わった。
つい先ほどまでは、どちらかと言えば飄々としたつかみどころのない態度。しかし今は、俺を絡めとって離さないとでも言いたげな……例えるならば捕食者の目。いちばん近いのは、恐らく蛇だ。
ピリピリという刺激が肌に突き刺さっているように錯覚する。ペロリと唇を舐め、レグは話し始めた。
「まずそうですね……あの迷宮についてはどれくらい聞きましたか?」
「国が管理することになった、としか。あと、時機を見て一般にも開放するとか」
「その通りです。つきましては、その安全を確認するまでしばらくの間我々がそのまま駐留いたします。何かありましたら、駐屯地をお尋ねください。私が対応いたしましょう」
「はぁ……」
「それから」と、いったんここで言葉を切り水を口に運ぶ。
「これはあまり明かしてほしくはないのですが、あの魔法陣を刻んだ者に検討がつきました」
カリンと、グラスの氷が音を立てて砕けた。
「まず、あの魔法陣は刻まれてからかなりの年月が経過していました。十年……いや、下手をすれば五十年以上前という可能性もあります」
「そんなに長く……」
そう、そこなんです。と、大尉は手に持っていたフォークで俺を指す。
「普通の魔法陣なら、定期的な点検を行わない限り一年ほどで劣化して使用不可能になります。しかし、あの魔法陣には描き換えられた形跡が見つかりませんでした。ですが、刻まれてからあの日まで、あれは間違いなく起動し続けていた。そうでなければ、この辺りはもっと早くに不毛地帯となっていたことでしょう。迷宮拡大とは別の理由で」
この世界の魔法陣は、『ガソリン』『車』などの普通名詞で言い換えることが難しい。強いて言うのであれば、『機械製品全般』と言うしかない。なぜなら、魔法陣は種類によって役割が大きく異なるからだ。
電気回路のように、マナを通すだけのもの。発電所のように、魔法陣自体がとある現象の役割を担っているもの。分類は様々で、それらを組み合わせることによってより複雑で便利なものが生まれる。分類の違う魔法陣は、似て非なるもの。ただし、どの魔法陣にも共通することが一つある。
それは、劣化するということ。
どんな魔法陣も、使い続ければ回路が摩耗し劣化していく。限界を迎えると回路は弾け跳び、本来の役割を失う。しかし、その状態で中途半端に魔法陣が起動してしまうと、術者の意志とは異なる働きをしてしまうことがある。
それが、いわゆる暴走というやつなのだ。
レグ大尉は、いま確かに不毛地帯になると言っていた。それはつまり、あの魔法陣がそれほど複雑で危険な代物だったということだ。しかし、今のいままでそれは暴走をすることなく正常に機能し続けた。そんなことができるほどの技術者が、あの魔法陣を組んだことになる。
「つまり、それができるほどの人が誰なのかが判ったと?」
そして、そんなことができる魔術師は必然的に限られてくる。
「そういうことになります。……いえ、これで判ったと言うのは少々癪ですが」
「?」
その話題になった途端、レグは苦いものでも食べたような表情を浮かべた。本当に、それを認めるのが悔しいという感情がまるわかりだ。
「〝円卓の騎士団〟あの魔法陣は彼らの仕業と考えても間違いないでしょう」
「……っ!」
「ご存知ですか?」
「ええ、まあ。ミレーナさんからも聞いています。正体不明の反社会的勢力」
「その解釈で結構です」
ご存知も何もない。ミレーナの授業を受けた際、真っ先に教えられたことだ。
「構成人数不明。構成要員不明。本拠地すら特定されていない謎の組織です。ただ解っていることは、ほとんどの土地では疫病神とされているということでしょうか」
その目的は、ミレーナにも解っていないらしい。
解っていることといえば、各地で起こる戦闘の何割かがこの組織によるものであり、それらの跡地はすべからく焦土と化しているということ。しかし、肝心の戦闘の目的すら不明。レグの言った通り、全く何もわかっていない謎の組織だ。
そして、かなり昔から暗躍していたということ。解っているのは本当にこれくらいなのだ。
彼らが何を目論み、どんな信念で動いているかすら不明。どこから人員の補充を行っているかも定かではない。
「やつらの目的は何なんですか?」
「さあ? 我々にも解りません。ですが、何か良からぬこと……それも我々が予想できないようなことを企んでいると考えておいても大げさではないでしょう。特に、あなたたちは気を付けるべきです」
奇しくも、それはミレーナに言われたことと全く同じだった。
「どんな理由で狙われるのか分かりませんからね。〝異世界からの迷い人〟ほど、彼らにとって未知の存在はない」
ミレーナは言った。
これほど長く存在し、暗躍しているのだ。そう容易く予想できるようなことを目的としているはずもない、と。だからこそ、イレギュラーの塊である俺たちは細心の注意を払わなければならないのだと。
正直言って、自覚はしていたが現実味がなかった。迷宮攻略のようなものとは違い、直接何かを見たわけでも経験したわけでもなかったから。
だが、
ミレーナに言われ、目の前の大尉にも言われる。そこまでしてようやく、なんとなくだが実感が湧く。
迷い人とは、それほど身の危険が及ぶ可能性がある人間なのだ。
「……解りました。気を付けておきます」
「そうしておいて損はありません」
そう言うと、しばらくの間会話はなかった。酒場特有の喧騒に場を任せ、俺はしばし大尉のことを忘れて料理を口に運ぶ。おいしい食事に舌鼓を打ち、気がつけばいくつかの皿は空になっていた。
しかし、さっきの忠告を境に大尉からは何のアプローチもない。
それがやけに不自然で、気味が悪かった。
故に、
「――それで、本当に話したかったことって何です?」
仕掛けてみることにした。
「………………気が付いていたんですか」
ピタリと、レグの動きが止まる。
「普通そうでしょう。あの事件に円卓の騎士団が絡んでいるかもなんて、あの中に潜った人なら遅かれ早かれ勘づくはずです」
「ふふ、なるほど。ですが、私が単に嫌がらせをしに来たという可能性もありますよ?」
「もちろんありますが、それだと納得いかないんですよ」
「…………」
大尉の表情に、困惑が浮かんだ。
「わざわざ俺をからかうためだけに来るなんて……、そんなの、あなたの柄じゃないでしょ?」
この人でなくてもそうだ。
普通の友達であっても、よほど近しい関係でない限りその理由だけで会うとは考えられない。顔を見に来たという場合は、大抵が何か一緒に消化する別の予定を持っているはずなのだ。
ましてや、俺の見るこの人の像は徹底的な合理主義者だ。
迷宮での攻略は、そのことを感じ取るには十分だった。軍の中でも最高ランクに位置する王国騎士団に所属しておきながら、騎士のプライドというものがみじんも無い。少数を犠牲にして大多数が救えるのならば、その手段を躊躇なく提案し実行に移す。しかも、それが一番効率が良くリスクが少ないという理由でだ。
そんな人が、俺をからかうためだけに俺に会いに来るとはどうしても思えない。しかも、たまたま会ったわけではなく俺を待ち伏せていたのだ。からかうことが目的なのだとはどうしても思えない。
「――――ぷっ、ふふ、クククク」
ニタリと口元を吊り上げ、子供が見たら泣き出すような表情で笑う。初めは堪えるようにして笑っていたが、途中でそれを諦める。食器を置き腹を抱えて、レグはしばらく笑い続けた。
「なるほど、あなたは人を見るのが上手い。それでも口には出さずしり込みしてしまうのは、その分析に自信が無いからなのでしょうかね」
今度は俺が図星を指され、うっ、といううめき声がこらえきれずに零れる。それを見て、レグはニタリと再び笑みを浮かべる。
「その通り。私が会いに来たのはこんなつまらないことを話すためではありません」
いきなり、レグは身を大きく乗り出した。
テーブルを超え、俺の方へと身体を一気に近づける。遠目から見れば、立ち上がって俺の方へと身体を傾けている状態だ。あまりに予測不可能な動き故に、反応ができずに完全に固まる。そんなアンバランスな姿勢にもかかわらず、レグの身体はピタリと静止し一切動かない。
「単刀直入に訊ねましょう」
俺の動揺、驚愕、そんなことお構いなしに、レグが口を開いた。
「あなた――軍に入る気はありませんか?」
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